風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

家族

まごまごアルバム5

01
婿殿が外国に長期出張するというので、娘が孫を連れて里帰りすることになった。
飛行機に初挑戦する孫の何やら真剣な面持ち。

02
出張中のパパ様と毎日スカイプで会話
「今日も可愛いね~」
「ほー」

04
おもちゃのバケツがお気に入り。
頭にかぶってこの笑顔!

05
福岡の曾祖母を訪ね、女4代、写真に収まった。ハイ、チ~ズ!
「アタシはチーズより、お母さんのおっぱいの方がいいかな」


17
ジージの老眼鏡に手を伸ばすので、かけてやった。似合うでしょ!
なんだか、ドクタースランプに登場のアラレみたい。


07
コレ、ヌンチャクというのかな?ひものついたおもちゃは大好き。
振り回したり、なめ回したり。ひとしきり独り楽しく遊んでいる。

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左から、ほぼ一連の動作。ジージが玄関を入ってくる音を聞くと、やおら立ち上がり、だっこしてもらう準備をする。抱き上げると、「いいでしょう、ワタシだっこしてもらっているんだよ」という、いかにも得意げな顔をする。
最近はこれ、ドヤ顔とか言うらしい。
孫を抱いているときのジージの顔は、ホントに親馬鹿ならぬ爺馬鹿の顔だね。


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つかまり立ちが上手に出来るようになったと思ったら、今度は、片足を上げてポーズをとるようになった。
教えていないのに、偉いもんだ。

15
この前、「男の子?女の子?」と聞かれたので、ゴムで縛ってみました。眺めているのは絵本。気に入ったのか、ページを繰りながら、繰り返し見てる。


16
老犬と孫。
この写真を撮った翌朝、娘と孫は、婿殿の待つ東京へ戻って行った。



まごまごアルバム4 東京旅行

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8月16日(火)船小屋駅でJR在来線から新幹線へ乗り換え。
九州新幹線初体験。

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電車を乗り継ぎ、8時間で孫の待つ東京の家に到着。
孫は爺様のことはすっかり忘れてしまっていたようで、抱こうとしたら泣かれた。

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でも、夕食時には、少しは打ち解けた感じになったかな?


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そして、翌朝(17日)にはこの笑顔。

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一日2回、離乳食。よく食べる。

081703
近くの道の駅に買い物に。
ここでお昼を食べる。
注文したのは、ご当地ラーメン。
美味しかった。


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18日(木)、豆腐屋うかい大和田店に、豆腐懐石のランチを食べに出かける。
とても美味しかった。

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午後、森林浴に出かける。向かった先は多摩御陵。
広大な敷地に、大正天皇夫妻の眠る多摩陵と昭和天皇夫妻の眠る武蔵野陵がある。
右の写真は香淳皇后の武蔵野東陵。
森林浴になったとは思うが、しかし、暑かった。

081903
19日(金)、二人とも何やら難しい顔をしているが、視線の先はテレビ。
高校野球の準決勝(日大三高対関西高)を観戦中。
結果は、西東京代表の日大三高が岡山代表の関西高を14対4の大差で破った。
因みに、もう一試合は、栃木・作新学院対青森・光星学院で、0対5で光星学院の勝ち。


20日(土)のお昼は、新撰組ゆかりの日野館でやまかけそばを頂く。
とても美味しかった。

その後、福生に足を伸ばし、横田基地周辺の喫茶店でルートビアでも飲もうと思っていたのだが、なんとその日は、横田基地日米友好祭で、なんでも10万人近い人出があったそうな。
とにかく、人が一杯いて、喫茶店の駐車場も開いてない。
仕方なくということでもなかったが、福生教会を見て帰ることに。
すると、教会の庭で稲見牧師が何かの作業中。
美味しいコーヒーをご馳走になり、しばらく歓談。
宣教開始50周年記念の品(記念誌とキーホルダー)を頂き、お暇する。


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21日(日)は、娘の車を借りて、あきるの市の秋川バプテスト教会(制度上は伝道所)に二人で出かけた(娘一家は、相模中央教会へ)。
秋川教会には、福島牧師がおられる。
福島先生が南千里教会におられた頃、宣教団が推進していたマスターライフという信徒訓練プログラムの研修でお世話になった。
福島先生の奥様(清子夫人)は、大牟田教会の出身であり、夫人のお姉様夫妻は大牟田教会の現在会員。
礼拝後の交わりも、とても楽しかった。

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娘の家のある町でも、20日~21日はお祭が。


デジカメで撮った動画をYouTubeにアップしましたので、その勇壮な和太鼓の演奏をご覧下さい。

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夕方、教会の帰りに横浜に寄っていた娘一家がようやく帰って来た。


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22日(月)、孫は、ひもをおもちゃにして遊ぶのがマイブーム。
ひとしきり遊んで、婆様に抱かれて寝てしまった。
これでしばしの別れ、さようなら~

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これから東京を離れ、一路大牟田へ。
新横浜でのぞみに乗り込む。
右は、九州新幹線の車内。

孫と楽しく過ごした一週間でした。
旅の安全と導きをお祈り下さった皆様方に、心から感謝致します。

まごまごアルバム3

031201031202
3月12日(土)、大牟田を離れ、東京へ。
右の写真は、新幹線初乗車。

031501
3月15日(火)、計画停電実施。
ホントに突然停電した。

この後、原発事故で放射能汚染が発生したため、婿殿の実家に疎開した。

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4月24日(日)イースター、相模中央教会のイースター礼拝に初詣。
献児式が行われ、祝福の祈りを受ける。
礼拝後、仲人ご夫妻と、はいチーズ!



まごまごアルバム2

爺馬鹿ぶり 第2弾です。


0620

6月20日 婿殿の御母様が撮って送って下さいました。


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6月24日 このお茶目さは、娘譲りでしょうね


0627
6月27日 寝返りが打てるようになりました。
ヤッタネ!

0629
6月29日 左足と、顔の表情を見て下さい。
新しい扇風機がウチにやって来て、相当ウカレています。

0701
7月1日 フテ寝?!


0702
7月2日 スイカの食べ頃
丸々太って、よくウレてます。


誕生して、早6ヶ月。
健やかに守られていることを感謝しています。



爺バカぶり まごまごアルバム



0101
0107
元旦には、まだ胎内にあった命が、1月7日、産声を上げました

01130120
1月13日に産院を退院     一週間後、曾祖母に抱かれた

01210206
1月21日パパの産湯初挑戦  2月6日 祖母に抱かれて

0216102162
2月16日 祖母の顔を見て・・・・・笑い出しました

0220
2月20日 献児式 初めて教会の礼拝に出、祝福の祈りを受けました

0303
3月3日 ちょっと遊んでみました


0311
3月11日朝、いよいよ明日は東京に帰るというので、みんなで写真を撮りました
午後、大震災に見舞われることになるとは、想像もしていませんでした
翌3月12日、予定どおり、一家は東京に帰りました


 ↓ 娘から時折写メが送られて来ます。順調に育っているようです

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4月4日          4月17日         4月26日

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5月12日         5月13日


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5月24日 「ウチの天使 見たことないけど」といって送られてきました
確かに、私も本物のテンシ見たことはありませんが、
こういう顔されると、ウチの孫、世界一可愛い~と思うでしょっ! でしょっ!!


孫の上に、神様の守りと導きが常に豊かにありますように!



孫の誕生

011月7日夕刻、待望の赤ん坊が生まれました。

写真は、生後2時間の、保育器に入れられている孫です。

新生児室の外にまで響く大きな声で泣きます。

なかなか元気な赤ん坊です。

娘によく似ていると思います。

今後の成長が楽しみです。

長崎行き

8月末に夏休みを頂いて、長崎に行って来ました。

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この写真は、なんだか分かりますか。
原爆で壊された浦上天主堂の鐘楼です。
天主堂の塔の上にあったものです。

浦上天主堂は、1895年に着工され、煉瓦造りで30年という年月をかけて建てられ、1925年の竣工当時、東洋一の教会堂といわれたそうです。

爆心地から北東へ約500メートルに立つ教会周辺に1万2千名のカトリック信者がいたそうですが、3分の2を超える8千5百名が原爆の犠牲になりました。




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続いて、この写真は、現在の会堂です。被災前の天主堂をモデルに、1959年に再建されました。
1980年に外装を赤レンガ造り、窓をすべてステンドグラスに改装して、現在の美しい天主堂が完成したということです。 

午前5時半、正午、午後6時、および日曜日の午前7時には、教会の鐘が鳴るようになっています。

写真は撮れませんでしたが、中に入って世界の平和のため、核のない世界実現のために祈りました。




082901これは、大浦天主堂です。
1863年に着工、翌年12月29日に完成しました。
長崎に居留するフランス人のために建てられたことからフランス寺とも呼ばれましたが、地名をつけて、大浦天主堂と通称されています。

原爆投下によって、屋根、正面大門扉、ステンドグラス、その他の部分に被害を受けましたが、倒壊は免れ、無事修復することが出来ました。
 
1933年、日本洋風建築の初期を飾る代表的建造物として、国宝に指定されました。
大浦天主堂は、現存する日本最古の天主堂です。

082902ここを訪れる観光客が増えたため、天主堂に上る階段手前に1975年、大浦カトリック教会が建てられました。
左の写真がそれです。

ミサはこちらで執り行われています。
日曜日は、朝7時と10時の2回、行われます。

29日(日)朝10時からのミサに出席しました。

受付がありましたが、何の指導もなく、礼拝堂入り口の週報のようなものを持って一番後ろの席に座りました。
式文に従って進行していきますが、讃美歌の番号は前方の電光掲示板に出されているだけで、アナウンスなどはありませんでした。
讃美歌がどこに置いてあるかも分かりません。
祈りの言葉も、信徒が唱える部分がありますが、どこにも記載されていないので、ただ、聞いているだけでした。
新来者が一人で入れば、チンプンカンプンでしょう。
そうしたことで分かるのは、カトリック教会にとってミサは、信徒のために開かれているものであって、伝道を目的としたものではないということです。

ミサでは必ず、聖餐式が行われます。
司祭が、小さく薄いクラッカーのようなものを「キリストの御体」といいながら、信徒の口に入れておられたようです。
跪いて受けるのが正式という話もありますが、大浦では立ったままでした。
葡萄酒は配られず、司祭が一人、口にされました。

司祭から、人は高慢になりやすい、謙遜を学びなさいというお奨めを頂きました。
説教の時間は10分程度でしょうか。
実に短く、分かり易いお奨めでした。

カトリック教会の礼拝に参加して思ったのは、ここもキリストの教会であるという、ごく当たり前の、でもなんだか嬉しくなる思いでした。


大浦教会を後に、直ぐ裏側にあるグラバー邸を見学し、それから食堂で昼食。

焼き魚定食(鯖)を頂きました。
家内は冷や奴定食。

ここで小さなハプニング。
「魚フライ定食出来ました」と、持って来られたんです。
私は焼き魚、家内は冷や奴で、「魚フライ」ではない。
そう言うと、お店の人が、「ああ、これは冷や奴定食でした。魚のフライが乗っていたので間違えました」と(笑)。
確かに、壁のお品書きに、「冷や奴定食(魚フライ付き)」とありました。

美味しかったし、忘れられない店になりそうです。

それから、坂本龍馬ゆかりの亀山社中記念館に行きました。
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この写真は、記念館への登り口。ここから数百メートル、かなり長い坂道&階段を上ります。

かなりしんどくなって来るあたりで、「あと百メートル」という看板。

実は、この丘の殆ど頂上付近に記念館はあり、この写真では確認が難しいですが、小さい旗が立っているんです。

そして、何とかたどり着いて、記念館の中に入ると、二間ほどの小さな家の中に、町の博物館で見ることの出来る資料がいくつか置いてあるだけで、特にこれはというほどのものはありません。

初めからそういうものだということが分かっていて、ここまで来る人はいるのだろうか、と思ってしまいました。

記念館からの下りは、別の坂道を降りて来ました。
年配者などは、こちらから登った方がよいのではないかと思いますが、道は分かり易くはないので、う~ん・・・どうしたものでしょうね。

ただ、亀山社中の働きで犬猿の仲だった長州と薩摩が結びつき、明治維新にたどり着いたということを考えると、あの小さな家の中にとてつもなく大きな夢や希望がつまっていたんだということになります。
初めは小さくても、夢と希望があれば、大きな仕事が出来るという標と言ってもよいかも知れません。



そうそう、忘れていました。
082903大浦天主堂に行く前、朝一番に出島の見学に行きました。
そこに、日本聖公会の出島教会跡と出島聖公会神学校がありました。
写真は、神学校の建物です。

これがいつ建てられたのかというと、当然のことながら、鎖国していた江戸の時代ではありません。
1878年(明治11年)に建てられたそうです。
中には、チャペルや図書室、会議室もありました。

出島教会は、それよりも3年早い1875年(明治8年)にここに建てられました。
日本の聖公会では最も古い教会だそうです。
この教会は、1890年(明治23年)に大村町に移築されて、跡地に宣教師館(上の写真の右端の部分)が建っています。

その後、この建物は中の模様替えがなされ、1900年代初頭(明治末期)には、病院として使用されていたそうです。

残念なことに、日本聖公会の大村教会は現存せず、また、聖公会関連の公式サイトに、聖公会神学校がこの地にあったことを示すものも見当たりません。
聖公会の教職に直接聞いてみるしかないかな。


ともかく、いろいろなことを教えられ、考えさせられた長崎の旅でした。



※後日談 出島教会は大村に移った後、1895年(明治28年)に長崎聖三一教会と改称。その後、大浦に移転されて、今日に至っておられます。
長崎聖三一教会 URL http://www1.bbiq.jp/d-kyushu/nagasaki/
また、聖公会出島神学校は、1886年(明治19年)に廃止されたそうです。理由は分かりませんが、東京に東京三一神学校が設立(1978年)されているので、そこに統廃合されたのかも知れません。



 

父の葬儀


葬儀011月4日(月)に、父の葬儀をしました。

初めは、百人も来られないだろうと言っていたのですが、それでは足りないかもという話になって、式次第、会葬御礼の品などを二百用意しました。
絶対余ると思っていたのに、全国各地からおいで下さった160名あまりの来会者のほか、お花料などをことづけられた方々を数えると、二百でも全く足りませんでした。

家族・親族は式次第を二人に一部とし、会葬御礼も、ベタニヤ村教会の方々の分は改めて用意するなどということにせざるを得ませんでした。

多くの方に愛され、支えられた生涯だったことを、そこに垣間見せられました。
そんな方々の思いが集められて、大変温かな葬儀となりました。
 
葬儀02東八幡教会の藤田先生が弔辞で、父のことを「敬愛し、畏敬する先輩」と仰って下さいました。
父は、藤田先生からそのように評されるとは思いもよらないことだったろうと思います。天で、恐縮しているような思いがしました。
藤田先生が日本バプテスト連盟の伝道委員をしておられたとき、父を名古屋開拓(新しく教会を設立する働き)に送り出されたということでした。

私は、名古屋開拓伝道をとおして信仰の導きを得、そして牧師として献身する道が開かれました。
これがなければ、今日の私はないと思います。

子ども7人を抱え、5年で自給独立の教会を作り上げるという課題を与えられ、それは父にとって大変なことだったろうと思います。
しかし、父に「もしうまくいかなければどうする?」と尋ねたとき、「屑拾いをしながらでも、開拓を続ける」という答えが返って来ました。
その時なぜか、大変だという思いはなく、父の覚悟を知って、カッコいいなあと思っていました。
そして5年。
その間、家族が一人増え、子供が8人に。
でも、実際に大変だと思うこともなく、どこかワクワクしながら過ごして、教会組織の日を迎えたことを思い起こします。
父親に反抗している暇などない、楽しい中学生・高校生時代でした。

20数年前、心臓に問題があることが分かった父は、牧師生涯の最後を郷里で過ごす、郷里の人々に福音を伝える務めに導かれます。
90歳を過ぎた母親(私から見れば祖母)や長兄、長姉をはじめ、家族親族が次々と信仰に導かれました。
父が献身を決意したのは、郷里に福音を伝えたいという思いだったので、その願いが叶えられたのです。

心臓で入退院を繰り返し、11年前に心臓の弁を取り換え、冠状動脈にバイパスを作る大手術。
直後、ペースメーカーもつけました。
動脈乖離という死の谷も通りました。
その都度守られたのは、背後の祈りと、まだ使命があるという神の御旨だったのでしょう。

その後、道を後進に譲って引退し、7年前に福岡に移り住みました。
市営住宅での生活でしたが、両親ともに心臓が弱って来たことから、妹夫婦が同居を決断、別の妹も加わって、3家族の共同生活をしていました。

葬儀03そういう中で、高松常磐町教会の伝道開始50周年記念、東八幡教会の教会組織50周年記念の集会に講師として呼ばれ、メッセージをしました。
父の説教が長いのは有名だったと思います。
弔辞で、南名古屋教会の的埜兄、東八幡教会の奥田先生が言われたとおりです。
 


葬儀04私も、父の説教の内容は殆ど覚えておりませんが、話が長かったこと、よく説教中に寝ていたことは、忘れられない思い出です。
ただ、十字架にかかって贖いの死を遂げられた主イエスを仰ぎ、その福音をまっすぐに語り続けていました。

6年前の2003年10月に行われた高松の記念集会には、私が同行しました。
講壇に立った父は、すぐに原稿を離れて話し始めました。
これは、長くなるなあと思いました。
予定時間の大半をそれで過ごしました。
どうするんだろうと思いました。
結局、最後に予定の原稿の結論部分だけを話して、講壇を降りました。 時間を気にし、段取りを大切にする人には、許せない暴挙のように思われるかもしれません。
しかし、高松教会の方々は、それを喜んで下さいました。
代表執事?だった今は亡き小森平兄が喜んで下さっていた姿を思い起こします。
社交辞令もあり、すべてを額面通りには受け取れないとしても、私は父の説教を聞き終えて、そこで語るべき言葉が語られた、確かに父はその日、神に立てられた説教者だったと思いました。
話の内容はどうでもよいとは言いませんが、神を信じ、その福音を心底喜んでその喜びを伝えようとする父の思い、その福音を受け取ってほしいと願う父の祈りに偽りはない、その真実に心打たれるんだなあと、今も思います。

最期の時、教会の礼拝に参加することが父の喜びでした。
最後の礼拝出席は、危篤になる直前の12月20日、それはクリスマス礼拝でした。
 
葬儀05広田兄が、教会に来た時はくたびれた表情をしていたのに、教会を出るときには喜びの表情になっていたというように、仰って下さいました。

臨終前に見せたのも、祈りや賛美、聖書の言葉によって強められ、平安を与えられる姿・表情でした。
信仰が父の生き甲斐だったわけです。
 
葬儀06その教会で告別式を営んでいただくことが出来、多くの方にお見送りいただくことが出来て、父は本当に幸せだったなあ、自分たちもそれに肖りたいなあと思います。

最後に、父さん有難う。
皆様、ありがとうございました。

誕生日


誕生日011月3日は、わたしの54回目の誕生日でした。

娘夫婦がケーキとスパークリングワインで祝ってくれました。

ケーキの上のチョコのプレートには、「お父さん・お母さん たんじょうび おめでとう ♪」と書いてあります。
家内も1月生まれなので、ついでにということです。

ケーキ屋さんから「ローソク何本入ります?」と訊かれたので、「百・・本」と答えると、娘が「ローソクでケーキが崩れちゃう」と言うから、仕方なく5本ということに。
なぜ5本なのか、何の根拠もありませんが。


ハッピー・バースデイを歌った後、家内が火を消しました。
美味しいケーキでした。

生んでくれた両親や、愛する家内や娘夫婦、そして常に豊かな恵みの内を歩ませて下さる主なる神に、心から感謝します。


今朝の礼拝前に、S兄が今日は牧師の誕生日だからといって祝福を祈ってくれました。
大切に思っていてくれる人がいて、嬉しくなりました。

とても嬉しいバースデイでした。

父帰る


父012009年12月30日(水)午前5時35分、慢性腎不全により、父が天の故郷に帰りました。

この写真は、納棺した父の顔の周りを花で飾ったものです。
左目を薄く開けて、微笑んでいるような柔らかな表情をしています。

ペースメーカーのリード線取り替え手術後、自宅で過ごしていた父が23日(水)に体調不良を訴えて入院。
働きが悪くなっていた腎臓がついにパンク、体外にカリウムを排出出来ないという状況になりました。
カリウムは、心臓に悪影響を及ぼすのだそうで、いつ心停止になってもおかしくないと、主治医から告げられました。

このような場合には通常、人工透析ということになるわけですが、父は心臓が悪くて、透析に耐えられません。
残念ながら薬物治療も効果がなく、あとは最期の時を待つばかり。
父の意志に従い、延命治療はせず、ただ痛み、苦しみを緩和するだけです。

25日(金)クリスマスの朝、病院のCCUに父を訪ねたとき、意識ははっきりしているものの、明瞭な言葉を発することが出来なくなっていました。
手指を動かして、体位を変えろ、枕を外せなどと合図し、「~するのか?」と尋ねると、イエス、ノーの意思表示があります。

聖書日課の出エジプト記31章12節以下を読み、「なすべき務めを終えて、永遠の安息に入れられるときが来ているのなら、このまま召して下さい。まだ、なすべき務めが残されているのなら、それを果たす力を授けてください。いずれにせよ、神の栄光を拝することが出来ますように」と祈ると、父はアーメンと応じ、笑顔を見せてくれました。

27日(日)午後2時半頃、母から父が呼吸困難になった、血圧も下がっているという連絡が来たので、再び病院を訪ねました。
心不全による苦しみが原因だったようですが、わたしが尋ねたときには、苦しそうな表情を見せているものの、呼吸、血圧などは平常に戻っているようでした。
出エジプト記33章14節の「主が、『わたしが自ら同行し、あなたに安息を与えよう』と言われる』という御言葉で、主が父に共なり、安息を与えて下さるように祈りました。

29日(火)、帰って来た娘を伴って父を見舞いました。
広島の兄、水戸、名古屋の弟たち、北海道の妹も来ていました。
痰を取り除くための吸引を嫌がりますし、痛み止めの注射も拒んでいます。
なんでも、吸引では、余り上手でない看護師さんに喉を傷つけられ、痛い思いをさせられたのだそうです。
また、痛み止めは、意識がもうろうとするのがいやなのだそうです。

そんなこんなで、かなりきつそうでしたが、娘のために、リュウマチで力が入らなくなった手に渾身の力を込めて娘の手を取り、言葉にならない言葉で祝福を祈ってくれました。

出エジプト記35章2節を読み、「主の最も厳かな安息日である」という言葉から、主の全き安息に父を迎えて下さるように、そして主の栄光を見せて下さるように祈ると、アーメンと言い、それまでの苦しそうな表情から、穏やかな笑顔になりました。
水戸の弟家族が病室で賛美したときには、足でリズムを取り、指揮をするように手を振って喜んだそうです。

後から聞いた話では、父は痛み止めの注射を打つよりも、賛美を聞いたり、聖書の御言葉や祈りの方が、よほど平安になると、付き添っていた妹に伝えたそうです。

そして、翌30日(水)朝5時ごろ、妹から父の呼吸が止まったという連絡が入り、5時40分頃、別の妹を通じて、5時35分に死亡が確認されたという連絡がありました。
夜が明けるのを待って、聖書の学びと祈り会を教会役員に委ね、福岡に向かいました。
そして、父の葬儀の予定が、兄弟・家族の都合もあって、30日(水)午後2時に納棺式、7時から前夜式、翌31日(木)午前10時から出棺式、福岡市葬祭場で火葬した後、1月4日(月)午後1時から告別式ということになりました。
 
父02前夜式は、父が所属していた福岡ベタニヤ村教会で、安藤牧師の司式により、30日(水)午後7時から営まれました。
写真は、式後、親族代表で挨拶をする母と兄です。
はじめは家族だけで密葬とか言っていたのですが、最終的にはオープンにしたために、予想を超える百名以上の来会者があり、用意された式次第も讃美歌集も全く足りないという状況でした。
 
父04翌31日(木)、午前11時半過ぎに火葬が始まり、控え室で、集まった家族の写真を撮りました。
司式の安藤牧師ご夫妻、ベタニヤ村教会員の広田さんも加わって下さいました。
娘の介護のために家に残った妹一人を除き、母、兄弟7人とその家族が一枚の写真に収まりました。

この後、遺骨を骨壺に収め、午後1時半頃教会に戻り、会食した後、散会となりました。

父のため、私たちのために祈って下さった皆様に、心から感謝致します。

1月4日(月)の告別式において、父を通して主の御名が崇められることを願っています。
 
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