風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

今日は何の日?

東海道線全線開通の日

1889年の今日7月1日に、東海道本線全線(新橋から神戸まで)が開通しました。
当時は一日一往復で、片道20時間5分という時間がかかったそうです。

自分が東海道本線を列車で初めて走ったのは、1969年3月。
それは、北九州から名古屋へ転居するため、家族で寝台急行列車「阿蘇」(熊本―名古屋)に小倉駅で乗車したときのことです。
上・中・下と三段のB寝台2列に家族9人(両親と7人の子)が寝ての旅です。
13時間かかったと思います。
なかなかの弥次喜多道中でしたが、その話はまたいつか。

翌1970年春、修学旅行で名古屋・笠寺駅から東京に向けて修学旅行列車こまどりに乗車しました。

2年後の1972年8月、教会音楽研修会に参加するため、急行列車「桜島」(鹿児島―東京)で名古屋駅から東京に向かいました。
6時間ほどの旅でした。

これで、東海道本線全線制覇となりました。

翌年も教会音楽研修会に参加しましたが、その時は新幹線を利用しました。
2時間の旅になりました。


開通記念日と言えば、今日は名神高速道路の開通記念日でもあります。
1965年の今日、小牧―西宮間全線が開通しました。

自分が運転する車で初めて名神高速を走ったのは1980年10月のことです。
その年、ビリー・グラハム国際大会が、沖縄、福岡、広島、大阪、名古屋、東京の各地で開催されました。
大阪球場で行われた集いに参加するため、友人を通じて安く譲ってもらった車で、友だち三人と交替しながらのドライブでした。
その後、大阪にいる親戚の家に行くのに、何度も一人で運転して走りました。

名神高速道路の法定路線名は、中央自動車道西宮線と言うそうです。
つまり、東京から長野、岐阜、愛知、滋賀、京都、大阪、兵庫へと通じる中央自動車道の一部ということになっているわけです。
開通記念日に初めて知った事実です。

余談ですが、小牧から中央自動車道を長野・軽井沢に向けて走ったのは、1981年4月のこと。
それは、家内との新婚旅行でしたよ。
まだ雪が残っているようなところも走りましたが、アツアツの旅でした。



近況報告

主治医の都合で予約が変更されて、少し早く受診しました。
病状はなく、検査の結果もそれを裏付けていました。

昨年8月末に病状が発現し、新しい治療を始めて8ヶ月あまり。
昨年末には症状がなくなっていたから、およそ半年、寛解状態が続いてきたことになります。

その前、一昨年末に病状が出て治療し、8月初めに内視鏡検査で寛解を確認して3週間後に症状が出ました。
その前も、内視鏡検査後3週間で症状が見られ、それが2度目の入院(2014年5月のこと)につながりました。

内視鏡検査も持病にとって大きなストレスだということですが、病気が癌に進行する可能性も低くないことから、検査をしないわけにも行かず、それで新しい治療を受け入れたわけで、なかなか気が抜けません。

持病の他にも健康を損ねる要素は様々あるので、健康な生活を心がけていきたいと思います。



話は変わりますが、今日5月20日は世界計量記念日です。
1875年の今日、度量衡の国際的統一を目指してフランスでメートル法に関する条約が締結されました。
条約に加わったのは、当初17カ国でした。

度量衡が統一されることで、国際的なもの作りということでは、大きな意味があると思いますが、しかし、例えばわが国では尺貫法があるように各国固有の度量衡を持っているので、どの国の基準に合わせるのかは、どうでも良い問題ではありません。

フランスがその基準を提案したということは、もの作りなどで国際的に支配する思惑を持っていたということになります。
それが出来る国力を有していたといってもよいでしょう。

ただ、条約締結直前に普仏戦争が勃発、フランスが敗れ、ナポレオン3世は亡命しました。
条約締結の会議はフランスとドイツの政争の場となり、戦争の影響もあって、フランスはメートル法を支配する立場を失います。
その結果、支配権が国際度量衡総会に移されることになりました。
まあ、良かったですね。

条約締結以後、計測学が非常に発達したそうです。

高校2年に進級する春休み、地図を造るための測量会社でアルバイトをしたことがあります。
地図の等高線を引く仕事の他、測量助手として測量用のポールを持って現場に立ち、高低差、距離などの測量に出かけたことがあります。
かなり良いバイト料をいただいたように記憶しています。
それも、メートル法に関する条約締結のお蔭かも?






点字記念日

11月1日は、点字記念日です。

以下の文章は、8年前の今日、ブログに書いたものです。

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点字は、視覚に障害を持つ人のために、平仮名に数字、ローマ字などを、六つの点で表記するものです。
日本語用の点字が定められたのは、今から118年前の1890年(明治23年)のことです。
それまでは、欧米の点字を利用したローマ字綴りによって表記されていたそうです。

当時、官立東京盲唖学校長・小西信八が、かな文字にあった点字の研究を教員や生徒らに依頼したところ、三つの案が出されました。
それらを検討した結果、東京盲亜学校の教員・石川倉次が考案した6点式点字案が、満場一致で正式に日本語の点字として採用されました。
その選考会が開かれたのが、今日なのです。

石川倉次先生はその後、点字器や点字タイプライターを開発し、「日本点字の父」と言われるようになりました。


私は20年ほど前に点字を習い、点字器を使い始め、2年後には点字タイプが打てるようになりました。
6点式点字は、実によく出来ています。
三つの点で母音を、三つの点で子音を表わします。
母音と子音の組み合わせということでは、ローマ字的というか、ハングル文字的といってよいでしょう。

興味のある人は、ウィキペディアの「点字」のページに、50音の点字表がありますので、下記をクリックして、ご覧になって下さい。
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E5%AD%97

点字器を使って点字を打つときは、鉄筆を使って紙に凹みをつけます。
点字を読むときは、その紙を裏返して、凸部を読みます。
そのため、書くときと読むときは、左右が逆転します。
書くときは、右から左に書きますが、読むときは、左から右に読むのです。
初めはごちゃごちゃにもなりましたが、じきに慣れて、読みと書きを正確に使い分けることが出来るようになりました。

点字は、指で触って読むものですが、目が見える人が点字を触っても、先ず読めるものではありません。
視力に障害のある人は、視覚を補うために聴覚や嗅覚、耳や鼻、皮膚感覚、記憶力などが非常に発達するようです。

かつては、栄養不足や病気などで、生まれながら、あるいは幼くして目が不自由という人が多くありましたが、現在は、栄養の摂り過ぎによる病気や事故などにより、中高年で失明されるケースが増えており、けれどもそういう人が指で点字を読めるようになるのは、なかなか困難でしょう。
目の不自由な人が糖尿病になって、指先の感覚が鈍くなり、点字が読めなくなったという話も聞きました。

皆様、食べ過ぎ、飲み過ぎにはお互い、注意しましょうね。

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点字に限らず、障害を持っておられる方々とのコミュニケーション手段を学ぶのは、とてもよいことでしょう。
建物のバリアフリー化、ユニバーサルデザインなど、ハード面に関する研究、実用化は進んでいるようですが、重要なのはソフト面、私たち、人と人の関わり方です。
すべての人に優しくするなどということが出来るはずもありませんが、一点突破、自分の身近なところで出来ることを実行していきたいと思います。

今日が点字記念日と気づいて、改めて考えてみました。
 

即席ラーメンの日

今日8月25日は「即席ラーメンの日」だそうな。
それは、日清食品のチキンラーメンが1958年に発売された日。

発明したのは、安藤百福(ももふく)氏。
氏は台湾出身で日本人女性と結婚、帰化して妻となった女性の姓・安藤を名乗るようになりました。 

妻の仁子さんが天ぷらを揚げているのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる「油熱乾燥法」を発明、お湯を注ぐだけで美味しく食べられる「チキンラーメン」を、58年前の今日、発売したのです。

社名を「日清食品株式会社」としたのは、「日々清らかに、豊かな味を作ろう」という思いからだったそうです。

瞬く間に人気商品となったチキンラーメンを見て、粗悪品、模造品が出回るのを懸念し、商標を登録し、製法特許を取りましたが、その際、113社が特許違反で警告を受けたそうです。
 しかし、6年後に日本ラーメン工業協会を設立して加盟メーカーに特許の使用を許可し、製法を公開します。
それは、「特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」 と考えたからといいます。

それが、今日の日清食品ホールディングスの礎をより強固なものにしたのでしょう。


ラーメンといえば、小学生の頃、マルタイラーメンという棒状のラーメンをよく食べました。
一袋に二食分入っていて35円だったかな(1965年ごろ)。
昼食代を30円もらっていて、一人分では買えないので、兄弟の誰かと一緒にマルタイラーメンとソーセージなどを買って、作って食べるというのが、日曜日の昼食の定番メニューでした。

福岡市西部に本社を置くマルタイは、当然、豚骨味のスープでした。
1954年の発売ということですから、チキンラーメンよりも前のことですね。
URL http://www.marutai.co.jp/products/stick/post_20.php

今でも売られているマルタイラーメンを見ると、昔のことを懐かしく思い出します。




 

1年の折り返し

今日は、1年の折り返し日です。
平年は、正午がちょうど中間点ですが、今年は閏年で、午前0時が中間点でした。

後半の歩みを始めるにあたり、これまで恵みをもって導いてくださった神に感謝します。
昨年末に持病が発症し、その治療で始まった年の初めでしたが、現在、症状もなく順調に過ごせています。
お祈りいただいた皆様に感謝しています。


1915年(大正4年)の今日、西尾商店(現在の亀の子束子西尾商店)の西尾正左衛門が、「亀の子束子」の特許を取得しました。
亀の子束子が発明されたのは1907年(明治40年)のことで、正左衛門の妻が、売れ残っていた棕櫚製の玄関マットを切り取って丸め、掃除に使っていたことがヒントとなったそうです。

棕櫚製の玄関マットも、正左衛門の発案でした。
靴についた泥を落とすのに良いということで初めはよく売れたそうです。
しかし、体重の重い人が乗ったり、何回も使っているうちに棕櫚の葉先が潰れて使い物にならなくなるため、期待したほどは売れなくなってしまいました。

亀の子束子は、「瓢箪から駒」で生まれたものだったわけです。

束子の特許取得の日が記念日に認定され、特別イベントが行われると、亀の子束子西尾商店のサイトにありました。
URL http://kamenoko-tawashi.co.jp/post/2016-06-20-3106.html

亀の子束子は、棕櫚の葉を刈り揃える工程を除いて、すべて手作業で製造されているそうです。
海外30カ国に輸出され、年間600万個売れるという亀の子束子が、百年を超えて、現在も人の手で造られているというのは、想像を超えるすごい話ではないでしょうか。

百年を超えて愛されている理由を解説している文章を見つけました。
URL http://diamond.jp/articles/-/52352
長文ですが、なかなか面白いです。


私たちは、1900年以上前に記された聖書を毎日読んで、養われています。
真実なるものは、歴史を超えて用いられます。
今日もしっかり御言葉をいただきたいと思います。





近況報告

先日、病院に行きました。
朝一番に血液検査。
そのため、朝を抜いて行きます。
採血が終わってから検査結果が出るまで、最低30分以上待たされるので、診察までの間に軽く朝食を摂ります。
今回は、よもぎパンとミニのクリームパンを持って行き、缶コーヒーを買って、自販機コーナーの長椅子に座って食べました。

およそ1時間ほど待って診察。
血液検査の結果は異常なし。
いつも低めに出るCK値も、今回は正常値の範囲内でした。
生活上も、症状は全く見られないので、これで、ステロイド剤がゼロになりました。
一ヶ月様子を見て、症状が発現しなければ、寛解ということになるのでしょう。

リューマチの症状も出ないように願っています。
健康を維持するため、これからも気をつけていきたいと思います。

皆様のお祈りを感謝します。
引き続き宜しくお願いします。

これまでスクワットなどをやっていましたが、最近は、40分程度のウォーキングも日課にしています。
無理をせず、頑張ります。


今日は、世界献血者デーです。
国際赤十字・赤新月社連盟、世界献血団体連盟、国際輸血学会が2004年に制定しました。
この日は、ABO式血液型を発見した生物学者・カール・ラントシュタイナー(ノーベル賞受賞者)の誕生日です(1868年生まれ)。
赤十字社のサイトに、献血者デーの案内があります。
URL http://www.jrc.or.jp/activity/blood/news/160601_004305.html

また、102年前の1914年の今日、5色のオリンピック大会旗が制定されました。
五輪旗制定記念日です。
わたし自身がオリンピックを知ったのは、1964年の東京オリンピックのときです。
あれから既に50年以上経過したわけです。

変わり種は、「手羽先記念日」。
名古屋市で手羽先店チェーン「世界の山ちゃん」を展開する株式会社エスワイフードが制定しました。
これは、「世界の山ちゃん」の創業記念日なのだそうです。
「山ちゃん」は、代表取締役会長・山本重雄さんの愛称でしょう。
「エスワイフード」は、会長のイニシャルですね。
35年前の1981年の今日、名古屋の新栄に4坪13席という屋台のような小さな店で手羽先の唐揚げを売る店が創業しました。
「世界の山ちゃん」のURL  http://www.yamachan.co.jp/index.html

1981年といえば、結婚して新栄で働き始めたときすが、「世界の山ちゃん」の開店は知らなかった。
しかし、今日、日本各地に59店舗、海外に4店舗を展開、資本金9900万円、年商75億円。
この35年で大きく成長されました。
ますますの発展、繁栄をお祈りします。






 

近況報告

先日、診察に行ってきました。
経過は順調です。
また、ステロイドの量を減らします。
これでひと月様子を見て順調ならば、その後、ステロイドがゼロになります。

2年前の今頃は体調が下り坂で、1週間後に入院してました。
半年前、病状が出たとき、早めに対処できたので、ここまで順調にやって来ることが出来ました。

また病状が現れるようなら、これまで試したことのない薬を処方しようと言われました。
そうならないようにしたいと思います。
頑張ります!

手指のこわばりもないので、ありがたいです。



今日は5月9日(月)、語呂合わせで黒板の日です。
全国黒板工業連盟が16年前、黒板の良さをPRするために制定したのだそうです。

35年ほど前は、中学校の教員でした。
勤めていた学校の木造校舎が、鉄筋に建て変わリました。
黒板も綺麗な緑色のボードになりました。
でも、緑板と言わず黒板と呼んでました。

黒板の工業連盟があること、全国で33社が加盟し、賛助会員が15社あるということを、今日初めて知りました。
グリーンの黒板の商品名が「緑板」ではなくて、スチール・グリーン黒板ということも。
もう、真っ黒の黒板は製造されていないようです。
需要がないということですね。







 

信用金庫の日

今日6月15日は、「信用金庫」の日です。
1951年の今日、信用金庫法が公布・施行されたことに因み、翌年6月20日の第1回全国信用金庫大会において制定されたものです。

信用金庫とは、信用金庫法に基づく会員の出資による営利を目的としない協同組織の地域金融機関です。営業地域が一定の地域に限定されている、中小企業ならびに個人のための専門金融機関で、大企業や営業地域外の企業・個人には融資ができないという制限があります。これは、「地域で集めた資金を地域の中小企業と個人に還元することにより、地域社会の発展に寄与する」という信用金庫の目的のためです。

当時、無尽会社が相互銀行、信託会社が信託銀行と、大半が「銀行」に名称変更したのに対し、当時の信用組合の関係者は、「儲け主義の銀行に成り下がりたくない」という強いプライドから、「信用銀行」という案を拒否し、そこで当時の舟山正吉銀行局長から、「金は銀よりも上」として、政府機関だけしか使っていなかった金庫という名称を許され、「信用金庫」という名称になったそうです。


信用金庫といえば、40年ほど前の1973年12月に発生した取り付け騒ぎを思い出します。何でも、信用金庫に就職が決まったという高校生を、同級生がからかって、「信用金庫は危ないよ」といったことが、その騒ぎの始まりでした。それも、防犯体制が十分じゃないのではないかという意味で、それも冗談だったのですが、そう言われた高校生は、冗談を真に受けて、親族に信用金庫は危ないのかと尋ねました。

尋ねられた親族は、経営状態のことと勘違いし、信金本店近くに住む親族に、信用金庫は危ないのかと尋ねました。そう尋ねられた親族は、美容院のマスターに信用金庫は危ないらしいと話し、マスターが自分の親族に信用金庫は危ないらしいと話しているのを、洗濯業者が耳にし、家でそれを話します。そうこうしているうちに、町のあちこちで信用金庫は危ないと、断定調に噂話が広がりました。

そんな折、たまたま、仕事の支払いで100万円余り下すよう指示する電話をかけているのを聞いた人が、信用金庫が倒産するのでお金を下していると勘違いし、慌てて自分も預金を引き出し、そのことを周囲に話しました。その話を聞いたアマチュア無線家が、無線機を使って広範囲に広めてしまいます。それで預金者数十人が窓口に殺到、瞬く間に5000万円が引き出されました。

その後、職員の使い込みが原因とか、理事長が自殺したなどというデマが飛び交い、短時日のうちに20億円が引き出されるという騒ぎになりました。

信用金庫の依頼を受けたマスコミ各社が、経営状態がよくないという噂はデマであると報道します。また、 大蔵省東海財務局長と日本銀行名古屋支店長が連名で同信金の経営保障をしました。特に、自殺したと噂された理事長自らが窓口対応に立ったことも奏功し、事態は沈静化に向かいました。

その後、警察がデマの伝搬ルートを捜査し、上記のような状況であったことが判明しました。

1073年当時、オイルショックによる不景気で社会が不安定になっており、トイレットペーパー騒ぎも発生しました。


当時住んでいた愛知県内で発生した事件で、大学入試前、同世代の学生の会話が発端となった出来事だったので、よく憶えています。



全国信用金庫協のサイトに、信用金庫と銀行の違いや、信用金庫の制度、ビジョン、生い立ち、そして、信用金庫の日などの説明のページがありました。
URL http://www.shinkin.org/shinkin/index.html




 

点字ブロックの日

今日は点字ブロックの日。
2010年に日本記念日委員会の認定を受けました。

点字ブロックは視覚障碍者の歩行の安全確保と社会進出促進のために岡山で発明され、48年前、1967年の今日、岡山盲学校のそばの国道2号線の歩道に、世界で初めて敷設されました。

岡山県視覚障害者協会のサイトにそのことが記されています。
URL  http://www.ossk-33.jp/tenji-block.html

現在、全国の様々なところに点字ブロックが敷設されていますが、その意味が周知徹底されているとは言い難いところがあります。
点字ブロック上に、たとえば自転車とか店の商品など、様々な障害物となるものが置かれていることがあります。敷設した業者が交差点に設置する警告ブロックを誘導ブロックと取り違え、危険な状態になっていたということもありました。

お互いに理解を深め、どんな社会的弱者にも優しい社会環境づくりに協力出来たらよいなあと、改めて思います。







状況報告

今日、およそ2か月ぶりに病院で診察を受けて来ました。
退院後8か月経ちますが、病状は全くなく、安定しています。

血液検査で、前回異常値を示したALPは、改善はみられるもののまだ高いところにあります。 
また、改善の見られた貧血を示す値が、少し悪化しました。
ステロイドや免疫抑制剤の使用を辞めて半年になりますが、持病の影響でALPが高くなることもあるようなので、まだ気を許すことが出来ないということなのでしょうね。

今日はバスを利用して病院に行ったのですが、ちょっとしたカーブのところで体が外に振られて転びそうになってしまいました。
足腰が弱っているのかなと思いました。
ここしばらく散歩をさぼっていましたが、頑張りたいと思います。

次は4月中旬に受診する予定です。


ところで、 今日2月20日は、世界社会正義の日です。
2007年に国連の総会で 毎年2月20日を国際デーの「世界社会正義の日」(World Day of Social Justice)に制定し、貧困削減や、男女同権、国際労働機関の定める労働者の権利といった社会正義の尊重の向上を確認しました。
世界には、社会的な弱い立場に置かれ、不当な扱いに甘んじなければならない人々が数多くいます。
先住民、移民、難民、障碍者、女性や子どもなど。

貧富などの格差は拡大しており、国連の総会決議が重んじられているとは考えられません。
昨年の「世界社会正義の日」になされた、国際労働機関(ILO)事務局長の声明がネットに公開されていました。
URL http://www.ilo.org/tokyo/about-ilo/director-general/WCMS_248139/lang--ja/index.htm

また、ワールドビジョンのサイトに、障碍を持つ子どもに対する取り組みが紹介されています。
URL http://www.worldvision.jp/news/news_0571.html

世界に社会正義が行われるよう、正義と公正な社会が築かれるよう、お祈りします。




 
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