風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

今日は何の日?

静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に11月4日(日)主日礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。

②「今週の報告」、「今月の御言葉」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。


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今日11月7日は、立冬になることが多いことと、「いい(11)なべ(7)」の語呂合わせから、食品メーカー・ヤマキが「鍋の日」、日本畜産副産物協会が「もつ鍋の日」として制定したそうです。
また、朝日新聞社がちょうど30年前の今日、、『朝日現代用語 知恵蔵』を発刊した時に「知恵の日」に制定しました。

どのようにこの記念日を守って欲しいのか、制定した会社、団体のサイトにアクセスしてみましたが、制定者自ら、既に完全に忘れてしまっています。制定した痕跡も残されていませんでした。
残念な結果です。

今日が誕生日の方々をはじめ、様々な記念日を迎えられる方々に祝福が豊かにありますように。



静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に10月28日(日)秋の特別礼拝の礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。

②「今週の報告」、「フォトギャラリー」を更新しました。

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以前記したことをもう一度。

10月31日は、ハロウィンです。
Wikipeddiaによれば、「ハロウィン 、あるいはハロウィーン(Halloween, Hallowe'en) は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前夜(10月31日)に行われる伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった」そうです。

もともとは、ケルト人の収穫感謝祭でしたが、それをカトリック教会が教会行事として取り入れたのだそうです。ケルト族の一年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていました。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚火を焚きました。

これに因み、31日の夜、南瓜をくり抜いて作ったジャック・オー・ランタン(お化けカボチャ)に蝋燭を立て、魔女やお化けに仮装した子ども達が、「Trick or Treat(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を一軒ずつ訪ねます。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供達はもらったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりするそうです。

日本では、1990年代から次第に知られるようになったということですが、日本の場合は、母の日も、バレンタインもハロウィンも、そしてクリスマスまでも商業ベースに乗って行われているので、教会がもう少ししっかりと福音宣教を進めていかなければと思います。


その意味では、むしろ、宗教改革記念日であることを強調していくべきなのでしょう。
1517年と言いますから、今から501年前の今日、マルチン・ルターがヴィッテンベルクの城教会の門に「95か条の論題」を貼り付けて、ここから宗教改革が始まりました。

ルターは、カトリックに対抗するプロテスタントを起こそうと考えていたわけではありませんでしたが、神が教会を清めるために、宗教改革の業を起こされたわけです。

聖書主義を唱え、誰もが聖書を読めるようにとドイツ語訳新約聖書を出版したことが、キリスト教界にどれほど大きな影響を与えたか分りません。ラテン語訳だけが聖典とされていたものが、それ以後、各国の言葉で読めるようになっからです。

現在、私たちが御言葉と祈りによる交わりを提唱して、日々聖書日課に励んでいるのは、ルターのお蔭と言ってもよいでしょう。そして、その背後に神様の導きがあったわけです。ハレルヤ! アーメン

ただ、教会学校に来る子ども達に、「10月31日は何の日?」と聞くと、皆「ハロウィン」と答えて、「宗教改革記念日」とは答える子どもはいないと、福音ルーテル教会の牧師がつい先日言っていました。ルーテル派でもそうであるなら、本当にもっと「宗教改革記念日」を強調していかなくちゃ!




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①「礼拝説教」に10月14日(日)主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。

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今日10月16日は、世界食糧デー(World Food Day)です。

国際デーの一つで、1981年に国連食糧農業機関(FAO)が制定しました。

1945年のこの日、FAOが設立されたのです。

世界食糧デーは、世界の一人ひとりが協力しあい、最も重要な基本的人権である「食料への権利」を現実のものにし、世界に広がる飢餓、栄養不良、極度の貧困を解決することを目的としています。

毎年、世界食料デーの前後には、食料問題に関する国際的な政策を話し合う「世界食料安全保障委員会(CFS)」が開催されるほか、世界各地でイベントが実施されます

ハンガーフリーワールド(「世界食糧デー月間」事務局)のサイトがありました。
URL http://worldfoodday-japan.net/about/


ごらんください。





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①「礼拝説教」に10月7日(日)主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画を掲載しました。

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今日10月9日は、世界郵便デー(万国郵便連合記念日):World Post Dayです。

万国郵便連合(Universal Postal Union)が、1969年に「UPUの日」として制定し、1984年に「世界郵便デー」と名称を変更しました。1874(明治7)年のこの日、全世界を一つの郵便地域にすることを目的に、万国郵便連合が発足しました。

日本は、1887(明治10)年2月19日に加盟しました。世界で23番目、アジアで最初の加盟国でした。戦前に脱退しましたが、戦後、1948年6月1日に再加盟しました。

 
誰もが自由に郵便を出し、受け取れるという制度が何時、どのように整備されたのか、諸説あるようですが、その前身である飛脚・駅伝制度は、ペルシア帝国のキュロス王がその創始者だと言われます。

キュロスは、広大な帝国を中央集権的に統治するのは容易くないと考え、行政地域を分割してそれぞれに長官を立て、その間に騎馬伝令をリレー式で走らせて情報の伝達を高速化することで、不測の事態に素早く対応できるようにしました。

そのため、騎馬伝令が休まずに走れる平均的な距離を計算し、その区間ごとに厩と宿舎を建てて伝令を駐在させ、情報を伝達させることで、ペルシアの首都スサとメディアの首都エクパタナ間450kmを一日半で繋ぐことに成功しました。

この騎馬伝令が王の勅書を帝国中に届ける様子について、エステル記8章9,10節(3章12~15節も参照)に見ることができます。

2500年前に創始された郵便制度の前身について、聖書で確認できるとは、ちょっとびっくりですね。


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教会URL https://shizuoka-baptist.jimdo.com/


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*1月16日は、7月16日と共に「藪入り」といいます。

薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公をしていた丁稚や女中など奉公人が、実家へと帰ることのできた休日です。旧暦の1月16日と7月16日がその日に当たっていました。7月のものは「後の藪入り」とも言われます。

藪入りの習慣が都市の商家を中心に広まったのは、江戸時代です。本来は奉公人ではなく、嫁取り婚において嫁が実家へと帰る日だったとされます。それが、都市化の進展に伴って、商家の習慣へと転じました 。

藪入りがこの二日となったのは、旧暦の1月15日が小正月、7月15日がお盆という重要な祭日で、嫁入り先、奉公先での行事を済ませた上で、実家でもその行事に参加できるようにという意図だったようです。

藪入りの語源には諸説あって、はっきりしてはいないようです。藪の深い田舎に帰るからという説や、「宿入り」(実家へ帰る)が訛ったものなどという説があります。なお、大奥の女性たちが実家に帰ることは「宿下がり」と呼ばれました。

旧暦の正月を大正月、1月15日を小正月といいます。旧暦では、新月から次の新月までを一ヶ月としています。古来、満月には特別な力があってめでたいものと考えられていました。そこで、中国の暦が導入される前、一年の初めの満月の日を元日としていたと考えられ、その名残りが「小正月」の起源だとされています。

大正月を「男の年取り、男の正月」、小正月を「女の年取り、女の正月」と呼ぶ地域もあるそうです。それは、大正月に忙しく立ち働いた女性たちを労い、休みを与えるという意味のものだったようです。

太陽暦が採用されて1月15日は満月と限らなくなりましたし、家族の構成、生活習慣も激変してしまっていますが、「藪入り」、「女の正月」という福祉的な配慮の仕方、習慣は大切にしたいものです。



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10月10日は「目の愛護デー」です。
中央盲人福祉協会が1931年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現在の厚生労働省)が「目の愛護デー」と改称したものです。
その由来は、「10 10」を横に倒すと、眉と目のかたちになるからだそうです。
なるほど。

また、1963年のこの日、アイバンク(Eye bank) が開設されました。
アイバンク とは、角膜移植によってしか視力を回復できない患者のために、死後、眼球を提供することに本人または遺族の同意を得て、移植を待つ患者に斡旋する公的機関のことです。
日本でのアイバンクは、厚生労働大臣の許可を受けて運営される「眼球あっせん業」で、眼球銀行ともいいます。
眼球を提供するのですが、使用されるのは角膜です。
そのため、近眼、老眼など、視力は問題ではありません。
また、眼球摘出後に義眼をはめるので、外見上の変化もないそうです。
提供された眼球の角膜は、疾患の有無や角膜の細胞の異常などが調べられた後、利用施設に連絡され、角膜移植等に利用されます。

現在、北海道から沖縄まで54箇所のアイバンクが登録されています。
因みに、静岡県は浜松医科大学医学部付属病院内に設置されています。
献眼の方法を含め、アイバンクについての詳細は、「日本アイバンク協会」のサイトを御覧ください。


東海道線全線開通の日

1889年の今日7月1日に、東海道本線全線(新橋から神戸まで)が開通しました。
当時は一日一往復で、片道20時間5分という時間がかかったそうです。

自分が東海道本線を列車で初めて走ったのは、1969年3月。
それは、北九州から名古屋へ転居するため、家族で寝台急行列車「阿蘇」(熊本―名古屋)に小倉駅で乗車したときのことです。
上・中・下と三段のB寝台2列に家族9人(両親と7人の子)が寝ての旅です。
13時間かかったと思います。
なかなかの弥次喜多道中でしたが、その話はまたいつか。

翌1970年春、修学旅行で名古屋・笠寺駅から東京に向けて修学旅行列車こまどりに乗車しました。

2年後の1972年8月、教会音楽研修会に参加するため、急行列車「桜島」(鹿児島―東京)で名古屋駅から東京に向かいました。
6時間ほどの旅でした。

これで、東海道本線全線制覇となりました。

翌年も教会音楽研修会に参加しましたが、その時は新幹線を利用しました。
2時間の旅になりました。


開通記念日と言えば、今日は名神高速道路の開通記念日でもあります。
1965年の今日、小牧―西宮間全線が開通しました。

自分が運転する車で初めて名神高速を走ったのは1980年10月のことです。
その年、ビリー・グラハム国際大会が、沖縄、福岡、広島、大阪、名古屋、東京の各地で開催されました。
大阪球場で行われた集いに参加するため、友人を通じて安く譲ってもらった車で、友だち三人と交替しながらのドライブでした。
その後、大阪にいる親戚の家に行くのに、何度も一人で運転して走りました。

名神高速道路の法定路線名は、中央自動車道西宮線と言うそうです。
つまり、東京から長野、岐阜、愛知、滋賀、京都、大阪、兵庫へと通じる中央自動車道の一部ということになっているわけです。
開通記念日に初めて知った事実です。

余談ですが、小牧から中央自動車道を長野・軽井沢に向けて走ったのは、1981年4月のこと。
それは、家内との新婚旅行でしたよ。
まだ雪が残っているようなところも走りましたが、アツアツの旅でした。



近況報告

主治医の都合で予約が変更されて、少し早く受診しました。
病状はなく、検査の結果もそれを裏付けていました。

昨年8月末に病状が発現し、新しい治療を始めて8ヶ月あまり。
昨年末には症状がなくなっていたから、およそ半年、寛解状態が続いてきたことになります。

その前、一昨年末に病状が出て治療し、8月初めに内視鏡検査で寛解を確認して3週間後に症状が出ました。
その前も、内視鏡検査後3週間で症状が見られ、それが2度目の入院(2014年5月のこと)につながりました。

内視鏡検査も持病にとって大きなストレスだということですが、病気が癌に進行する可能性も低くないことから、検査をしないわけにも行かず、それで新しい治療を受け入れたわけで、なかなか気が抜けません。

持病の他にも健康を損ねる要素は様々あるので、健康な生活を心がけていきたいと思います。



話は変わりますが、今日5月20日は世界計量記念日です。
1875年の今日、度量衡の国際的統一を目指してフランスでメートル法に関する条約が締結されました。
条約に加わったのは、当初17カ国でした。

度量衡が統一されることで、国際的なもの作りということでは、大きな意味があると思いますが、しかし、例えばわが国では尺貫法があるように各国固有の度量衡を持っているので、どの国の基準に合わせるのかは、どうでも良い問題ではありません。

フランスがその基準を提案したということは、もの作りなどで国際的に支配する思惑を持っていたということになります。
それが出来る国力を有していたといってもよいでしょう。

ただ、条約締結直前に普仏戦争が勃発、フランスが敗れ、ナポレオン3世は亡命しました。
条約締結の会議はフランスとドイツの政争の場となり、戦争の影響もあって、フランスはメートル法を支配する立場を失います。
その結果、支配権が国際度量衡総会に移されることになりました。
まあ、良かったですね。

条約締結以後、計測学が非常に発達したそうです。

高校2年に進級する春休み、地図を造るための測量会社でアルバイトをしたことがあります。
地図の等高線を引く仕事の他、測量助手として測量用のポールを持って現場に立ち、高低差、距離などの測量に出かけたことがあります。
かなり良いバイト料をいただいたように記憶しています。
それも、メートル法に関する条約締結のお蔭かも?






点字記念日

11月1日は、点字記念日です。

以下の文章は、8年前の今日、ブログに書いたものです。

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点字は、視覚に障害を持つ人のために、平仮名に数字、ローマ字などを、六つの点で表記するものです。
日本語用の点字が定められたのは、今から118年前の1890年(明治23年)のことです。
それまでは、欧米の点字を利用したローマ字綴りによって表記されていたそうです。

当時、官立東京盲唖学校長・小西信八が、かな文字にあった点字の研究を教員や生徒らに依頼したところ、三つの案が出されました。
それらを検討した結果、東京盲亜学校の教員・石川倉次が考案した6点式点字案が、満場一致で正式に日本語の点字として採用されました。
その選考会が開かれたのが、今日なのです。

石川倉次先生はその後、点字器や点字タイプライターを開発し、「日本点字の父」と言われるようになりました。


私は20年ほど前に点字を習い、点字器を使い始め、2年後には点字タイプが打てるようになりました。
6点式点字は、実によく出来ています。
三つの点で母音を、三つの点で子音を表わします。
母音と子音の組み合わせということでは、ローマ字的というか、ハングル文字的といってよいでしょう。

興味のある人は、ウィキペディアの「点字」のページに、50音の点字表がありますので、下記をクリックして、ご覧になって下さい。
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%B9%E5%AD%97

点字器を使って点字を打つときは、鉄筆を使って紙に凹みをつけます。
点字を読むときは、その紙を裏返して、凸部を読みます。
そのため、書くときと読むときは、左右が逆転します。
書くときは、右から左に書きますが、読むときは、左から右に読むのです。
初めはごちゃごちゃにもなりましたが、じきに慣れて、読みと書きを正確に使い分けることが出来るようになりました。

点字は、指で触って読むものですが、目が見える人が点字を触っても、先ず読めるものではありません。
視力に障害のある人は、視覚を補うために聴覚や嗅覚、耳や鼻、皮膚感覚、記憶力などが非常に発達するようです。

かつては、栄養不足や病気などで、生まれながら、あるいは幼くして目が不自由という人が多くありましたが、現在は、栄養の摂り過ぎによる病気や事故などにより、中高年で失明されるケースが増えており、けれどもそういう人が指で点字を読めるようになるのは、なかなか困難でしょう。
目の不自由な人が糖尿病になって、指先の感覚が鈍くなり、点字が読めなくなったという話も聞きました。

皆様、食べ過ぎ、飲み過ぎにはお互い、注意しましょうね。

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点字に限らず、障害を持っておられる方々とのコミュニケーション手段を学ぶのは、とてもよいことでしょう。
建物のバリアフリー化、ユニバーサルデザインなど、ハード面に関する研究、実用化は進んでいるようですが、重要なのはソフト面、私たち、人と人の関わり方です。
すべての人に優しくするなどということが出来るはずもありませんが、一点突破、自分の身近なところで出来ることを実行していきたいと思います。

今日が点字記念日と気づいて、改めて考えてみました。
 

即席ラーメンの日

今日8月25日は「即席ラーメンの日」だそうな。
それは、日清食品のチキンラーメンが1958年に発売された日。

発明したのは、安藤百福(ももふく)氏。
氏は台湾出身で日本人女性と結婚、帰化して妻となった女性の姓・安藤を名乗るようになりました。 

妻の仁子さんが天ぷらを揚げているのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる「油熱乾燥法」を発明、お湯を注ぐだけで美味しく食べられる「チキンラーメン」を、58年前の今日、発売したのです。

社名を「日清食品株式会社」としたのは、「日々清らかに、豊かな味を作ろう」という思いからだったそうです。

瞬く間に人気商品となったチキンラーメンを見て、粗悪品、模造品が出回るのを懸念し、商標を登録し、製法特許を取りましたが、その際、113社が特許違反で警告を受けたそうです。
 しかし、6年後に日本ラーメン工業協会を設立して加盟メーカーに特許の使用を許可し、製法を公開します。
それは、「特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」 と考えたからといいます。

それが、今日の日清食品ホールディングスの礎をより強固なものにしたのでしょう。


ラーメンといえば、小学生の頃、マルタイラーメンという棒状のラーメンをよく食べました。
一袋に二食分入っていて35円だったかな(1965年ごろ)。
昼食代を30円もらっていて、一人分では買えないので、兄弟の誰かと一緒にマルタイラーメンとソーセージなどを買って、作って食べるというのが、日曜日の昼食の定番メニューでした。

福岡市西部に本社を置くマルタイは、当然、豚骨味のスープでした。
1954年の発売ということですから、チキンラーメンよりも前のことですね。
URL http://www.marutai.co.jp/products/stick/post_20.php

今でも売られているマルタイラーメンを見ると、昔のことを懐かしく思い出します。




 
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