風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

今日の御言葉

4月13日(金) サムエル記下8章

「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。」 サムエル記下8章15節

 ダビデは西のペリシテを討ち、「メテグ・アンマ」を奪いました(1節)。メテグ・アンマとは、「アンマの手綱」という意味です。並行箇所の歴代誌上18章1節では、「ガトとその周辺の村落」とされています。

 アンマは、腕尺(肘から指先まで)と言われる長さの単位(1アンマは約45㎝)で、ペリシテの首都ガトとその周辺、1アンマといわれるほどにそば近くにある村落、放牧地を「メテグ・アンマ」と言い、それを征圧してイスラエルの支配下においたということなのでしょう。

 次いで東のモアブを討ち、兵の三分の二を殺しました(2節)。かつて、ダビデはサウルの前に逃避行をしていた時、両親をモアブに王に託していたことがあり、それは友好関係を示すものでした。そもそも、ダビデの曾祖母はモアブ人ルツです。モアブを打った理由はよく分かりません。あるいは、両親の処遇にダビデが憤りを覚えていて、報復を考えていたというようなことなのでしょうか。

 その次に、北のツォバを討ちました(3節)。ツォバは、ダマスコとハマトの間にあったアラム人の都市国家です。ダビデは多くの兵を捕虜としましたが、馬は100頭を残して後は処分しました(4節)。それは「王は馬を増やしてはならない」という申命記17章16節の規定に基づいているのです。また、ユダの山岳地帯では、多数の戦車を所有しても利用出来ないと考えたのかも知れません。

 ツォバに援軍を送ったダマスコのアラム軍も討ち、隷属させました(5,6節)。勢力を回復しようとして北に向かって行動を起こし(3節)、ツォバと交戦中だったハマトの王トイからは、ダビデの戦勝を祝う品が届き、友好関係が築かれます(9,10節)。

 その後、南のエドム軍を塩の谷で討ちました(13節)。「アラムを討って帰る途中」(13節)とありますが、「塩の谷」はユダの南方ベエル・シェバの東に延びる谷なので、エルサレムを通り過ぎて、あるいは迂回路を通って、塩の谷でエドムを迎え撃ったということになります。

 歴代誌上18章12節では、エドム軍を討ったのがツェルヤの子アブシャイとなっています。であれば、ダビデの別動隊による攻撃ということになります。また、詩編60編1節の表題には、ヨアブが司令官だったように記されています。資料が錯綜しているようですが、いずれにしても、ダビデの代にエドムが討たれ、かくて四方を平定することが出来ました。

 このように、主はダビデの行く先々で勝利を与えられました(14節)。7章9,11節で約束されたことが実現したかたちです。これらの戦いがどのようにして引き起こされたのか、何も記されてはおりません。しかし、ダビデに率いられたイスラエル軍がこれら広範囲に及ぶ戦いに打ち勝った結果、約束の地イスラエルに待望の平和が訪れたのです。

 そこで、ダビデは冒頭の言葉(15節)のとおり「王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行」いました。「裁きと恵みの業」とは、直訳すれば「公正と正義」(ミシュパート・ウ・ツェダカー,岩波訳「正義と公平」)という言葉で、民を正しく公平に裁き、民のために良い治世を行うことです。

 国を継続的に安定させ、よい政治を行うために、軍の司令官としてヨアブ、補佐官にヨシャファト(16節)を任命します。祭司はツァドクとアヒメレク。セラヤを書記官(17節)、ベナヤをクレタ人とペレティ人の監督官としました(18節)。

 こうして、イスラエル王国の行政機構が整えられていきました。政治的指導者のリストに、祭司が入れられているのが、まさにその政治が「公正と正義」に基づいたものとなるための鍵だったのです。ここに、7章8節以下で神が預言者ナタンを通してダビデに語られた預言の言葉が、一つ一つ実現しています。

 任官リストの最後に、「ダビデの息子たちが祭司となった」(18節)と記されています。ダビデはユダ族なので、彼の息子たちが祭司となるというのは少々不思議です。神は聖所の仕事のすべてをレビ族に委ね(民数記1章47節以下)、祭司の務めをなすのは、レビ族の中でも油注がれたアロンとその子らに限られていたからです(同3章3節)。

 けれども、ダビデ自身、主の御前で踊ったとき、祭司が身につけるエフォドを着ていましたし(6章14節、出エジプト28章6節以下)、主の箱を天幕に安置した後、主の御前に祭壇を築き、献げ物をささげています(6章17節)。ダビデが祭司と呼ばれたことはありませんが、そのときは明らかに祭司の務めを果たしており、それが許されています。

 ダビデの子らについて、どのような務めを聖所で果たしたのか、全く不明です。あるいは、一時的に祭司ツァドクとアヒメレクの補佐役として、その役割を果たすことがあったということではなのかも知れません。20章26節では、ダビデの子らに代わって「ヤイル人イラもダビデの祭司」とされています。

 ダビデの子孫には、永遠の救いの源であり、偉大な大祭司となられた主イエス・キリストがおられます。主イエスは、「メルキゼデクと同じような大祭司」(ヘブライ5章9~10節、6章20節~7章28節)と呼ばれました。

 そうすると、ダビデの息子たちが祭司となったのは、ダビデを含むすべての者の罪の呪いを一心に身に受け、十字架でその規定もろとも破棄し、凱旋の行進に加えてくださった(コロサイ2章13~15節)、神の御子キリスト・イエスの出現を予告するものだったのではないでしょうか。

 主キリスト・イエスの贖いによって救いに与った私たちは「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神の者となった民」(第一ペトロ書2章9節)です。「裁きと恵みの業(公正と正義)」をもって私たちの宮、教会において主に仕え、聖別された神の家族に仕える者です。その恵み、その喜びを、主にあって広く証しして参りましょう。

 主よ、私たちのために自らを生贄として十字架に死なれた主イエスが、私たちの大祭司として常に神の右にいて執り成し祈り、支えてくださることを、心から感謝致します。主のご愛に支えられて、私たちも互いに愛し合い、仕え合うことを通して、主の弟子であることを証しさせてください。主の御名が崇められますように。 アーメン

 

4月12日(木) サムエル記下7章

「わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。」 サムエル記下7章6節

 無事に主の箱をダビデの町エルサレムに運び上げ、ダビデの張った天幕の中に安置して、献げ物をささげ終わると(6章17節)、ダビデは王宮に住み、主が周囲を平定して彼に安らぎをお与えになりました(1節)。

 そこで、ダビデは預言者ナタンを呼んで「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」(2節)と言いました。これは、主なる神のために神殿を建てたいということです。

 荒れ野を旅している間は勿論、約束の地に入ってからも、絶えずペリシテやアマレクなどの外敵に脅かされて来ました。なかなか、安定した生活を営むことが出来ませんでした。だから、神殿を建てようという余裕もなかったし、やろうとしても出来る相談ではなかったのです。

 ここに、ダビデのもとでイスラエルが統一され、主が周囲の敵を退けて安息をお与えになりましたから、ようやく神殿を建てることが出来るようになったというわけです。ダビデの思いを知ったナタンは、ダビデの思い通りにしたらよいと言いました(3節)。しかし、それは主なる神の御旨に適うところではありませんでした。

 その夜、主なる神がナタンに「幻」(4節以下、17節)を通して語りかけ、冒頭の言葉(6節)のとおり、出エジプト以来、主は家に住まず、主は幕屋を住みかとして歩んできたと告げられます。さらに言葉をつないで、イスラエルの民と共に歩んで来る間、一度たりとも、レバノン杉の家を建てよと命じたことはないだろうと言われます(7節)。

 このことで、家と幕屋、住むと歩むを対比させて、主は恒久的な建物の中にご自分を置くよりも、天幕と神の箱に象徴される、民の中に、民と共に住まわれ(出エジプト記25章8節)、民を導いてどこへでも自由に歩まれるお方であり、その主権を譲るつもりなどないこと、ゆえに、主を礼拝するのに建物が問題ではないということが示されます。

 むしろ主は、ダビデをイスラエルの指導者としたのは主であること(8節)、ゆえに、ダビデがどこに行っても共にいて、行く手から敵をすべて断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えると、祝福を約束されました(9節)。

 名声を与えるという祝福を具体的に、主がダビデのために家を興すと言われます(11節)。ダビデのための「家」とは、ダビデ家=ダビデ王朝を意味していて、主のために家を建てたいというダビデに、家を建てるのは主であると宣言されたかたちです。

 「その王国を揺るぎないものにする」(12節)、「彼の王国の王座をとこしえに固く据える」(13節)「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに固く据えられる」(16節)が、主の祝福の確かさを明示しています。

 さらに、「わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが,そのようなことはしない」(15節)と言われます。「慈しみ」は「ヘセド」という言葉で、ダビデに与えられる祝福が、ダビデの働きや信仰、王としての姿勢への報いなどではなく、一方的に与えられる恵みだということです。

 それで、主なる神は、金輪際、神殿を建てようなどと考えてはならないと仰ったわけではありません。彼の後に立てられる者が「わたしの名のために家を建て」(13節)ると言われます。この「家」は、神の家、神殿のことです。

 神殿建築が、主がダビデの家を堅く立て、その王座をとこしえに堅く据えられるしるしということですが(13節)、神殿があるからダビデの家が常に祝され、イスラエルの国が守られ、その民に安らぎが授けられるということではありません。

 神礼拝が疎かになり、御言葉が蔑ろにされれば、神殿があっても国は破れ、都は焼かれてしまうのです。それは、かつて神の箱がイスラエル軍を守らず、むしろ神の箱をペリシテに奪われてしまったのと同様です(サムエル記上4章)。

 ダビデは、預言者ナタンを通して告げられた主の御言葉を聴いて、感謝の祈りをささげます(18節以下)。ダビデが願ったのは神殿を建てたいということであって、自分の家を興し、礎を確かにしたいということではなかったからです。もっとも、そう願った背景に、王朝の礎が堅固な者となるようにという思いがなかったとは言い切れませんが。

 そのことで、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉を思い出します。

 神殿を建てたいというダビデの申し出を主が受け入れられなかったことについて、歴代誌上28章3節に、「あなたは戦いに明け暮れ、人々の血を流した。それゆえ、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と記されています。これは、戦いに手を染めた者の手ではなく、平和に仕える者の手で神殿を建てたいということでしょう(同22章6節以下も参照)。

 だから、平和(シャローム)という言葉に由来を持つソロモン(シェロモー)に、神殿を建てさせたのです。とはいえ、ダビデと主なる神との間では、神殿を必要としないほどに、主がダビデの心の内に住まわれ、ダビデの心も主と共にあったということでしょう。

 その意味で、ダビデの子ソロモンが主のために壮麗な神殿を建てるのは、ダビデが願ったことであり、主がダビデの身から出た子に建てさせると言われた約束が成就したことではあるのですが、それがかえって、見えるものにとらわれ、かたちあるもので自分の功績を誇示しようとする誘惑になったのではないかと見ることも出来そうです。

 心して主を仰がなければなりません。絶えず御名を崇め、心から賛美と祈りを主にささげましょう。その御言葉に耳を傾け、その実現を誠実に祈り願いましょう。

 今日、神は私たちの体を、聖霊の宿る神殿とされました(第一コリント書3章16節、6章19節、第二コリント書6章16節)。主を心の王座に迎え、主と深く交わり、霊とまことをもって主を礼拝しましょう。主の霊に満たされて前進しましょう。

 主よ、私たち静岡教会は60数年前、この地に教会堂を建て、福音宣教の業に励んで参りました。私たちは、何よりも先ず、主の御顔を慕い求め、主を愛し、喜びをもって主に仕える教会となりたいと思います。この教会が、この地の祈りの家として用いられ、また讃美溢れる教会となりますように。そして、教会を形成する信徒一人一人が主の恵みを証しする者になれますように。その使命を全うするために、聖霊に満たし、上よりの知恵と力に与らせてください。 アーメン

 

4月11日(水) サムエル記下6章

「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。」 サムエル記下6章14節

 ダビデは、イスラエルの精鋭3万を集めました(1節)。それは、長い間バアレ・ユダ(別名キルヤト・エアリム:「森の町」の意、ヨシュア記15章9節など)のアビナダブの家に安置されていた主の箱を、エルサレムに運び上げるためです(サムエル記上7章1節参照)。

 3万もの精鋭を引き連れて行ったのは、彼らに主の箱を運ばせるためではありません。主の箱を運ぶ際の不測に事態に備え、主の箱を守るためのことです。そしてまた、すべての者が万軍の主なる神の前にひれ伏すようにという、ダビデの信仰の表明でもあろうと思われます。

 彼らは主の箱を新しい車に乗せて運び出し、アビナダブの子ウザとアフヨが車を御していました(3節)。「アフヨは箱の前を進んだ」(4節)ということですから、車の前を歩き、牛の手綱を持っていたのでしょう。ということは、ウザが箱の後ろ、つまり、車の後ろを歩いて、箱を見守っていたわけです。

 ところで、アビナダブの家では、その息子エルアザルを聖別して、主の箱を守っていたはずです(サムエル記上7章1節)。箱を運び出すというときに、当然登場すべきだと思われるのに、その名が出て来ないのはなぜか、よく分かりません。しかし、あるいはそのことが、この後に起こる悲劇の要因なのでしょうか。

 ダビデ一行は、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でながら(5節)、賑々しく道を進んでいました。だれが楽器を奏でたのか、どのくらいの数かは不明ですが、「イスラエルの家は皆」(5節)というのですから、精鋭部隊以外にも同行している人々や沿道の人々が大勢いて、彼らが手に手に楽器を持って奏でているという様子を思い浮かべます。

 やがて、ナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめき、車が揺れて箱が落ちそうになったので、後ろにいたウザが慌てて手を伸ばし、主の箱を押さえました(6節)。主の箱を守ろうとする当然の行動だと思われますが、主は怒りを発し、その場でウザを打たれたので、彼は主の箱の傍らで命絶えました(7節)。

 ウザの「過失」は、主の箱を牛車で運んだこと、そして、主の箱に手で触れたことです。主の箱は、レビ族のケハトの氏族がその肩に担いで運ぶことになっていました(民数記4章4節以下)。そして、「彼らが聖なるものに触れて死を招くことがあってはならない」と規定されています(同15節)。その規定を守らなかったからだと考えられます。

 長い間箱を守って来たエルアザルがいたなら、こういうことにはならなかったのかも知れません。しかしながら、祭司以外の誰も箱に触れてはいけないということであれば、牛車に乗せる段階で、ウザだけでなく、アフヨも主に打たれたことでしょう。ここは、主に守られるべき「人」が、主の箱を守ろうとしたという逆転を、主が打たれたということではないかと思わされます。

 この出来事でダビデも怒り、その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼びました。そして、主の箱を運ぶことを主が憤られているのかと恐れたダビデは、主の箱のダビデの町・エルサレムへの持ち込みを中止し、オベド・エドムの家に運ばせます。

 オベド・エドムは、ペリシテの町ガトの住民です(10節)。ガトはキルヤト・エアリムから南西に約40キロ、エルサレムはキルヤト・エアリムから東南東へ約15キロですから、キルヤト・エアリムのアビナダブの家からエルサレムへ運ばせていた主の箱を、キルヤト・エアリムよりもさらに遠く、国外に運び出させたわけです。ここに、ダビデの恐れのほどが伺えます。

 ところが、主はオベド・エドムの家を祝福されました。オベド・エドムとは「エドムの僕」という意味です。これは本名ではなく、通称でしょう。ただ、主なる神は、ご自分を畏れ、信じ受け入れる者は、民族、種族を越えて祝福してくださるということが、ここに示されます。そして、オベド・エドムの家の祝福を聞いたダビデは、もう一度、主の箱をエルサレムに運ばせます。

 歴代誌上15章12,13節に、「レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」と、ダビデが告げた言葉が記されています。

 つまり、今度は律法に従って、主の箱を担ぎ上ることにしたわけです。さらに、箱を担ぐ者が六歩進むと肥えた牛をいけにえとして捧げ(13節)、また、喜びの叫びを上げ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げました(15節)。

 特に、冒頭の言葉(14節)のとおり、ダビデは主の御前で力の限り踊りました。まさにお祭り騒ぎです。ゆっくりゆっくり主の箱は進みました。行列の賑やかな物音を聞きつけて多くの人々が集まって来たことでしょう。

 そしてその行列の中心にいる者の姿を見たでしょう。そこには、神の箱の前で力のかぎり舞い踊るダビデの姿がありました。それを見て、この楽隊と踊りの行列に参加する人々もいたでしょう。国中がお祭り騒ぎ、祝賀ムード満点といった状況を思い浮かべます。

 ただし、そういう人々ばかりではありません。自分の立場を忘れて踊っているダビデを見て、ダビデの妻ミカルは蔑みの言葉を投げました(16,20節)。王の娘として育ち、王となる人物に嫁いだ女性として、王としての威厳を損なう行為を見逃すことは出来なかったのでしょう。

 ダビデはそのとき、麻のエフォドをつけていたと記されていますが(14節)、ミカルは「裸」と言っています(20節)。つまり、ダビデはエフォド以外には、何も身につけていなかったのです。

 けれども、主はそんなダビデを喜ばれ、周囲の敵をすべて退けて、彼に安らぎをお与えになりました(7章1節)。なぜでしょうか。それは、ダビデが自分の立場も忘れ、ただ主の箱がダビデの町、自分のもとに来ることを喜んでいたからです。

 賛美とは、マグニファイ、拡大するという意味の言葉から来ています。ダビデの心の中で主なる神の姿が拡大され、何よりも大切なものになり、それが賛美の踊りとなったのです。ところが、妻ミカルには、主を喜ぶことよりも王としての威厳、立場の方が大切だったのです。

 ここで、人々から蔑まれ、嘲られたもう一人の人物を思い出します。彼は、人々から罵られ、唾をかけられ、こぶしで打たれ、着物をはぎ取られて裸同然になり、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘づけられ、殺されました(マルコ福音書15章16節以下、37節)。

 それはまるで、屠殺場に引かれていく小羊のように黙々として(イザヤ書53章7節)、されるがままにされている主イエスのことです。私たちの罪のゆえにその呪いをご自分の身に受け、十字架で贖いの業を成し遂げてくださいました。

 その姿には見るべき面影も、輝かしい風格も好ましい容姿もありません。人々は彼を軽蔑し、見捨てました(イザヤ書53章2,3節)。しかるに神は、最も低くなられたこの主イエスに、すべてのものに勝る名を与えて、天に昇らせ、ご自分の右の座につかせられたのです(フィリピ書2章6節以下、マルコ福音書16章19節)。

 主イエスを心に迎え、このお方が常に心の中で拡大されて、あらゆる問題、苦しみから解放され、喜びに溢れて感謝と賛美をささげる者とならせていただきましょう。

 主よ、御言葉を感謝します。私たちの問題は、問題が襲ってくると神が見えなくなることです。問題の方が私よりも大きくなってしまいます。問題よりも大きな主に目を向け、主の答えを頂くことが出来ますように。私たちの内に主が拡大されるように、絶えず祈りに、そして賛美に導いてください。 アーメン

 

4月10日(火) サムエル記下5章

「ダビデはヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。」  サムエル記下5章3節

 ダビデは、神の人サムエルから、王としての油注ぎを受けましたが、自ら王になろうとはしませんでした。王になるために、前の者を押しのけようとはしませんでした。ダビデが王になったのは、すべてダビデと共におられた主なる神の導きでした。力を用いず、策略を用いず、ただ神の選び、神の油注ぎのゆえに、王とされたのです(サムエル記上16章12,13節)。

 ダビデは優れた軍人でした。勇敢な戦士でした。戦術の心得もありました。言葉に分別があって外見もよく、竪琴を巧みに奏で、詩を作る才にも長けていました(同16章18節)。しかし、そのように有能だから、王として選ばれたのではありません。ダビデが主の御旨を尋ね求め、主に素直に聴き従う者だからこそ、神に立てられて王とされたのです。

 ダビデがイスラエルの王とされたのは「30歳」のときです(4節)。30歳は、祭司が臨在の幕屋で仕事に就くことが出来る年齢です(民数記4章3節など)。また、ダビデの子と呼ばれるメシア=キリストなる主イエスも、公生涯に入り、福音を宣べ伝え始めたのは、およそ30歳だったと言われています(ルカ3章23節)。

 ダビデは、少年の日にサムエルによって油注がれてから、およそ20年を過ごしてきたわけです。この長きに亘って主に従って歩み、王となることが出来たのは、勿論ダビデ一人の力ではありません。両親から信仰を学んだことでしょう。また、信仰篤き友であり、義兄となったサウルの子ヨナタンが、ダビデを励ましました。

 ダビデは、40年に亘ってイスラエルを治めました(4節)。それは、出エジプトの民がシナイの荒れ野を旅した期間に相当します(出エジプト記16章35節など)。モーセが荒れ野で民を率いている40年間、主が共におられて何一つ不足するものはなかったと、申命記2章7節に記されています。同様に、ダビデを選ばれた主は、絶えず恵みをもってイスラエルを導かれたのです。

 主に油注がれ、使命が与えられた者には、必要な知恵や力が備えられます。このことは、自分の器にあった働きを願うというのではなく、委ねられている使命を果たすのに必要な賜物が与えられるよう祈るということが教えられているのです。

 ダビデが主によって油注がれた者であることは、今や全イスラエルの民の認めるところとなりました。2節に「主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者になる』と」と記されていますが、これは、ヘブロンにいたダビデのもとにイスラエルの全部族が集まり、ダビデに語った言葉でした。

 かくて、冒頭の言葉(3節)のとおり、ユダの王とされていたダビデは、ヘブロンにおいて主の御前に民と契約を結び、イスラエルの長老たちの手により、全イスラエルの王として油注がれました。かくて、サムエルによって油注がれて以来、三度目の油注ぎを受け(サムエル記上16章13節、サムエル記下2章4節)、名実共にイスラエル12部族を統括する王となったのです。

 ダビデは、エブス人の町であったシオンの要害(=エルサレム)を陥落させ(7節)、そこに住んでこれをダビデの町と呼び、町の周囲に城壁を築きました(9節)。ここは、ユダとベニヤミンの境界に位置し、イスラエルとユダを統治するのに相応しい場所でした。

 やがて、隣国ティルスの王ヒラムがダビデに使節を送って来て、エルサレムに王宮が建てられました(11節)。こうして、ダビデの王権は、いよいよ堅く打ち立てられていきました(12節)。これからバビロンによってエルサレムが陥落させられるまで、400年に及ぶダビデ王朝がスタートしたのです。

 後に、ダビデの子孫としてベツレヘムにお生まれになった主イエス・キリストは(マタイ2章5節、ルカ2章4節以下)、エルサレム城外のゴルゴタの丘で十字架にかかり(マタイ27章33節など)、葬られ(同27章57節以下)、三日目に罪と死にうち勝って甦られました(同28章1節以下)。

 その後、この町にいた120人のキリストの弟子たちに聖霊が激しく降り(使徒言行録2章1節以下)、彼らが大胆に福音を語り始めた結果、3000人もの人々が救われ、教会が形作られました(同2章41,42節)。ここから弟子たちは散らされて、全世界にキリストの福音が宣べ伝えられて行ったのです。

 それは主イエスが、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と語られたとおりのことです(同1章8節)。

 私たちもこの年、私たちの主イエス・キリストの愛と平和の福音を、私たちの家族、親族、知人友人、同僚、地域の人々に伝えていきましょう。そのために、聖霊の力に与ることが出来るよう、御霊の満たしと導きを祈りましょう。

 主よ、サウルは油注がれたにも拘わらず、王位から退けられました。ダビデは油注ぎの故に、イスラエル全家の王となりました。その鍵は、神に聴き従うことでした。絶えず、御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませてください。私たちが果たすべき使命のために必要な賜物、知恵と力を豊かにお授けください。何より、私たちの隣人に神の愛と恵みを証しするため、常に御霊に満たしてください。御名が崇められますように。 アーメン

 




4月9日(月) サムエル記下4章

「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき、その子は五歳であった。乳母が抱いて逃げたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった。」 サムエル記下4章4節

 アブネルが死んだという知らせが届くと、王イシュ・ボシェトは落胆し、全イスラエルは怯えました(1節)。それまでも、ダビデ率いるユダは勢力を拡大し、イスラエルは力を落としていました(3章1節)。軍の長を失ったイスラエルに対してどのような行動に出るのか、サウルの家をどのように扱おうとするのか、人々は戦々恐々その成り行きを見守っていたことでしょう。

 ところが、なんとイスラエル軍の略奪隊の隊長二人が、昼寝をしていた王イシュ・ボシェトを暗殺したのです(2,5,6節)。寝首を掻くとは、当にこのことです。そうして、彼らはイシュ・ボシェトの首を土産に、ダビデのもとを訪ねました(7節)。

 彼らは、軍の司令官であり、イスラエルの実質上の最高権力者であったアブネルが死んだ今、イシュ・ボシェトに仕えるより、ダビデに仕える方がよいと考えたのでしょう。そして、ダビデに仕官を申し出るに際し、サウルの子イシュ・ボシェトの首を差し出せば、ダビデの覚えもよく、もしかすると報償も期待出来ると考えていたのだろうと思います。

 けれども、彼らに与えられたのは死でした(9節以下)。二人は「ベニヤミンの者」(2節)と記されているので、サウル、イシュ・ボシェトとは同族です。悲しいかな、イシュ・ボシェトは同族の者に殺されたのです。そして、イシュ・ボシェトに手をかけた二人は、自分で蒔いた種を刈り取らなければなりませんでした。

 イシュ・ボシェトを暗殺した二人を処罰したダビデの態度で、全イスラエルはどんなに安心したことでしょうか。それは、先にイスラエル初代の王サウルのとどめを刺したというアマレク人を処罰したときと同じです(10節、1章13節以下)。

 しかも、ダビデはイシュ・ボシェトのことを「自分の家の寝床で休んでいた正しい人」と言っています(11節)。イシュ・ボシェトはアブネルによって擁立された王であって(2章8節)、サウルやダビデのように主に選ばれ、主の祭司によって油注がれたというわけではありませんが、しかし、後見人のアブネルを失ったからといって、イシュ・ボシェトが二人に殺される理由はなかったというのです。

 「正しい人を神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか」(11節)というダビデの言葉のとおりに二人を処刑することで(12節)、ここでもまた、ダビデがイスラエルの王位を狙って、軍の司令官アブネルや王イシュ・ボシェトを殺害させたわけではないこと、むしろ、サウルの家を重んじているということが示されました。

 ところで、冒頭の言葉(4節)で唐突に、「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた」という報告があります。サウルの子イシュ・ボシェトが暗殺されたため、サウル家の生き残り、正統な後継者はそのヨナタンの子一人になったということなのでしょう。

 ところが、そのとき5歳であったヨナタンの息子は、サウル、ヨナタン共に戦死の知らせを受け、乳母が抱いて逃げようとしたときに誤って落としてしまい、彼は両足に障害を負ってしまいました。だからというわけでもないでしょうけれども、イスラエルの人々がサウル家の生き残りを探し出して、イシュ・ボシェトの後継者にしようという動きにならなかったわけです。

 ダビデはヨナタンと、そしてまたサウルとも、彼の家を永遠に慈しむという約束していました(サム上20章15節、24章22節)。だから、ヨナタンに息子があったことを知っていれば、もっと早く保護の手を伸べていたと思います。しかし、その存在が分からなかったのは、息子が司令官アブネルを恐れて隠れていたからでしょうか。それとも、ユダの王ダビデを恐れていたのでしょうか。

 息子の名は、「メフィボシェト」といいます。メフィボシェトは、歴代誌ではメリブ・バアルと呼ばれています(歴代誌上8章34節、9章40節)。それは、「主に愛される者」という意味です。

 イシュ・ボシェト(エシュバアル)と同様(2章8節、歴代誌上8章33節)、メリブ・バアルの方が本来の名前でしたが、バアルがカナンのバアル神を連想させることと、サウルの子孫ということもあり、記者が、「恥を振りまく者」という意味のメフィボシェトという名前に変えたものと考えられています。

 メフィボシェトは、後にダビデによって見出され(9章1節以下)、やがてダビデと共に食卓について食事をすることになります(同7節)。そのときメフィボシェトは、「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」と言っています(同8節)。

 ここに、神の国に迎えられる資格のない私たちが、主イエスを信じて主と共に食卓につく神の子とされるという福音の恵みが、予め示されているかたちです。罪のために両手両足の萎えている私たち、目が見えず、耳が聞こえなくなっていた私たちを、主なる神が深く憐れみ、天の交わりに加えてくださるために御子キリストの十字架の死により、救いの道を開いてくださったのです。

 計り知れない恵みをお与えくださる主に心から感謝し、この年も、主の御前に謙遜になるのは勿論のこと、何より主の御声に耳を傾け、その召しに相応しく歩み働く者とならせて頂きましょう。

 主よ、私たちは文字通り、イシュ・ボシェト(恥の人)であり、また、メフィボシェト(恥を振りまく者)です。しかるに、主は私たちをご自分のものと呼び、主に愛される者としてくださいます。その恵みに感謝します。どうか、主を愛し、主に信頼して生きる者となることが出来ますように。絶えず御顔を拝し、御言葉に耳を傾けます。御霊に満たし、ご用のために用いてください。 アーメン

 

4月8日(日) サムエル記下3章

「王はアブネルを悼む歌を詠んだ。『愚か者が死ぬように、アブネルは死なねばならなかったのか。」 サムエル記下3章33節

 イスラエルの実権を握っている軍の司令官アブネルが(6節)、サウルの側女リツパと通じたことを、イシュ・ボシェトが咎めました(7節)。前王の側女を自分のものにするというのは、その王位を継承することを意味していたのです。名ばかりとはいえ、王であるイシュ・ボシェトが咎めるのは当然ですが、しかし、それはアブネルを激怒させただけでした。

 「今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきまた。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした」(8節)と語るアブネルの言葉から、完全に立場が逆転していて、イシュ・ボシェトを殺すも生かすもアブネルの意のまま、イシュ・ボシェトはアブネルの傀儡に過ぎないということが示されます。

 実際、イシュ・ボシェトはアブネルを恐れて、言葉を返すことも出来ません(11節)。アブネルは、王権をダビデに渡すと宣言します(10節)。ダビデの勢力が増し、サウルの家が次第に衰えていくのを見て(1節)、勝ち馬に乗るつもりだったのでしょう。

 さらには、ダビデが全イスラエルの王となると、その功績でダビデが自分をイスラエル全軍の司令官に取り立ててくれるはずだという思いもあったのではないでしょうか。

 しかし、アブネルはダビデと契約を結ぶ話し合いに来て(19節)、ダビデの軍の司令官ヨアブに殺されてしまいました。ヨアブはアブネルをスパイだと言い(25節)、このまま放ってはおけないと考えたのです。あるいは、アブネルがダビデと契約を結べば、軍の司令官の地位を追われるのではないかと考え、それを嫌ったのかも知れません。

 しかし、真の理由は、ダビデ軍とイシュ・ボシェト軍のつばぜり合いで、ヨアブの弟アサエルがアブネルに殺されていたので、その仇を討つことだったのです(27、30節、2章18節以下)。しかし、権力争いであれ、弟の仇討ちであれ、そのような暴力が真の平和を生み出すことはありません。

 暴力に暴力で応ずると、更なる暴力の連鎖を産み出すというのは、テロ行為に対する反撃が報復に報復を産み、各地でその戦闘が泥沼に陥り、なかなか出口を見出すことができないといったところに、如実に示されているといってよいでしょう。ヨアブがアブネルを暗殺した結果、ダビデとアブネルの契約によるイスラエルの平和的統一は、ご破算になってしまいました。

 ダビデは冒頭の言葉(33節)の通り、アブネルの死を悼み、「勇将が愚か者のように死んだのはなぜか」と歌いました。これは、アブネルの死が、イスラエルとユダとの戦いによるものではなく、偽りの策略によるものであり、自分はそれに関わっていないことを表しています(37節も参照)。そして、そのような策略に愚かしくも引っかかってしまったのは何故かと問うているのです。

 アブネル自身も、まさか自分が殺されようなどとは、考えてもいなかったのでしょう。そこに、油断がありました。ダビデと契約を結び、全イスラエルの軍の司令官になろうといった野心のために、周りが見えていなかったのかもしれません。つまり、自分の策に溺れていたわけです。

 アブネルに限らず、誰であっても、欲に目がくらみ、また、恨みや怒りに心が燃えているときには、なかなか正常な判断は出来ないものです。その意味では、ヨアブも同罪ですし、私にも、彼らに石を投げる資格があるとは、到底思えません。

 2節以下に「ヘブロンで生まれたダビデの息子」の名が列挙されています。ここには、アヒノアム、アビガイルに加え、4人の女性を妻として迎えています。サウルの娘ミカルと併せ、7人の女性を妻としたことになります。その中で興味深いのは、3男アブサロムの母となったゲシュルの王タルマイの娘マアカという女性です(3節)。

 ゲシュルというのは、ガリラヤ湖東岸地域で、イシュ・ボシェトのいるマハナイムの北に位置します。つまり、ギレアドのマハナイムにいるイシュ・ボシェトを挟撃するために、ゲシュルの王女を妻に迎えたというかたちです。しかしながら、ためにする結婚で、幸いを産み出すことは出来ないようです。というのは、後にマアカの子アブサロムが父ダビデに弓引くことになるからです(15章以下)。

 心を鎮めて、神の前に出ましょう。御言葉に耳を傾けましょう。御言葉通りに歩む以外に、おのが道を清く保つことは不可能です(詩編119編9節)。主は、「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ書30章15節)と言われます。主に信頼し、岩、砦、逃れ場なる神に救いを求め(詩編18編3節)、祈りましょう。

 主よ、あなたはその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。私たちの灯火を輝かし、闇を照らしてくださいます。主の他に神はありません。神の他に私たちの岩はありません。主こそ命の神です。主を崇め。御名を褒め讃えます。 アーメン






4月7日(土) サムエル記下2章

「ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき」 サムエル記下2章4節

 サウルの死後、ダビデは主に託宣を求めて「どこかユダの町に上るべきでしょうか」と尋ねると、主は「上れ」と言われます。「どこへ上ればよいのでしょうか」と聞くと、「ヘブロンへ」とお答えになりました(1節)。

 そこで、主に告げられたとおり、二人の妻や従っていた兵とその家族を伴って、ガトの王アキシュから与えられたツィクラグから、北東方向約30kmのヘブロンに上って来て、そこに住まいを構えました(2,3節)。

 ヘブロンは、アブラハムと妻サラをはじめイスラエルの父祖たちが滞在し、生活していた場所であり、また葬られた墓所のある町です(創世記23章、25章10節、35章27,28節、50章13節)。ダビデはこの町から、イスラエルの王となる道を歩み始めるのです。

 冒頭の言葉(4節)のとおり、ダビデが戻って来たことを知ったユダの人々が、ヘブロンに集まって来ました。そして、ダビデに油を注いで、ユダの王としました。かつて主に選ばれ、サムエルによって油注がれていたダビデは(サムエル記上16章13節)、いよいよここに、王として立てられて油注がれる者となったのです。

 ユダの人々が集まったということは、かつてダビデをサウルに売り渡そうとしたジフやケイラの町の人々も、そこにいたことでしょう(同23章11節以下、19節以下、26章1節参照)。それを忘れるダビデではないと思いますが、それを恨みに思うことはなかったのでしょうか。

 けれども、そのようなことには全く触れられていません。サウルに売った人々に仕返しをしようというような動きもありません。この後、そうしたことが思い出されることもありません。それこそ、ダビデが人間的な思いではなく、主の御旨に従って歩んでいる証拠といってもよいでしょう。

 また、ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと聞き(4節)、ダビデは使者を遣わして彼らを労い、主の祝福を祈ります(5,6節)。その際、「主君サウルに忠実(ヘセド)を尽くし」(5節)たので、「主があなたがたに慈しみ(ヘセド)とまこと(エメト)を尽くしてくださいますように」(6節)という言葉遣いで、彼らの忠誠に主が応えてくださると祝福しているのです。

 そこには、彼らの忠誠にもはやサウルが応えることができないということも含まれているのかも知れません。それで「わたしも、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います」(6節)と告げ、サウルに代わって自分がという思いを伝えているのです。しかしながら、いまだダビデはサウルの正統な後継者ではありません。

 それで、「力を奮起し、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこのわたしに油を注いで自分たちの王としました」と語ります(7節)。

 この言葉で、自分がユダの王とされたことに言及しているのは、王としての立ち場で、サウルの葬りのために奮起し、勇敢に働いたヤベシュの人々に報いたいということでしょう。そして、そのためには、ギレアドのヤベシュの人々の力が必要で、ダビデがサウルの後継者となれるよう、協力して欲しいという思いを込めているのです。

 ところが、サウルの軍の司令官だったアブネルが、サウルの4男イシュ・ボシェトを担いでヨルダン川東部のギレアドの地マハナイムに移り(8節)、そこで、ユダを除く全イスラエルの王としました(9節)。当然、ヤベシュの人々も、イシュ・ボシェトに従う者となったのです。

 ここで、「イシュ・ボシェト」というのは「恥の人」という意味です。歴代誌上8章33節には、「エシュバアル」と記されています。それは、「バアル(主)の人」、あるいは「主はいます」という意味です。おそらく、こちらが真の名前でしょう。それがここで、「イシュ・ボシェト」に変えられているのは、「バアル」がカナンのバアル神を思わせるからです。

 イスラエルの王たちがまことの神に背いてバアルを礼拝し、それが国を滅ぼす原因となりました。預言者たちは、そのような王の姿勢を痛烈に非難しました。それで、「恥の人」を意味する名で呼ばれるようになったわけです。

 また、イシュ・ボシェトは王とされてはいるものの、司令官アブネルに完全に実権を握られ、彼の思いのままにされることになるので(3章6節)、人々から実際にそのようにあだ名されたのかもしれません。

 こうして、サウルのもとに一つになっていたイスラエルが、その死後、二つに分裂してしまいました。これでは、隣りの強敵ペリシテに立ち向かうことは出来ません。だから、ベニヤミンに属するギブアやベテルなどではなく、ペリシテから遠いヨルダン川東のギレアドの地、マハナイムが首都に選ばれたわけです。

 マハナイムとは、「二つの陣営」という意味ですが(創世記32章3節)、実にユダの王ダビデの住むヘブロンの他にもう一つ、マハナイムにイスラエルの王イシュ・ボシェトがいる都が出来たのです。

 けれども、そこには神に託宣を求めることもなく、祭司によって油注がれるでもなく、サウルの息子の名を用いて軍の司令官アブネルが興した王朝です。ダビデとイシュ・ボシェト、どちらの王朝を主なる神が支持されるか、火を見るより明らかでしょう。

 神が味方されるのは、集まっている兵の多少などにはよりません。繰り返し学んでいるように、神が喜んでくださるのは犠牲の多さなどではなく、主の御声に聞き従うことであり、神の御前に打ち砕かれ、悔いる心なのです(サム上15章22節、詩51編19節)。

 その後、イスラエルとユダの家の間に戦いが起こり、それは、聖書の表現以上に激しいもので、簡単に決着のつかないことだったようですが、3章1節に「ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」と報告されています。

 あらためて信仰の基礎固めとして、謙って日々の御言葉に耳を傾け、心を新たにして、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりたいと思います(ローマ書12章2節)。そして、絶えずその御心に従順に歩みたいと思います。

 主よ、人の心には様々な計画がありますが、ただ主の御旨だけが堅く立つということを教えられます。日毎に御旨を尋ねて御前に進み、その御声に耳を傾け、導きに従って、絶えず喜びと感謝をもって忠実に歩むことが出来ますように。絶えず聖霊の満たしと導きをお与えください。 アーメン




4月6日(金) サムエル記下1章

「ダビデは彼に言った。『主が油を注がれた方を、恐れもせずに手にかけ、殺害するとは何事か。』」 サムエル記下1章14節

 アマレクをうち破って略奪されていたものをすべて取り返し(サムエル上30章参照)、ツィクラグに戻っていたダビデのもとに(1節)、サウルとヨナタンの戦死の報がもたらされました(4節)。

 メッセンジャーは、なんとダビデたちが住んでいたツィクラグを襲ったアマレクの若者でした(8節)。彼は、その略奪隊の一員ではなく、むしろ、サウル軍に傭兵として参加していた可能性が高いと思われます。

 だから、彼はイスラエル軍がペリシテ軍に対峙して陣取ったギルボア山にいて、サウルの最期を見届けることになったのでしょう(6節)。そのうえ、なんとそこで、傷ついたサウル王に乞われて最後のとどめを刺す役割を果たし、サウルがつけていた王冠と腕輪をダビデに届けに来たというのです(9,10節)。

 けれども、アマレクの若者がサウルのとどめを刺したという部分は、サムエル記上31章3~5節の記事と食い違っています。これは恐らく、ダビデから報償をせしめるために、そのような話を作り上げたのではないかと思われます。サウルの遺体から王冠と指輪をとった若者は、一人遺されたサウルの息子イシュ・ボシェトのところにではなく、ダビデのところにそれを持って来ました。

 この若者は、サウルがダビデを敵視していたことを知っていたわけです。そして、サウル亡き後、サウルの子らではなく、ダビデが新しい王となるものと考えていたのでしょう。だから、サウルの死を報告し、その証拠にサウルの王冠と腕輪を届けることで、ダビデはきっと喜び、褒美を貰うことが出来ると考えたのだと思います。

 もしもダビデが、王位を奪うためにサウルの死を願うような人物であれば、この知らせに歓喜の涙を流し、アマレク人に褒美を取らせたかも知れません。しかしながら、かつて2度までも神によってサウルの命を手の中に渡されながら、主が油注がれた者に手を下すことをよしとせず、かえって、すべてを主の手に委ねてきたダビデです(サムエル記上24,26章)。

 勿論、ダビデに王となる意志がなかったとは思いません。また、サウルから逃れ、国を離れてペリシテの地に降り、ツィクラグで寄留の生活をしなければならなかったのは、辛いことだったろうとは思います。

 けれどもダビデは、サウルを退けるのは、彼に油を注いで王としてたれられた主なる神のなされることであって、人が神に代わることは出来ないと、堅く考えていたのです。それは「主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」、「主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ」(サムエル記上26章9,10節)というダビデの言葉に明示されています。

 ダビデは、戦死したサウルとヨナタン、多くの兵士とイスラエルの民のことを思って夕暮れまで断食した後(12節)、若者を呼び出し、冒頭の言葉(14節)の通り、「主が油を注がれた方を、恐れもせずに手をかけ、殺害するとは何事か」と言い、従者に彼を討たせました(15節)。

 主に油注がれたサウルに手をかけた者は誰であろうと、それがどのような状況であろうと、許されるものではなかったのです。若者は、褒美をもらえるどころか、全く思ってもみなかったダビデの言葉に腰を抜かしたことでしょう。そして、サウルを殺害したというのは嘘だったと弁明しようとしたかも知れません。しかし、後悔先に立たず、すべては後の祭りでした。

 ただ、サウルが主によって油注がれた王であり、従って、サウル王の生殺与奪の権はただ主の御手にのみあるのであって、それに手を出したということは、王を殺害したという罪に加え、神の主権を侵す反逆の罪を犯したということになったのです。 

 ここに、ダビデが王位について、神の油注ぎについて、どれほど重く考えているかということが伺えます。それは、ダビデ自身、油注がれた者だからであり、そして、誰よりも主を畏れる者だからです。

 油注がれた者とは、メシア=キリストということです。主イエスは、ご自身を十字架に追い遣り、命を奪おうとしている者のために、「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23章34節)と祈られ、そして、罪の呪いをご自分の身に引き受けてくださいました。

 私たちは、主イエスの命によって贖われ、罪赦され、御霊の導きによって信仰を言い表し、神の子とされ、永遠の命に与りました。それは、考えることも出来ないほどの驚くべき恵み(Amazing Grace)です。

 神の子に与えられている特権、力、資格というものがどれほどのものであるのか、悟らせていただきましょう。それをもって私たちに委ねられている使命を全うするため、絶えず主の御声に耳を傾けましょう。主の御顔を仰ぎましょう(ヨハネ1章12節、エフェソ1章17節以下)。

 主よ、私たちは、恵みによって主イエスを信じる信仰に導かれ、神の子とされました。どれほどの愛を頂いていることでしょう。それは、独り子を犠牲にするほどの愛です。どうしてそれを徒に受けることが出来るでしょうか。あなたを畏れます。常に光の子として、御言葉の光の内を歩むことが出来ますように。聖霊に満たされ、主の使命を果たすことが出来ますように。 アーメン

 

4月5日(木) サムエル記上31章

「この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、さらに彼の兵は皆死んだ。」 サムエル記上31章6節

 先に陣を敷いたギルボアから(28章4節)進んでイズレエルにある一つの泉の傍らに布陣したイスラエル軍に対し(29章1節)、シュネムからいったんアフェクまで引いた(29章1節)ガトの王アキシュ率いるペリシテ軍は、そこでダビデとその従者をペリシテの地へ帰らせ、アキシュは軍をイズレエルへ向かわせます(同11節)。

 イズレエルで対峙した両軍の戦いの火ぶたが切られると、サウル率いる「イスラエル兵がペリシテ軍の前から逃げ去り、傷ついた兵士たちがギルボア山上で倒れた」(1節)とあるとおり、イスラエル惨敗という結果に終わりました。

 ギルボアとは「丘陵地」という意味だと思われますが、イズレエルの南東に位置する標高518mの山とその周辺の山岳地帯を指します。イズレエル平原で戦いが始まり、戦車を駆るペリシテ軍の前から敗走したイスラエル兵がギルボアの山中に逃げ込み、そこであえなく戦死したのです。

 このとき、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキシュアも殺されました(2節)。そして、ペリシテ軍の弓矢で深手を負ったサウルは(3節)、無割礼の敵になぶりものにされることがないよう従卒にとどめを刺すよう命じますが、彼は恐れてそれができなかったので、自ら剣の上に倒れ伏して果てました(4節)。

 従卒が抱いた恐れについて、ダビデのように信仰的に主に油注がれた王に手をかけることを恐れたのか、サウルに対する尊敬の念からの恐れなのか、はたまた一般論的に殺人という恐れ多い行為におよぶことを恐れたのか、はっきりしたことは分かりません。それらすべてのことが含まれる恐れと考えてもよいのかも知れません。

 冒頭の言葉(6節)にあるように、サウル軍は全滅でした。結局、サウルが口寄せの女性によって呼び出したサムエルの告げたとおりの結果になったわけです(28章19節)。戦死者として名を挙げられているのはサウルとその子らだけで、彼に忠実に仕えていた家臣たちの名は記されていません。

 サウルはダビデに王位を奪われるのではないかと恐れていましたが、それは全くの杞憂でした。イスラエル最初の王朝は、息子ヨナタンに引き継がれることなく、ペリシテ軍によって完全に粉砕されてしまったのです。

 このことで、イスラエルの国は、王が立てられる前の状態に戻されました。イスラエルの民は、国を守るために王を立てることを望みましたが(8章5節)、ここに、国を守るのは王の存在、王が率いる軍隊、王を中心とする政治、制度などではないことが確認されたかたちです。 

 ところで、サウルの子ヨナタンは、かつてペリシテの大軍が押し寄せてきた際、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」(14章6節)と、たった二人で立ち向かい、圧倒的な勝利を収めました(同13節以下)。

 また、ダビデをかばい、何度も父サウルを諫めました(19~20章)。ジフの荒れ野にいたダビデのもとに来て、神に頼るようにと励ましました(23章)。そのような信仰の勇者ヨナタンが、なぜここでサウルと共に戦死してしまったのでしょうか。彼がどのようにして命を落としたのかも、記録されていません。

 そのことで、十戒に「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが」(出エジプト記20章5節)とあることから、父サウルの不従順の罪のゆえに、信仰篤く、真実の愛をもってダビデに接していたヨナタンまでも、共に死ななければならなかったというのは、悲しすぎるような気がします。

 しかしながら、「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(同20章6節)とも言われています。自分の信仰の在り様が、祝福であれ呪いであれ、子孫に大きな影響を与えると告げられているわけです。自分のためだけでなく、後に続く者のためにも、神を愛し、戒めを守る者とならせていただきたいと思います。

 特に、王位につく者は、祭司のもとにある原本から律法の写しを作り、それを自分の傍らに置いて読み返し、主を畏れることを学ぶよう、申命記に規定されています(申命記17章18,19節)。主なる神こそ、イスラエルの真の王であることを、王位につく者は、知らなければならないのです。

 そもそも、主はサウルに対し、実行不可能な無理難題を与えたわけではありません。謙遜に忠実に主に聴き従っていれば、イスラエルは平安のうちに守られていたのです。主が守ってくださるからこそ、イスラエルは安泰だったのです。

 だから、「カルメルに行って自分のために戦勝碑を建て」(15章12節)るなど、主に帰すべき栄光を私し、思い上がるならば、主に退けられるのは必定というものでしょう。父の罪の呪いを被るヨナタンに、無念の思いがなかったとは思いませんが、信仰に歩んでいたヨナタンは、既に一切を主の御手に委ねて、最期まで主と共にある平安のうちを歩んでいたことでしょう。

 ペリシテ軍は、ギルボア山上に倒れていたサウルの首を切り落とし(9節)、その武具をアシュトレト神殿に納め、遺体をベト・シャンの城壁にさらしましたが(10節)、それを聞いたヤベシュの住民は、奮い立ってその遺体を取り降ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付した後(12節)、ぎょりゅうの木の下に埋葬して、七日間断食しました(13節)。

 ヤベシュは、サウルがアンモン人を撃退して救った町で、これが王となったサウルの初陣でした(11章)。ヤベシュの住民は、そのときの恩に、こうして報いたのです。また、主に油注がれた者に対する最後の敬意が、そのように表されたともいうことが出来ます。

 キリストの弟子という理由で一杯の水を与えた者は、その報いから漏れることはないと、主イエスは言われました(マルコ9章41節)。ヤベシュの人々に対しても、そうでしょう。後に油注がれてユダの王となったダビデが(サムエル記下2章4節)、サウルを鄭重に葬ったヤベシュの人々のことを聞き、最大の賛辞を贈っています(同5節以下)。

 私たちは、主イエスの十字架の犠牲により、罪の呪いから解放されました。どのようにしてその恩に報いましょうか。まことに、「ああ主の恵みに、報ゆるすべなし、ただ身と魂とを、献げてぬかずく」(新生讃美歌235番5節)とうたわれている通り、感謝をこめて主の御前に謙り、その御言葉に聴き従うほかはありません。

 主よ、恩知らずな私たち、思い上がって主の栄光を我がものにしようとする私たちを赦してください。日々御顔を拝し、御言葉に耳を傾けることを通して、主の愛と恵みに応える生活をすることが出来ますように。御霊の導きを受け、御言葉を実践する信仰と知恵、力に与らせてください。 アーメン

 



4月4日(水) サムエル記上30章

「ダビデは主に託宣を求めた。『この略奪隊を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか。』『追跡せよ。必ず追いつき、救出できる。』という答えであった。」 サムエル記上30章8節

 ダビデとその従者600人が、ペリシテの将軍たちの拒否によってアキシュ王護衛の任を解かれ、アフェクからツィクラグの町に戻って来ると、大変なことになっていました。彼らの留守を狙って、アマレク人がツィクラグに侵入して町を焼き、すべてのものを略奪して行ったのです(1,2節)。

 ダビデも、彼と供にいた兵士たちも、愛する者を奪われて、辛くて悲しくて、そのうちに泣く気力もなくなってしまいました(4節)。やがて、兵士たちは6節に言うとおり、こんなことになったのはダビデの責任とばかり、彼を石で打ち殺してしまおうと言い始めました。

 それは、八つ当たりもいいところです。そんなことをしても、妻子が戻って来るはずもないのですが、そうせずにはおれなかったのです。勿論、600人の部隊の長なのですから、ダビデに責任がないわけではありません。町を守り、家族を守るために、守備兵を配置したり、城壁を築いて町を要塞化しておくのが、長たる者の務めと考えられるからです。

 とはいえ、妻子を奪われたのは、兵士たちだけではありません。ダビデも、二人の妻アヒノアムとアビガイルを連れ去られていたのです(5節)。ダビデには、自分自身の苦しみの上に、兵士たちの彼を責める言葉と思いがのしかかってきます。どんなに辛く苦しかったことでしょうか。

 しかし、主なる神は窮地に陥ったダビデに救いの手を差し伸べられます。「ダビデはその神、主によって力を奮い起こした」(6節)と記されています。しばらくの間、主に祈ることも、その御心を尋ねることもしていなかったダビデが、主の御声を聞いたのです。

 苦しみの中で、ダビデは主の御声を聞くように、主によって導かれました。これまで、繰り返し主に窮地を救われてきたダビデは、祭司アビアタルにエフォドを持ってくるように要求します(7節)。それは、託宣を求めるのに用いるためです。

 冒頭の言葉(8節)の通り、ダビデが主に託宣を求めて「この略奪対を追跡すべきでしょうか。追いつけるでしょうか」と尋ねると、「追跡せよ、必ず追いつき、救出できる」という答えです。これは心強い言葉です。この言葉に励まされたダビデは、600人を従え、略奪者のアマレク人を追いかけます(9節)。

 途中、疲れ過ぎて200人はベソル川を渡れず、そこに留まりましたが、ダビデと残りの兵は追跡を続けます(10節)。すると、野原で一人のエジプト人を見つけました(11節)。それはアマレク人の奴隷となって連れて来られた者で、病気にかかって捨てられたというのです(13節)。

 彼は、ネゲブに侵入し、ツィクラグに火をかけたのは我々だと告げます(14節)。そこで、彼に略奪隊のもとに行くための道案内をさせます(15節)。もしエジプト人に出会わなければ、ネゲブの荒れ野でアマレク人略奪隊を見つけることは困難だったでしょう。

 また、もしもペリシテの将軍たちがダビデの参戦を拒否してくれていなければ、それで戦線を離脱することが出来、ツィクラグに戻って来てこの事態を知り、アマレクを追いかけていなければ、妻子を救出する機会を得ないままだったかもしれません。

 一方、アマレク人たちは、自分たちを追跡してやって来る部隊があるなどとは、およそ考えていなかったようです。彼らはそこら一面に広がり、ペリシテとユダの地から奪って来たおびただしい戦利品で呑めや歌えのドンチャン騒ぎをしていました(16節)。

 ダビデたちの攻撃が始まったとき、ラクダに乗って一目散に逃げた400人の者以外は、皆討たれました(17節)。けれどもそれは、一方的なダビデの勝利ではなかったのかも知れません。皆が酔っ払っていて戦いにならなかったというのではなく、夕暮れに始めた戦いが、翌日の夕方まで続いたというからです(17節)。ある程度組織だった抵抗はできたわけです。

 ダビデたちは、奪われたものをすべて取り返すことが出来ました(18,19節)。こんなにうまくいったのは、偶然ではないでしょう。確かに主は生きておられ、これらの出来事の背後で主が働いておられたということ、ダビデを祈りに導き、それに主がお応えになられたものだということです。

 今日の学びの箇所のキーワードは、「取り戻す、救出する」(ナーツァル)という言葉です。8節、18節に二度ずつ、22節に一度、用いられています。8節では、同じ言葉を二つ重ねて「必ず救出する」と、意味を強調する言葉遣いになっています。18節では、戦利品を「取り戻す」、妻たちを「救い出す」と訳し分けています。

 19節にも「取り返す」という言葉がありますが、それは「帰る、報いる」(シューブ)という言葉が用いられています。いずれにせよ、取り戻す、取り返すという言葉が用いられるということは、奪われたものがあるということです。それも、取り戻さねばならない、大切なものだということです。

 ここから、私たちが持っていた大切なものが、いつの間にか奪われてしまっている。それに気づいて、それを取り返しなさいというメッセージを受け取ります。ダビデたちは家族を奪われて、泣く力さえ失いました。そのとき、主なる神がダビデを励ましました。

 ダビデはサウルに追われて逃げている間、祈ることも主に尋ねることもしばし忘れていたようですが、このピンチにあって、もう一度祈りを始めました。祈りとは神様とのコミュニケーションです。「絶えず祈りなさい」(第一テサロニケ書5章17節)という御言葉がありますが、神様が私たちの祈りを待っておられるのです。

 しかるに、ダビデはサウルから逃げることに心奪われていました。ゆとりがなくて、恐ろしさと不安で、ペリシテに逃げ出しました。そこでも、自分の本性を隠すため、偽りの生活にあくせくしていてました。神を仰ぐことを忘れ、いつしか祈らない毎日を過ごしていたのです。

 それにも拘わらず、主なる神が彼を守り、導いていました。意気消沈していた時も、主に励まされて、祈りを取り戻すことが出来ました。憐れみ深い主が、ダビデに恵みを注ぎ続けておられたのです。

 主は私たちの祈りを聞いてくださいます。祈りを通して、主への信仰が取り返されました。希望を失っていたのですが、立ち上がることが出来ました(詩編145編14節)。主は、マイナスをプラスに変えることがお出来になります(ローマ書8章28節)。

 信仰を取り戻したダビデは、兵士を励まし、略奪者追跡に立ち上がります。病気になってアマレク人に捨てられ、すっかり生きる気力を失っていたエジプト人も、ダビデのもとで元気を取り戻すことが出来ました(12節)。

 主によって、元気を取り戻しましょう。祈りを取り返しましょう。信仰を取り返しましょう。どこに主の道があるか、祈り求めましょう。いつでも、どんなときにも主の守りがあることを信じましょう。死人を甦らせ、無から有を呼び出される主に導かれ、信仰の正道を主と共にまっすぐに歩ませて頂きましょう。

 主よ、私たちが呼び求めるとき、私たちに答え、苦難が襲うとき、私たちと共にいて助け、私たちに名誉を与えてくださいます。生涯私たちを満ち足らせ、救いを私たちに見せてくださいます。その恵みを無駄にすることがありませんように。日々主を喜びたたえ、その恵みを広く告げ知らせることが出来ますように。 アーメン

 
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