風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

今日の御言葉

5月19日(火) 使徒言行録24章

「しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。」 使徒言行録24章14節

 ローマ総督フェリクスのもとで、パウロの審理が始りました。大祭司アナニアが長老数名とテルティロという名の弁護士を連れて、カイサリアにいた総督フェリクスにパウロを訴え出たのです(1節)。テルティロという名前は、彼がローマ人か、ギリシア語を話すユダヤ人であったかも知れないということを示しています。

 彼らはパウロについて、「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」(5節)と言います。当時よく知られていた疫病には「ペスト」があり、新改訳聖書は、「ペストのような存在」と訳しています。英・欽定訳(KJV)も「pestilent fellow」となっていました。

 14世紀にペストがヨーロッパで大流行したとき、イタリア・フィレンツェでは3人に1人が感染して亡くなったと言われ、ヨーロッパ中で3500万人、世界で6~7千万人の死者が出たと百科事典に載っていました。

 パウロを「疫病のような人間」、「ペストのような存在」と呼ぶということは、パウロの伝道がいかに大きな影響力、伝染力を持っていたか、それがユダヤ教の指導者たちにとっていかに脅威であったかということを、雄弁に物語っています。パウロは、教会外の人々からも、キリスト教会最大の指導者、伝道者と目されるようになっていたわけです。

 その告発に対してパウロは、自分がエルサレムに上ってからまだ12日しかたっていないし、エルサレムでは何の騒動も起こしていないと答えてから(11~13節)、冒頭の言葉(14節)のとおり、「しかし、はっきり申し上げます」と言ってフェリクスにも聞いて欲しいことを語ります。

 それは、「私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」ということです。そして15節で「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」と言います。

 パウロは、①神を礼拝すること、②律法と預言者の書、即ち聖書を信ずること、③復活の希望を持つこと、そして④神と人に対する愛の奉仕に努めること、これらのことが彼自身の依って立っているところ、大切にしている事柄であり、それによって「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように務めています」(16節)と語っています。

 その信仰の根拠を、「彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って」という言葉で表現します。「この道」とは、信仰の土台である主イエス・キリストです。道という言葉には、人や車が通るように作られた道路という意味のほかに、人の進むべき方向、人がそれに従って行動すべきだと考えられる筋道、また宗教上の教義などを表すこともあります。信仰の道、神の道という意味で用いられるわけです。

 かつて主イエスご自身が、「わたしは道であり、審理であり、命である」(ヨハネ14章6節)と言われました。この道を歩む者は、父なる神の御許に行くこと、神にお会いすることが出来ます。この道を歩めば真理が示され、命が与えられます。その命は、たとえ死んでも生きる命、復活の命なのです。パウロは、この復活に与る希望を強く持っていました。

 パウロは初め、この道を歩む者を迫害しておりましたが(9章1,2節)、復活された主イエスと出会ってバプテスマを受け、この道を歩む者となりました(同18節)。パウロも真理を悟り、復活の命に与ったのです。そして、この道を知らせる伝道者になりました(同20,26,28節、13章1節以下)。

 自分のような教会の迫害者、キリストに敵対していた者が神の憐れみを受けて救われたということは、この世に、主イエスによって救われない人は一人もいない。キリストは私たちを救うために死んでくださった。私のような者を必要だ、「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(イザヤ書43章4節)ていると語ってくださった。

 パウロは、この神の愛を受け、主の恵みによって立ち上がりました(ローマ書5章8節以下、第一コリント書15章8節以下)。それによって、かつて自分がキリスト教会を迫害していたように、今度は自分自身が迫害を受ける対象となっています。

 パウロがフィリピの信徒への手紙1章29節に、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」と記しています。キリストのために苦しむことが、恵みの賜物としてプレゼントされたというのです。

 そして、その賜物はパウロだけでなく、「あなたがた」、即ちフィリピの教会の信徒たちを含むすべてのクリスチャンに与えられているというのです。それが主イエスの道、キリストに従う道だからです。主イエスは、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と言われました。

 ローマの総督フェリクスの前に立ったパウロの顔は、キリスト教最初の殉教者ステファノのように、輝いていたのだろうと思います。殉教の死を前にして、ステファノの顔は「さながら天使の顔のように見えた」(使徒言行録6章15節)と記されていました。パウロもそうでしょう。それが、この道に従って歩む者、聖霊に満たされた者の姿です。

 そしてパウロの目にも、ステファノが見たのと同じ、神の右に立ち上がっておられる主イエスの御姿がはっきり見えていたのではないでしょうか。そこが彼の帰っていくべき真の故郷、自分の国籍のあるところだからです(フィリピ書3章20節)。彼はいつも主イエスの御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従って歩んでいたのです。

 私たちも、主イエスの導きに従って神を礼拝し、御言葉を信じ、復活、即ち永遠の命の希望を持ち、神と人に愛をもって仕えることが出来るよう、努めて参りましょう。

 主よ、罪と死の力を打ち破って甦られた御子イエスがパウロに出会い、信仰に導かれたように、私たちをも主イエスを信じる信仰に導いてくださいました。心から感謝と喜びをもって神を礼拝し、主の御言葉を信じ、復活の希望を持ち、神と人への愛の奉仕に努める者とならせてください。 アーメン


5月18日(月) 使徒言行録23章

「千人隊長は百人隊長二人を呼び、『今夜9時カイサリアへ出発できるように、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名を準備せよ』と言った。」 使徒言行録23章23節

 千人隊長は、パウロの罪状が知ろうとして、最高法院を召集しました(22章30節)。鞭打ちをもってパウロを取り調べようと考えていたのですが(同24節)、それは、ローマ市民に対しては許されていない行為でした(25節以下)。最高法院を召集したということは、パウロの罪状がローマ法で裁けるものではないという感覚ないし理解があったのでしょう。

 最高法院の議員がファリサイ派とサドカイ派で構成されているのを見て、パウロは「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」(6節)と言いました。すると、ファリサイ派とサドカイ派の議員の間に論争が生じ、法院が分裂したと報告されています(7節)。

 復活や天使の存在などで、両派の間に対立があることはよく知られていました。けれども、キリスト教徒を迫害することにおいて、利害は一致していたと思われます。また、律法に背くことを教えているという点では、ファリサイ派のほうがパウロに対して厳しい態度を持っていたと思われます。

 それなのに、ファリサイ派の律法学者が「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」(9節)と言っています。本当にそんなことを言ったのかと疑いたくなるような状況です。ともかくも、両派の論争が激しくなったので、またもや千人隊長はパウロを兵営に連れて行くように命じなければならなくなります(10節)。

 この背後に神のみ手があったことが、11節の言葉で示されます。主がパウロに、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」と仰っているからです。主のご計画が実現するまでパウロは守られ、ローマまで運ばれることになります。

 一方、最高法院でパウロに対して極刑の判決を期待していたユダヤ人たちは、それが適いそうにないことを知って暗殺を企てます(12節以下)。ファリサイ派の議員たちがパウロの側について法院が分裂したことから、暗殺を企てた40人余りの人々は、祭司長ほかサドカイ派の人々に助力を要請したのでしょう(14節)。

 ただ、陰謀を知る者の数が増えることは、それが漏れる危険性が高まることをも意味します。実際、エルサレム在住のパウロの姉の子、つまりパウロの甥が暗殺の陰謀を聞きつけ、兵営のパウロに知らせます(16節)。パウロは百人隊長を呼んで(17節)、甥を千人隊長のもとに連れて行かせ、陰謀について伝えさせました(18節以下)。

 千人隊長は、パウロの安全を図るため、身柄を総督フェリクスのいるカイサリアに移すことにします。それは、パウロの罪状が異邦人には理解しがたいユダヤ教の信仰の問題であることから(29節)、取り扱いを委ねるということでしょう。そして、ローマの市民権を持つパウロに対する暗殺の陰謀を知ったので(27,30節)、身の安全を図るために移送を実行したのでしょう。

 それで、冒頭の言葉(23節)のとおり、百人隊長二人を呼び、護送の準備をさせます。パウロ一人の護送のために、470人という、エルサレムに駐屯している部隊の半数近くを動員するというのは、陰謀を企てている40名余の者たちに対応してのことでしょうが、主イエスの復活の証人(11節)を無事にローマへ護送させるため、主なる神によって呼び出されたかのようです。

 護送部隊のうち歩兵と補助兵は、襲われる危険のあるアンティパトリスまで行き(31節)、あとは、騎兵たちがパウロを馬に乗せて護送しました(32節)。アンティパトリスの正確な所在は分かっていません。ただ、エルサレムから約60kmという距離のところにアンティパトリスがあったと考えられています。

 60kmという距離があるところを、400人の歩兵部隊が夜中に出発して、その夜のうちに目的地に到着するというのは、およそ無理ではないかと思われます(31節)。あるいは、翌日の夜中にと考えたほうがよいのではないでしょうか。

 いずれにせよ、パウロはローマ兵に守られながら、エルサレムから110km離れたカイサリアの総督フェリクスのもとに無事到着しました。かつて、大祭司からローマ総督の下に身柄が移された主イエスは、ローマ兵によって鞭打たれ、十字架につけられましたが、今パウロは、彼を亡き者にしようというユダヤ人からローマ兵の手によって守られています。

 今はまだ、どのようにしてローマまで行くことになるのか、全く分かっていません。しかし、パウロがローマで証しをするために、一方ではユダヤ人らの訴えや陰謀を利用し、一方ではローマ市民権を持つパウロを守る責任を負うローマの兵士らを用いて、主なる神ご自身がタイミングをはかり、ご計画を実行しておられるのです。

 どんなときにも、万事を益となるよう共にお働きくださる主に信頼し、その御声に耳を傾けましょう。平安のないとき、主を賛美しつつその思いと考えを主に申し上げましょう。主は人知を超える平安(エイレーネー=シャローム)をもって、わたしたちの心を守ってくださいます(フィリピ書4章6,7節)。

 聖なる主よ、私たちはあなたのご計画のすべてを知っていないので、目の前に起こる様々な出来事に振り回されてうろたえていますが、あなたはそれらすべてを、私たちの弱さや欠点さえも益とされる、マイナスをプラスに変えてくださるお方であることを信じて、感謝致します。委ねられている使命を悟り、御旨に従って歩むことが出来ますように。アーメン


5月17日(日) 使徒言行録22章

「すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」 使徒言行録22章21節

 神殿でナジル人の誓願を立てた人々を支援していたパウロが(21章23節以下)、アジア州から来たユダヤ人たちに誤解を受けて逮捕され(同27節)、神殿の外で殺されそうになっていたとき、町の混乱を沈めるためにエルサレムに駐留していたローマ兵が出動しました(同32節)。

 守備大隊の千人隊長は兵士にパウロを2本の鎖で縛らせ(同33節)、兵営に連れて行きます(同34節)。パウロが何をして暴動になっているのか、真相をつかもうとしても、あまりに混乱していて、その場では調書を取ることが出来ず、熱狂している群衆がさらに暴行を働きかねなかったからです(同35節参照)。

 そのとき、神殿にいる人々に話をさせて欲しいとパウロが求めると(同37,39節)、なんと千人隊長はそれを許可しました(同40節)。鎖をはずされたパウロが兵営に上がる階段の上から神殿の庭を見下ろして手を振ると、不思議なことに人々がすっかり静かになりました。そのようなことはあり得ないというところですが、背後に神の力、導きがあったということでしょう。

 パウロは、「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください」(1節)と語り始めます。自分を殺そうとしている人々を、「兄弟、父」と呼んでいます。ステファノも、殉教前の演説の初めに同じ言葉で最高法院の議員たちに語りかけていました(7章1節)。そして、パウロにとってユダヤ人は、仇敵ではなく福音を伝えるべき愛する同胞であるということです。

 「弁明を聞いてください」といって話を始めていますが、語られていることは、自身を弁護する言葉ではありません。弁明というのであれば、エルサレム神殿で逮捕されるべき理由などない。異邦人を神殿に連れ込んだというのはアジア州から来たユダヤ人たちの誤解で、ディアスポラのユダヤ人にモーセ律法に背くように教えたこともないといった趣旨のことを言おうとするでしょう。

 ところが、ここで彼が語っているのは、自分の回心の体験談です。「この道」(4節)と呼ぶキリスト教会を徹底的に迫害し、信徒を抹殺してしまおうと思っていた者が(5節)、復活された主イエスの天からの声を聞き(7節以下)、この道に従って生きる者に変えられたという顛末(14節以下)を語っています。

 それを聞いていた人々がいきり立ち、「こんな男は、地上から除いてしまえ」(22節)とわめき立てます。神を冒涜した罪で十字架につけられたイエスを「主」と呼ぶこと(8,18節など)、復活された主イエスの証人として神に選ばれたこと(14,15節)、そして冒頭の言葉(21節)のとおり、遠く異邦人のために遣わすと主から告げられたことを、パウロが語ったからです。

 即ち、それはイスラエルが唯一神に選ばれた民であるという地位を無にし、イスラエルに与えられた律法の意義を失わせるような行為だからです。それは、律法に背くことを教え、神殿に異邦人を連れ込んだという訴えが、全く正当なものだったということを、自ら証言していることになると受け止められたわけです。

 けれども、パウロがここで彼らに語った言葉は、自分で考えた理屈などではありません。彼が実際に見たこと、聞いたこと、体験したことです。パウロとしては「見たことや聞いたことを話さないではいられない」(4章20節)というところでしょう。そのために彼は神に選ばれ、用いられて来たのです(15,21節)。

 かつてステファノの殉教に立ち会い、キリスト教徒を迫害していたパウロが(19,20節、7章58節、8章1,3節、9章1節以下)、救いの恵みに与り、伝道者とされたのは(6節以下、15,21節、)、深い神の憐れみによることです。

 自分のような罪人の頭が救いの恵みに与ったということは(第一テモテ書1章15節、第一コリント書15章9節、エフェソ書3章8節)、神の恵みから漏れ、その憐れみを受けることの出来ない者など一人もいないということですから、自分の話を聞いたユダヤの群衆の中からも、そのような人が起こされると信じ、期待していたのだと思います。

 しかしながら、騒ぎがひどくなったのを見た千人隊長は、パウロを兵営に連れて入れ、騒動と逮捕の理由を知るため、鞭で叩いて取り調べようとします(24節以下)。ところが、ローマの市民権を持つパウロを、手荒く取り扱うのは許されないことでした(25節以下、29節)。

 この後、パウロはローマ兵に守られ、やがてローマに移送されます。彼はローマ皇帝の前で福音を証しすることになります(23章11節、25章12節参照)。囚人とされたことで、ローマに赴き、帝国の中枢にいる人々に直接福音を語り伝える道が開いたのです。

 主のなさることは、不思議としか言いようがありません。「ああ、神の富と知恵のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマ書11章33節)というとおりです。

 私たちも、主イエスを信じる信仰によって神の子とされました(ヨハネ1章12節)。そのために、どれほどの愛を神より注いでいただいたのか、思い起こしてみましょう(第一ヨハネ書3章1節)。いただいた恵みを無駄にしないよう、主の業に励む者となりましょう。 

 主よ、パウロはどんなときにも、自分を守るためではなく、福音の前進のために語り続けます。主イエスの福音によって完全に造り替えられた者であることが分かります。どうか私たちも、神に喜ばれる信仰の歩みをすることが出来ますように。日々御言葉に耳を開かせてください。導きに従う力を与えてください。 アーメン


5月16日(土) 使徒言行録21章

「それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」 使徒言行録21章30節

 第三回伝道旅行の終わり、エフェソの長老たちを後にミレトスを発って海路パレスティナを目指し(1節以下)、プトレマイスで上陸して(7節)、カイサリアに赴き、福音宣教者フィリポの家に泊まりました(8節、6章5節、8章4節以下、40節)。そこからエルサレムに上りました(15節)。

 プトレマイスについて、口語訳、新改訳は「トレマイ」としていました。母音のつかない語頭の「p」と語尾の「s」を発音しなかったということでしょう。この港のある町は、エスドラエロン平野の中心を占める重要な場所にあって、長くエジプトの支配下に置かれていたので、プトレマイオス王朝に由来する名でよばれたわけです。

 エルサレムに着いたパウロは、教会の指導者ヤコブを訪ねました(18節)。そこには長老たちも皆集まっていました。パウロは、自分の奉仕を通して異邦人の間で神がなさったことを詳しく報告しました(19節)。それは、多くの異邦人が主イエスを信じて救われ、異邦人の教会が各地に造られたということでしょう。

 人々はそれを聞いて神を賛美しますが、あわせてパウロについて聞いている噂を話題にします。というのは、パウロが外国にいるユダヤ人に対して「割礼を施すな、ユダヤの慣習に従うな」(21節)と言って、モーセの律法に背くように教えているという噂が、エルサレムまで流れて来ていたからです。

 エルサレム教会の人々がこの噂を真に受けていたとも思われませんが、しかし、この種の噂が流されることは、エルサレム教会の宣教活動によい影響を及ぼさないので、教会としては、この噂が真実でないことを証明したい、パウロ自身でそれを証明してほしいという考えがあったのでしょう。

 その考えに従って、教会の中に誓願を立てた者が4人いるので(23節)、彼らの誓願の費用を出してほしいと、パウロに提案します(24節)。「頭をそる費用」というのは、散髪代ではなく、誓願に関わるすべての費用を指しています。あるいは、4人は経済的に貧しい人々だったのかも知れません。

 「頭をそる費用」という言葉から、これは、「ナジル人の誓願」と呼ばれるものと考えられます(民数記6章5,18~20節)。それは、特別な誓願をかけて、主に献身をするというものです。そのとき、清めの儀式のために神殿に行き、種々の献げ物をします。パウロがこれらの儀式の費用を支払うことは、善い業を行うことと考えられたのです。

 ガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパが多くのナジル人の出費を支払ったことが、当時、信心深い行為と見なされていたという記録もあるそうです。また、費用を請け負うことは、その清めの儀式に自ら参加することでもあったので(26節)、そうすることで、パウロが律法に従って生きていることを証明することとも考えられたわけです。

 ところが、それがかえって仇になりました。清めの期間が終わり、最後の清めの儀式を受ける前に、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内にいるパウロを見つけ、「律法に背くことを教えているパウロが、異邦人を神殿に連れ込んで聖なる場所を汚した」(28節)と大騒ぎをしました。

 それで、神殿だけでなく、エルサレムの都中の大問題になり、人々がよってたかってパウロを捕らえ、神殿から引きずり出しました。聖なる場所の中で人殺しをするわけにはいかないと考えたのでしょう。かくて、悪意のある噂話に勘違いが加わって、根も葉もないことでパウロは殺されそうになっています。

 しかしこれは、宗教指導者の指導の下になされていたことなのです。というのは、冒頭の言葉(30節)に「門はどれもすぐに閉ざされた」とありますが、それは、神殿守衛長の指示がなければ出来ないことだからです。

 ですから、パウロを捕らえ、殺害することについて、祭司や神殿守衛長など、指導者たちの間で予め合意がなされていたと言えます。もともとキリスト教会を迫害する急先鋒だったパウロが(7章58節、8章1,3節参照)、キリストを信じ、その福音を宣べ伝える者に変わってしまったので、彼を手にかける機会を狙っていたのです(9章20節以下、23節以下など参照)。

 一方、パウロが教会の指示に従って誓願の儀式に立ち会うことにしたとき、このような結果になることを予想していたのではないでしょうか(13節)。けれども、福音のためにはどんなことでもするというパウロには(第一コリント書9章23節)、教会を愛し、教会に仕えて苦しみを受けることは、キリストの苦難に与る光栄なことだったのです(ローマ書8章17,18節など)。

 パウロはフィリピ書1章29節でも、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」と語っています。

 今私たち日本に住むキリスト者にとって、目に見える形で信仰の故の迫害を経験することは、まずありません。だからといってよいでしょうか。どこか信仰を貫くのに生温くなってしまって、主に従う姿勢が曖昧なものになっています。 

 日々主のみ言葉に耳を傾け、その導きに従ってまっすぐに歩みましょう。

 主よ、今の日本で聖書にあるような迫害や苦難を経験することはありません。そのために生温くなっている面を,今日はっきりと指摘されました。パウロのように、福音のためならどんなことでもするという信仰に立たせてください。臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊に満たしてください。 アーメン


5月15日(金) 使徒言行録20章

「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」 使徒言行録20章28節

 パウロ一行は、エフェソの騒動が収まった後(19章21節以下、40節)、トロアスヘ行き、そこからマケドニアに渡ります(1節)。正確な渡航時期は不明ですが、紀元55年の晩夏か初秋の頃と考えられます。

 このことについて、第二コリント書2章12,13節に「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスにいったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記しています。コリントが心配で、トロアスで宣教活動を展開する気になれなかったというのです。

 「この地方」(2節)とは、第2回伝道旅行で教会を設立した地方ということで、フィリピ、テサロニケ、ベレアを再び訪れ、「言葉を尽くして人々を励まし」(2節)ているわけです。それができたのは、恐らくフィリピでテトスと会うことができ、そのときテトスが、コリントの教会の問題は解決したという報告をもたらしてくれたからです(第二コリント書7章5節以下)。

 そこで、第二コリント書を書いてテトスに持たせ、どれほどパウロが安堵し、喜んでいるのかを伝えさせました。それから「ギリシアに来て」(2節)は、アカイア地方コリントの教会を訪れたということで、紀元55年の冬頃のことと考えられています。

 コリントの滞在期間を「三か月」(3節)と言います。パウロがローマの信徒への手紙を書いたのは、恐らくこの訪問の間でしょう。ローマ書16章1節でケンクレアイの教会の奉仕者をローマの教会に紹介するといっていますが、ケンクレアイはコリントの港町です。その女性執事フェベが、ローマに手紙を届ける役割を果たしたのでしょう。

 また同23節の「わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオ」とは、パウロがコリントの教会でバプテスマを授けた数少ない人物の一人でした。第一コリント書1章14節に「クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにもバプテスマを授けなかった」と記されています。

 使徒言行録の著者は、このあたりのことについて、全く関心を示していません。まるで旅を急いでいるかのように、伝道旅行の終盤に向かってさっさと筆を進めます。パウロは、コリントから海路でパレスティナに戻る予定でしたが、「ユダヤ人の陰謀があったので」(3節)、陸路マケドニア・フィリピまで行き、フィリピからトロアス行きの舟に乗ることにしました(6節)。

 ユダヤ人たちは、コリントでアカイア州の地方総督ガリオンに訴えてパウロを処罰するという計画を立てて失敗していたので(18章12節以下)、今回は、船中に刺客を潜ませ、エルサレムの巡礼客の中に紛れてパウロを殺害しようと謀っていたのでしょう。

 4節に、パウロの同行者のリストがあります。パウロに対する陰謀を受けてのことですから、この7人以外にも多数の同行者がいたものと思われます。7人は、マケドニアおよびアジアの教会の代表者たちです。パウロに同行して旅を安全に守り支えると共に、それぞれの教会からエルサレムに届けるための献金を持参していたのでしょう。

 5節に「この人たちは先に出発してトロアスでわたしたちを待っていた」とありますが、アジア州出身のティキコとトロフィモがエフェソからトロアスに来ていたほかは、ベレアのソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンドはそこからフィリピの港でパウロより先にやって来たキリキア州デルベ出身のガイオとテモテと共にトロアスに渡ったのでしょう。

 ガイオとテモテに替わって、パウロの同行者に加えられた人物がいます。「わたしたち」という言葉に表されているように、久しぶりに使徒言行録の著者ルカが、パウロの道行きに同行するようになったのです(16章10~16節参照)。

 トロアスで先発の7人と落ち合ったパウロ一行は(6節)、「週の初めの日」(7節)すなわち日曜日に、「パンを裂くために」(同節)つまり礼拝を行うために、集まりました。それは「階上の部屋」で「たくさんのともし火がついていた」というのですから、裕福な人が集会場所を提供したようです。かくして、トロアスにもキリストの教会が立て上げられていたことが分かります。

 その後、アソスから海路(14節)、ミレトスまで行きます(15節)。そこから隣町のエフェソに人をやり、教会の長老を呼び寄せました(17節)。旅を急いでいて、エフェソには寄らなかったのです(16節)。とはいえ、素通りすることも出来ませんでした。

 というのは、エルサレムで苦難が待ち受けており、パウロ自身、もう二度とエフェソの人々の顔を見ることはないだろうと思っていたからです(25節)。そこで、集まって来た長老たちに訣別の説教をします(18節以下)。

 パウロは、アジア州(ことにエフェソ)における宣教活動を思い起こさせ、試練の中でも福音を宣べ伝えてきたように(19節)、これから投獄と苦難の待つエルサレムに行くけれども(22,23節)、福音を証しする任務を果たすことが出来るなら、命は決して惜しくはない(24節)と告げます。

 ここに、パウロの使徒としての福音宣教にかける心意気があります。そして、ここで長老たちにこのように語ったのは、エフェソの教会を彼らに託し、福音宣教と共に群れの世話をしてもらうためです。そこで、冒頭の言葉(28節)で「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と語るのです。

 それは、パウロ亡き後、残忍な狼ども、つまり迫害者がやって来て、群れを荒らすからです(29節)。また、内部からも邪説を唱える者、つまり異端の教えで信徒を惑わす者が現れるからです(30節)。だから、そのような者に惑わされないように、パウロが3年にわたって語り続けてきたことを思い起こし、目を覚ましていなさいというのです(31節)。

 パウロは長老たちに、「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」(28節)と言います。

 教会は、神を信じる者の集まりであり、神は信じる者のために御子キリストの血で贖いの業を成し遂げられました。だから、教会は神のものなのです。そして、神のものである教会を長老たちに委ね、神に代わって群れの世話をさせるために、聖霊が、長老たちを群れの監督者に任命したというのです。

 「監督者」(エピスコポス)とは、見守る者、保護する者という言葉です。教会を支配し、群れを自分のものとするようなことではありません。あらためて、「あなたがた自身と群れ全体とに気を配りなさい」と言われているのは、自分の使命を忘れ、勘違いして、群れの支配者になろうとする誘惑があるという警告ではないかと思わされました。

 そうではなく、群れ全体に神の恵みの言葉を説き明かし、教えるという牧会の働きを通して、教会が神のものであり、キリストの命という高価な代価を払って買い取られ神の民であることを、教会内外に示すのです。そのために必要な知恵も力も、群れの監督者に任じてくださった聖霊を通して与えられます。

 監督者自身の、神を畏れ、御言葉に聞き従う姿勢が、絶えず厳しく問われています。御言葉は、「あなたがたを造り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(32節)。祈りつつ、謙って共に主に仕えて参りましょう。

 主よ、御言葉の前を離れると、自分の姿を忘れてしまいます。時に高ぶり、愚かになります。憐れみ助けてください。私たちの群れが、御子キリストの血によって贖い取られた神のものであることを、うちに外に現していくことが出来ますように。 アーメン



5月14日(木) 使徒言行録19章

「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。」 使徒言行録19章18節

 パウロが第三回伝道旅行に出て、ガラテヤやフリギアの地方を巡回してすべての弟子たちを力づけた後(18章23節)、エフェソに下って来ました(19章1節)。エフェソは、アジア州第一の都市です。エーゲ海に面する港町で通商によって富み栄え、シリアのアンティオキア、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ東地中海の三大都市の一つに数えられていました。

 パウロがエフェソにやって来たのは、第二回伝道旅行の際の訪問(18章19~21節)に続いて二度目ですが、一回目はごく短期間の滞在でした。今回は、アレキサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家の宣教によって教会の礎が築かれ始めたところで(同24節以下)、パウロがアポロのバトンを受け取って、宣教の働きを進めるのです。

 そこで先ず「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」(2節)と、エフェソの信徒たちに尋ねます。彼らは、聖霊の存在を聞いたこともないと答えます。ヨハネのバプテスマしか知らないということだったので(3節、18章25節)、彼らに主イエスの名によるバプテスマを授け(5節)、パウロが彼らに手を置くと、聖霊が降りました(6節)。

 その人数が「12人ほど」(7節)と告げられており、主イエスが選び出した12人にも似て、彼らがエフェソの教会の中心的な役割を担う存在となっていたのでしょう。そしてそれは、主イエスの働きが12人によって担われることになったように、パウロの働き、即ち異邦人伝道の働きが彼らにより、そうしてエフェソ教会によって担われることになったのでしょう。

 教会の足場を固めたパウロは、前に訪ねたこともあるユダヤ人の会堂(18章19節)に入り、三ヶ月に亘って神の国について大胆に論じ、人々を説得しようとしました(8節)。けれども、ユダヤ人の一部は頑なで福音を信じようとしないだけでなく、非難する者たちもいました(9節)。

 そこで、パウロは会堂を離れ、弟子たちをも退かせて、ティラノという人の講堂で教え続けました(9節)。その生活がいつの間にか2年に及びました(10節)。長い時間をこのエフェソで過ごしたわけです。20章31節には、3年間教えたというパウロの言葉が記録されています。

 「講堂」(スコレー)という言葉は、現在の「学校」に通じる言葉ですが、もともとは「暇、労働からの自由」で、余暇に議論を戦わせたり、学びをしたりというところから、講堂、学校という場所を指す言葉になったようです。パウロは、午前中テント作りの仕事をして生活の糧を得る傍ら、人々が昼寝をする午後の時間、講堂に入って福音を説き続けたのです。

 この宣教活動により、アジア州に住む者は、誰もが主の言葉を聞くことになったと、10節に記されています。勿論、パウロ一人ですべての人々に宣べ伝えたというのではないでしょう。エフェソや周辺の教会の人々がパウロの宣教活動に励まされて、熱心に福音を伝えたことでしょうし、また教会に好意を持つ人々によって口伝えに、ときには反対者の口によっても広められたと考えられます。

 そのような熱心な宣教活動に伴い、目覚しい奇跡も起こりました。パウロが身に着けていたものに触れると、病人が癒され、悪霊が出て行くほどだったと報告されています(11,12節)。それを知った占いや呪いをする祈祷師たちで、主イエスの名を唱えて悪霊を追い出そうとする者も出てきました。

 「ユダヤ人の祈祷師」とありますが、ユダヤ人は元来、占いや呪いを禁じられています(申命記18章9節以下)。それによって運命を先取りし、あるいはその運命を変えようという行為は、神の力を自分のために利用しようとすることだからです。神は、そのような異教の習慣を厭われるのです。

 祭司長スケワの7人の息子たちがそんなことをしていたとありますが(14節)、スケワという名の祭司長がいたという記録は残っていません。あるいは、由緒正しい祈祷師であると宣伝するために、そのように名乗っていたのかも知れません。

 悪霊に取りつかれた一人の男に、この7人が「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」(13節)と、イエスの名の権威で悪霊を追い出そうとしました。ところが、「イエスもパウロもよく知っている、お前たちはないものだ」と言い返され(15節)、そしてその男が7人に飛び掛り、酷い目に遭わせたので、彼らは裸で逃げ出しました(16節)。

 神の厭われることを行っている祈祷師たちが、真の信仰を持っていないのですから、主イエスの名を語ったところで、役に立つはずがありません。しかし、その事件がエフェソ中に知れ渡り、主イエスの名は大いにあがめられることになりました(17節)。

 冒頭の言葉(18節)に「信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した」と記されています。「悪行」と訳されているのは、「行い」(プラークシス)という言葉で、この言葉に「悪」というニュアンスはありません。口語訳などは「行為」、「していること」と訳しています。新共同訳は、前後の文脈から「悪行」と意訳しているわけです。

 ここで「悪行」というのは、占いや呪い、魔術の類を行っていたことを指します。それが信仰に入る前か、入った後のことかは記されていません。あるいは、主イエスを信じた後も、その悪行をしていたのではないでしょうか。その「悪行」を告白して、魔術の本を焼き捨てました(19節)。

 「エフェソの書簡」と呼ばれる魔術の本は、高い値で売れたそうです。それだけ、エフェソでは「悪行」がはびこっていたということでしょう。であれば、その町に、占いや呪い、魔術を捨て去って主イエスを信じる信仰に入る人々が起こされたところに、聖霊の力を受けて福音を告げ知らせるパウロと弟子たちの働きのめざましさが示されます。

 また、悪霊との関わりや異教の習慣を断ち切ることによって、まことの神を畏れ、ただ主イエスを信じる信仰によって生きるということを、教会の内外に明確に表しました。それによって、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していきました。その信仰が神に喜ばれたのです。

 私たちも主イエスの福音によって救われ、神を「アッバ、父」と呼ぶ信仰に生かされています。日々聖霊の導きを求めながら主のみ言葉に耳を傾け、その導きに従って生きることを通して、主こそ神であられることを証しする者と慣らせていただきましょう。 

 主よ、信仰に入る前だけでなく、信仰に入ってからも、あなたを悲しませることを繰り返している私たちです。あらゆる汚れを清め、清い新しい霊を授けてください。日々聖霊の導きを慕い求めつつ主のみ言葉に耳を傾け、主のみ心をわきまえる者としてください。そうして、御心がこの地に実現されますように。 アーメン


5月13日(水) 使徒言行録18章

「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 使徒言行録18章10節

 パウロは、思うような成果を上げることが出来なかったアテネを去って、70kmほど西のコリントへ行きました(1節)。コリントは、ペロポネソス半島の頸部の南に位置し、東西の海路の接続点、南北の陸路の接続点という交通の要衝で、アテネをしのぐ政治・経済の中心地となっていました。

 地中海東部からの舟は頸部の東にあるケンクレアイ港、地中海西部からの舟は西のリカイオン港に荷を降ろし、8キロ陸送し、反対側の港から荷を出します。小型船舶は舟ごと陸上を運んだそうです。現在は、この地峡に運河が通っています。そうしなければ、風の強い半島の先端マレアス岬を320キロも迂回しなければなりませんでした。

 町はアクロコリント山の裾野にあり、山上にはアフロディテの神殿が設けられていました。神殿には多数の神殿娼婦がいて、世界中から巡礼客を引きつけていました。「コリント人のように生活する」という言葉が「不道徳を行う」と同義で用いられるほどでした。コリント教会が性的な問題を抱えていたのも、さもありなんというところです。

 パウロは、ポントス州出身のアキラとプリスキラというディアスポラのユダヤ人夫婦と出会いました(2節)。二人はユダヤ人をローマから退去させるという皇帝の命令によって、イタリアからやって来ていたのです。アキラは、テント造り職人でした。パウロも同業でしたから、彼らの家に住み込んで一緒に仕事しながら、コリントの町のユダヤ教の会堂で宣教を始めます(3,4節)。

 この時点では、まだアキラたちはクリスチャンではなかったようです。ユダヤ人たちがパウロに反抗したので、「今後、わたしは異邦人の法へ行く」と宣言した後(6節)、パウロは、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移りました(7節)。これは、反抗したユダヤ人の中にアキラたちもいたということではないかと思われます。

 ティティオ・ユストはラテン名で、「神をあがめる」は、ユダヤ教の信奉者ということです。その人物がキリスト者となって、パウロに家を提供したわけです。彼の家は、会堂の隣にありました(7説)。それだからか、会堂長クリスポの一家が主イエスを信じるようになり、そして、コリントの多くの人々、すなわちギリシア人たちがクリスチャンになりました(8節)。

 そんなある夜、パウロは幻の中から語りかける主イエスの声を聞きました。それは、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」(9,10節)という言葉でした。

 そう語られたということは、パウロの置かれている境遇が、決して恐れずにすむようなことではなかったことを示しています。「危害を加える者はない」と言われていますが、マケドニアに渡って来て以来、繰り返し危害を加えようとするユダヤ人らの反抗に直面させられてきました。彼をして「今後、わたしは異邦人の方へ行く」(6節)と言わしめるほどのことだったのです。

 もし、神の助け、主の導きがなければ、逃げて帰りたい心境だったことでしょう。第一コリント書2章3節に「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と記されているのは、このことがその要因だったと思われます。だからこそ、主が幻の中でパウロに語りかけ、彼を励まされたのです。

 「恐れるな」と「わたしがあなたと共にいる」という言葉は、「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな,わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える」というイザヤ書41章10節の言葉を思い出させます。パウロは、自分共にいて、助け、支えると言われる主のみ声を聞いて慰められ、励まされました。

 それから1年半、パウロはコリントに留まり、福音を語り続けました(11節)。その相手は、異邦人だけではなかったと思います。もう、あなたたちとは話したくないといったユダヤ人にも福音を伝えました。そして、かけがえのない人を得ています。それは、アキラとプリスキラ夫妻です。

 というのは、コリントを去ってシリア州に旅たったとき、この夫妻も同行しており(18節)、さらに、二人がエフェソに残されて、パウロはアンティオキアに戻りますが、そのとき二人は、伝道者アポロに「もっと正確に神の道を説明した」のです(26節)。熱心なユダヤ教徒だったアキラが、今や熱心なキリスト教徒になっていたわけです。

 どうしてそういうことが出来たのでしょうか。それは、アキラ夫妻が主イエスによって「わたしの民」と呼ばれる者たちだったからです。そして、パウロは主イエスに従って伝道していたからです。そのために、必要な知恵も力も、キリストによって彼に注ぎ与えられていたのです(第一コリント書1章18節以下、30節、2章1節以下4,5節参照)。

 今、私たちが置かれている場所がどのように見えても、どのような苦しみを味わっていても、そこが主によって与えられた麗しい地であり、輝かしい嗣業を受けているのだと信じましょう。(詩編16編6節)。そこに留まるとき、主は私たちの思いを励まし、私たちの心を夜ごと諭してくださるのです(同7節)。

 この町に、主が「わたしの民」と呼ばれた人々が大勢住んでいます。主を信じ、聖霊と御言葉の励ましを受けて、大胆に主の恵みを証ししましょう。

 主よ、今日も私たちと共にいて、私たちを励まし、諭してくださり、感謝します。どうか主の福音を語らせてください。神の救いを待っている人々、即ち、あなたが「わたしの民」と呼ばれた人々が、この町に大勢いるからです。信仰によって前進させてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心がこの町に、この国に行われますように。 アーメン


5月12日(火) 使徒言行録17章

「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう。」 使徒言行録17章23節

 フィリピを後にしたパウロたちは(16章40節)、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケの町に着きました(1節)。この町でも、3回の安息日にユダヤ人の会堂で福音を語り伝え(2,3節)、半月余りで福音を信じる者がかなり起こされました(4節)。ところが、町にいたユダヤ人たちがそれをねたみ、ならず者を抱き込んで暴動を起こしました(5節以下)。

 難を避けるため、兄弟たちはすぐにパウロたちを次の町べレアに送り出しました(10節以下)。ここでもたくさんの人が主イエスを信じました(12節)。彼らは素直で、熱心にみ言葉を受け入れたと言います(11節)。その噂を聞いたテサロニケのユダヤ人がここにも押し寄せてきて、町を騒がせました(13節)。

 そこで、ベレアの兄弟たちはパウロをアテネに向けて送り出しましたが、シラスとテモテはベレアに残りました(15節)。それは、迫害の手を逃れつつもベレアにキリストの教会をしっかりと建て上げるためだったと思われます。

 こう見て来ると、短時日のうちに成果を挙げ、それに対してユダヤ人による迫害がすぐさま起こって、次々に移動したように見えます。実際にはもう少し長い時間がかかったのではないかと思いますが、それでも当事者にとっては、あっという間の出来事といった感じなのかもしれません。

 パウロがシラスとテモテの到着を待ってアテネの町を巡っているときのこと、「この町の至るところに異教の偶像があるのを見て憤慨した」(16節)と記されています。二人の到着はパウロがコリントに着いてからのようですが(18章5節)、第一テサロニケ書3章1節以下によると、二人はアテネにやって来て、そこから再びテサロニケとベレアに送り出されたようです。

 「憤慨した」(パロクシュノウ)という言葉は、非常に強い感情が掻き立てられるという言葉です。その強い感情を「憤り」として表現してありますが、「深い悲しみ、悲嘆にくれる」という感情も含まれていたのだと思います。

 アテネには、神を祀る神殿や祠などが3000ほどあったと言われます。ありとあらゆるものを神として拝んでいたようです。冒頭の言葉(23節)にもそれが記され、その中には、「知られざる神に」と刻まれた祭壇さえあったというのです。

 考えられる限りの神を祀っているけれども、それ以外にも、まだ自分たちの知らない神がおられるかも知れないと考えて、そのような祭壇を造ったのでしょう。その動機は、神を祀らずに蒙るかもしれない神罰に対する恐れでしょう。その恐れが、ありとあらゆる偶像を作り、さらに「まだ知らない神に」という祭壇まで作らせたのです。

 パウロは22節で、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを認めます」と言います。「信仰心のあつい方」とは、宗教心に富んでいるということでしょう。しかし、それにも拘わらず、「知られざる神」を拝んでいるというので、多分に皮肉を含めて「信仰心のあつい方」といっているのです。

 そこで、その深い無知に対して、「あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう」と言います。「お知らせする」(カタンゲッロー)は、教えるというのではなく、宣べ伝えるという言葉です。パウロは哲学者ではなく、伝道者だということです。

 パウロは、ここからアテネの人々に福音を説きます。それを要約すると、①神は天地万物を造られた。それゆえ、人が造った神殿には住まわれない。人に仕えてもらう必要もない(24,25節)。

 ここに、神はどのようなお方なのか、どのようなお方を神と呼んでいるのかという、大切なことが語られています。神は、天地万物を造られた方であるという、旧約聖書以来の信仰宣言です。人間の作ったものに天地万物を創造されたお方をお入れすることなど、出来るものではありません(列王記上8章27節参照)。また、人の助けを必要とされません。

 ②神は人を造られ、命と息と、その他すべての必要なものを与えられた。すべての民を造られ、国境を定められた(25,26節)。

 むしろ、助けを必要としているのは人間のほうです。神は、必要なものをすべて創ってくださいました。人間は神の被造物ですから、お互いに知者だ、無学な者だとレッテルを貼り合ってはなりません。誰もが、神の御旨に従って創造されたものだからです。神の前には、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません(ガラテヤ書3章28節)。

 ③神を捜し求めれば、見出すことができる。神は遠くに離れてはおられない(27,28節)。

 人は神を求めるように造られており、そして、求めれば、見出すことが出来るようにしてくださいました(申命記4章29節、詩編145編18節、イザヤ書55章6節、エレミヤ書29章12~14節など)。というのも、私たちは「神の中に生き、動き、存在している」のであり、私たちは神によって造られ、愛されている「神の子」だからです。

 ④神の像を作ってはならない(29節)。

 私たち人間は、神のかたちに作られたものです(創世記1章26,27節)。私たちを見れば、神がどのような方か分かるということです。神に造られた神の子たちのとるべき態度は、神を呼び求めて神と出会い、信じて従うことであって、自分の思いで神の象を造るべきでないことは明らかです。それは、まことの神を否定することだからです。

 ⑤キリストは死者の中から甦られた(31節)。

 キリストは死者の中からの復活を通して、世を裁くお方であること、それによって信仰を呼び覚まし、救いへと招いておられるのです。パウロは、主イエスの福音に耳を傾けることを求めています。主イエスの福音とは、主イエスが私たちの罪の贖いのために死なれたことであり、そして罪と死の力を打ち破って甦られたことです。

 人の知恵では、神に到達できません。「知られざる神」を知るためには、素直に御言葉を聞くことです。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉から来るのです(ローマ書10章17節)。キリストを通らずして、だれも父なる神の御もとに行くことはできないのです(ヨハネ14章6節)。

 そして、ベレヤの人々が毎日聖書を読み、素直に御言葉を信じ、受け入れたように(11節)、御言葉を日々読んで見ませんか。主イエスは、必ずその思い、願いに応えてくださいます。御言葉を通して、真実を教えてくださいます。

 主よ、パウロは主イエスの復活の福音を告げ知らせましたが、アテネの知者たちは信じようとせず、むしろパウロを嘲笑しました。理屈では説明出来ないからです。私たちも主イエスの復活を宣べ伝えます。聖霊の導きを与えてください。 アーメン


5月11日(月) 使徒言行録16章

「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」 使徒言行録16章9節

 パウロは、前回の同行者バルナバと別れて第二回目の伝道旅行に出発しました(15章36節以下)。それは、バルナバの従兄弟マルコ・ヨハネを伝道旅行に同行させるかどうかで、バルナバとパウロの意見が衝突したからです(同37節以下)。

 バルナバは,第一回伝道旅行の途中で自分たちから離れ、勝手にエルサレムに帰ったマルコにチャンスを与えたく、もう一度連れて行きたかったのですが(同37節、13章13節参照)、一緒に宣教しなかったマルコをパウロは連れて行くべきではないと考えていたのです(15章38節)。

 そこで、パウロとバルナバは別行動を取ることになりました。バルナバはマルコを共なって、故郷のキプロス島へ船で渡り(同39節)、一方パウロはシラスを選び、陸路シリア州を通って、キリキア州へ向かうことにしたのです(同40,41節)。

 けんか別れというほどのことでもなかったと思いますが、この後、使徒言行録にバルナバの名は出て来ません。パウロにスポットを当てて記事が記されているので当然ということですが、それはバルナバがこの後、パウロと行動を共にすることがなかったということを示しています。

 パウロとシラスは、小アジア南部へ歩を進めてデルベ、リストラに行きます(1節)。それは、第一回伝道旅行の最後に福音を告げ知らせた町々です(14章8節以下、20,21節)。ということは、さらに西に進んでアンティオキア、その後、南に降ってペルゲに向かおうという計画を立てていたのかも知れません。

 パウロはリストラでテモテという弟子を一緒に連れて行きたいと考えていました(1,3節)。マルコの代わりにしようということだったのでしょう。後にテモテは、第二コリント書、フィリピ書、コロサイ書、第一・第二テサロニケ書の差出人としてパウロと共に名を連ね、また、テモテに宛てて記された手紙も残されています。パウロにとって、大変重要な同労者となったのです。

 パウロたち一行は、それからアジア州で御言葉を語ろうとして、上記のとおりアンティオキアやベルゲなどに向かおうとして聖霊に禁じられたので、西北西にフリギア・ガラテヤ地方を通って行きます(6節)。そして、北方のビティニア州に入ろうとしますが、それもイエスの霊に妨げられました(7節)。そこで、ミシア地方を通ってトロアスに下ります(8節)。

 この旅程を巻末の地図で調べると、少々不思議です。ガラテヤ、フリギア、アジアと進めばスムーズですが、アジア、フリギア、ガラテヤと逆順になっているわけです。理由はよく分かりません。いずれにせよ、ここに示されているのは、パウロの当初の伝道旅行計画を、主なる神が変更させておられるということです。

 「御言葉を語ることを聖霊から禁じられた」(6節)というのは、伝道してはいけないということではなく、伝道地を変えなさいということでした。7節の「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」という言葉が、それをはっきりと示しています。

 ここに「イエスの霊」という言葉があります。これは、聖書中1回しか出てこない表現です。聖霊とは別に、イエスの霊なるお方がおられるというのではありません。パウロの伝道旅行を導いておられるのは、聖霊を遣わしてくださった主イエスご自身であるということを示そうとしているのでしょう。

 とはいえ、伝道旅行の計画変更を余儀なくされたパウロたちは、どんな思いだったことでしょうか。小アジアを西に東に移動して場所を定め、腰を据えて伝道を始めようとする度にストップがかかるというのは、どう判断してよいのか分からず、不安になるようなことではなかったでしょうか。

 トロアスに下った夜、パウロは幻を見ました。それが、冒頭の言葉(9節)に記されている出来事です。その幻の中で、一人のマケドニア人が「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」と言うのです。パウロはそれこそ主なる神の導きと信じて、トロアスからマケドニアに向けて出発します(10節)。

 これまで小アジアで伝道が禁じられて来たのは、マケドニアに渡ることが神のご計画だったからです。そのため、マケドニアに渡るための最適地トロアスに導かれたのです。初めて主イエスの福音がヨーロッパにもたらされる瞬間です。

  今からおよそ470年前、ヨーロッパから東回りでカトリックの宣教師が日本までやって来ました。彼らの熱心な布教活動は、各地の戦国大名が領民と共にキリシタンとなるほどの大きな影響を与えました。秀吉、家康ら、時の最高権力者によって禁教令が布かれても、隠れて信仰を守り通しました。

 江戸末期、米国などから開国を迫られて、鎖国に終止符を打つことになりましたが、今度はプロテスタントの宣教師たちが、欧米からやって来ました。160年ほど前のことです。そして、1889年に米国南部バプテスト連盟が派遣した宣教師が西回りに太平洋を渡って来日し、九州を中心に宣教活動をしました。その働きで、日本バプテスト連盟の教会が誕生したのです。

 もしも、聖霊がパウロの伝道計画を変更されることなく、彼がアジア州を回って諸教会を力づけ、その地域で教会を開拓することに終始していれば、日本にいる私たちのところまで福音が届けられることはなかったのかも知れません。つまり、パウロたち一行がアジア州で伝道が神に禁じられるというピンチが、世界宣教の鍵を開く、とてつもなく大きなチャンスになったわけです。

 パウロは、マケドニア人が「わたしたちを助けてください」(9節)と語るのを、主イエスの救いを求めていると理解しました。主イエスの福音はユダヤ人だけでなく、すべての者を救うことが出来るからです(15章11節)。そして、主イエスによらなければ、ほかの誰によっても、救いは得られないからです(4章12節)。

 ここで、6節と10節の間に、記録に残されていない出来事があります。それは何かというと、6節ではパウロの一行を「彼ら」と呼んでいますが、10節を見ると「わたしたち」と記しています。これは、使徒言行録の著者が一行に加わったので、代名詞が「彼ら」から「わたしたち」に変化したわけです。

 8節までの動詞は3人称複数形ですから、著者のルカがトロアスでパウロに出会い、一緒に行くことになったと考えられます。パウロとの出会いがこの人物を救いに導いたと考えれば、そしてルカ福音書、使徒言行録を著す者とされたと考えれば、この人物のために旅程変更がなされたと言ってもよいことになりますそうです。

 万事が益になるよう共に働いてくださる主に信頼し、その御言葉に耳を傾けましょう。主の恵みに感謝し、主の証人として用いられるよう、聖霊の満しと導きを祈りましょう。 

 主よ、パウロは自分の計画ではなく、神の計画に従ってマケドニアに渡るように導かれました。それによってヨーロッパに福音が伝えられました。そして、地の果て、海の果ての日本にも福音が伝えられてきました。御言葉の約束どおりです。私たちが信仰に立つことが出来たのは、あなたの愛と真実の故、その執り成しの故です。喜びと感謝をもって主を仰ぎ、主に従って歩ませてください。今も、救いを待っている人々がいます。私たちにも力と導きを与えてください。その愛と恵みの証し人になることが出来ますように。 アーメン


5月10日(日) 使徒言行録15章

「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 使徒言行録15章11節

 エルサレム教会からやってきた人がアンティオキア教会の人々に「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)と教えようとしたということで、パウロやバルナバたちとの間で激しい論争が起きました(2節)。

 そこで、エルサレムの使徒や長老たちと協議するために、アンティオキア教会よりパウロとバルナバほか数名の者たちがエルサレムに上りました。そして、エルサレムの使徒会議が開かれました(4節)。それは、紀元49年のことと考えられています。

 ファリサイ派から信者になった人々が、「異邦人にも割礼を受けさせ、律法を守るように命じるべきだ」(5節)と主張しました。これは、旧約の律法はキリスト教会にとっても、神との契約として妥当不可欠のものであるという主張であり、割礼を受け、律法を守るユダヤ教徒となってはじめて、福音に与ることが出来るという立場です。

  それに対して、使徒ペトロが立ち上がり、自分の体験に基づいて意見を述べます。ペトロは、主なる神ご自身が異邦人を教会に受け入れようとしておられることを教えられていました(10章)。そしてそれをエルサレム教会にも報告していました(11章1節以下)。

 ペトロはあらためて、主が異邦人を受け入れられるのに、何の差別もなさらなかったことを告げ(9節)、異邦人がユダヤ人のようにならなければ救われないというのは、主の御心に反すると説きます。

 さらに、ユダヤ人は今まで律法を完全に守ることが出来ないできている。自分もそうだ。異邦人に守れという権利はないと言います(10節)。最も大切なことは、救いは福音を信じて与えられるということです。主は人々を律法から解放して、イエス・キリストの恵みによって救われるようにされました。それを信じる者は、ユダヤ人も異邦人も救いに与ることが出来ます(11節)。

 それを聞いた全会衆が静かになったので、バルナバとパウロが、自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話しました(12節)。それはアンティオキアの教会が形成されたときのこと(11章19節以下)、および、パウロとバルナバが出かけた、キプロスと小アジア地方の宣教旅行のときのことでしょう(13,14章)。

 これらの話を聞いて、教会の柱として重んじられていた主の兄弟ヤコブ(ガラテヤ書2章9節、1章19節参照)が、異邦人をキリスト者として選び出されたのは神の導きであることを、ペトロが話してくれたと言い(14節)、アモス書9章11,12節を引用して、預言者もそのことを預言していると告げます(15節以下)。

 そうして、エルサレム教会が出した結論は、「神に立ち返る異邦人を悩ませてはなりません」(19節)というものです。それは、異邦人は、ユダヤ人のように割礼を受けたり、律法を守ったりする必要はないということでした。

 私たちは、律法を守るから救われるのではなく、イエス・キリストの福音を信じることによって救われるのです。けれども、救われたからこそ守るべき戒めがあります。それは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)という規則と、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節)という規則です。

 主イエスは、律法の専門家の「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」(マタイ福音書22章36節)という質問に対して、上記の二つを挙げてこれが最も重要な掟だと答えられ(同37~39節)、そして「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(同40節)と言われました。

 ここで、「律法全体と預言者」とは、「律法=トーラー(モーセ5書)」と「預言者=ネビーム」、つまり旧約聖書全体という表現です。、この二つの掟を基礎として、旧約聖書が形作られていることから、この二つの命令を守ることが、旧約聖書全体の教えを大切にしているということだと言われたのです。

 この二つの掟は、神様が私たちを愛してくださっているという土台の上に置かれています。この神の愛は、イエス・キリストがこの地上に人となって来られたことで明らかになりました(第一ヨハネ書4章9節)。私たちを極みまで愛し(ヨハネ福音書13章1節)、十字架で贖いの死を遂げられました(ヘブライ書9章15節)。

 主イエスを信じる者は、この神の愛に応えて、神を愛する者になろうとするでしょう。そして、隣人を愛する者になろうとするでしょう。主イエスを信じて、その愛に応えようとする者のために、神様は聖霊をお与えくださいます。聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれ、その愛をもって神を愛し、隣人を愛する者とされるのです(ローマ書5章5節)。

 聖霊が与えられるのも、キリストの恵みです。神に祈り求める者に聖霊が注がれるからです(ルカ福音書11章13節、ヨハネ福音書14章13~17節)。

 主よ、あなたから愛されていることを知ることは、素晴らしいことです。愛されている者として、聖霊の力と助けを頂いて、神を愛する者、そして隣人を愛する者となることが出来ますように。いつも私たちの心に神の愛を注いでください。 アーメン


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