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今日は、熊本県合志市の豊岡伝道所で、大牟田・熊本ブロックの教役者会が開かれました。



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今回は、豊岡伝道所の浦上牧師が、第一部礼拝の説教担当です。

マタイ福音書15章21~28節の箇所で、フェニキア地方に生まれたカナンの女が、「あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」という主イエスの評価を受け、娘の病気を癒して頂いたという物語から、説教を取り次いで下さいました。

冒頭、「愛することは生きること、愛されることは生かされること」と仰り、今日の説教のテーマが「愛」であることを示されました。

この異邦の女性は、「わたしを憐れんで下さい」と主に訴えますが(22節)、主はそれに沈黙して、お答えになりません(23節)。
女がイエスの前にひれ伏して「どうかお助け下さい」と求めると(25節)、「子どもたちのパンを取って小犬にやってはいけない」と、その求めを拒絶されます(26節)。
弟子たちとのやりとりの中でも、「イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と、突っぱねておられました(24節)。

こんな沈黙や拒絶に遭うと、私たちは意気消沈します。
また、娘のために必死で求めたのであれば、主イエスの答えに腹を立て、二度と頼むものかと思うでしょう。

ところが、女性は驚くべきことに、主イエスの反応をよしとし、しかし神の恵みは食卓から溢れて、下にいる小犬にもこぼれ落ちてくる、それで十分だと言うのです。
ここに、自分はその恵みを頂く資格のない者であるという自己認識と同時に、神はその資格のない者にも十分な恵みをお与え下さるほどに、愛と憐れみに富んでおられるお方であるという信仰を言い表しているわけです。
失望する事態に直面させられてもなお、不可能を可能とされる神に対する信頼の心を失うことがなかったのです。

恐らく、主イエスはこの女のその言葉に驚来、また喜ばれたことでしょう。
「イスラエルの家の失われた羊」だけでなく、「小犬」と呼んだ異邦の女にも、神はかくのごとき信仰をお与えになったのです。

そのように主を仰ぎ、主を信じ、主を愛する者にならせて頂きたい、と思いました。


第二部は懇談の時です。
最初に、各教会・伝道所の近況を報告し合いました。
奇しくも、それぞれのところから、音楽に関連する話題が提供されました。
賛美を通して、礼拝が豊かにされること、伝道の働きが前進することを信じ、期待したいと思います。

その後、連合総会の開催のことについて、協議しました。
本来ならば来年3月に大牟田・熊本ブロックで行うべきところ、当方の事情で鹿児島が代って下さったので、再来年3月に大牟田で受けること、その2年後に熊本で行えば、もとのローテーションに戻ることを確認しました。

最後に、次回のブロック教役者会を、11月15日(月)午後2時より、東熊本教会で行うこと、第一部礼拝説教を保田井牧師にお願いすることになりました。


浦上先生の説教、浦上夫人、三浦姉のもてなしを受けて身も心も満たされ、感謝のうちに家路につきました。
主の恵みに心から感謝します。