8月末に夏休みを頂いて、長崎に行って来ました。

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この写真は、なんだか分かりますか。
原爆で壊された浦上天主堂の鐘楼です。
天主堂の塔の上にあったものです。

浦上天主堂は、1895年に着工され、煉瓦造りで30年という年月をかけて建てられ、1925年の竣工当時、東洋一の教会堂といわれたそうです。

爆心地から北東へ約500メートルに立つ教会周辺に1万2千名のカトリック信者がいたそうですが、3分の2を超える8千5百名が原爆の犠牲になりました。




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続いて、この写真は、現在の会堂です。被災前の天主堂をモデルに、1959年に再建されました。
1980年に外装を赤レンガ造り、窓をすべてステンドグラスに改装して、現在の美しい天主堂が完成したということです。 

午前5時半、正午、午後6時、および日曜日の午前7時には、教会の鐘が鳴るようになっています。

写真は撮れませんでしたが、中に入って世界の平和のため、核のない世界実現のために祈りました。




082901これは、大浦天主堂です。
1863年に着工、翌年12月29日に完成しました。
長崎に居留するフランス人のために建てられたことからフランス寺とも呼ばれましたが、地名をつけて、大浦天主堂と通称されています。

原爆投下によって、屋根、正面大門扉、ステンドグラス、その他の部分に被害を受けましたが、倒壊は免れ、無事修復することが出来ました。
 
1933年、日本洋風建築の初期を飾る代表的建造物として、国宝に指定されました。
大浦天主堂は、現存する日本最古の天主堂です。

082902ここを訪れる観光客が増えたため、天主堂に上る階段手前に1975年、大浦カトリック教会が建てられました。
左の写真がそれです。

ミサはこちらで執り行われています。
日曜日は、朝7時と10時の2回、行われます。

29日(日)朝10時からのミサに出席しました。

受付がありましたが、何の指導もなく、礼拝堂入り口の週報のようなものを持って一番後ろの席に座りました。
式文に従って進行していきますが、讃美歌の番号は前方の電光掲示板に出されているだけで、アナウンスなどはありませんでした。
讃美歌がどこに置いてあるかも分かりません。
祈りの言葉も、信徒が唱える部分がありますが、どこにも記載されていないので、ただ、聞いているだけでした。
新来者が一人で入れば、チンプンカンプンでしょう。
そうしたことで分かるのは、カトリック教会にとってミサは、信徒のために開かれているものであって、伝道を目的としたものではないということです。

ミサでは必ず、聖餐式が行われます。
司祭が、小さく薄いクラッカーのようなものを「キリストの御体」といいながら、信徒の口に入れておられたようです。
跪いて受けるのが正式という話もありますが、大浦では立ったままでした。
葡萄酒は配られず、司祭が一人、口にされました。

司祭から、人は高慢になりやすい、謙遜を学びなさいというお奨めを頂きました。
説教の時間は10分程度でしょうか。
実に短く、分かり易いお奨めでした。

カトリック教会の礼拝に参加して思ったのは、ここもキリストの教会であるという、ごく当たり前の、でもなんだか嬉しくなる思いでした。


大浦教会を後に、直ぐ裏側にあるグラバー邸を見学し、それから食堂で昼食。

焼き魚定食(鯖)を頂きました。
家内は冷や奴定食。

ここで小さなハプニング。
「魚フライ定食出来ました」と、持って来られたんです。
私は焼き魚、家内は冷や奴で、「魚フライ」ではない。
そう言うと、お店の人が、「ああ、これは冷や奴定食でした。魚のフライが乗っていたので間違えました」と(笑)。
確かに、壁のお品書きに、「冷や奴定食(魚フライ付き)」とありました。

美味しかったし、忘れられない店になりそうです。

それから、坂本龍馬ゆかりの亀山社中記念館に行きました。
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この写真は、記念館への登り口。ここから数百メートル、かなり長い坂道&階段を上ります。

かなりしんどくなって来るあたりで、「あと百メートル」という看板。

実は、この丘の殆ど頂上付近に記念館はあり、この写真では確認が難しいですが、小さい旗が立っているんです。

そして、何とかたどり着いて、記念館の中に入ると、二間ほどの小さな家の中に、町の博物館で見ることの出来る資料がいくつか置いてあるだけで、特にこれはというほどのものはありません。

初めからそういうものだということが分かっていて、ここまで来る人はいるのだろうか、と思ってしまいました。

記念館からの下りは、別の坂道を降りて来ました。
年配者などは、こちらから登った方がよいのではないかと思いますが、道は分かり易くはないので、う~ん・・・どうしたものでしょうね。

ただ、亀山社中の働きで犬猿の仲だった長州と薩摩が結びつき、明治維新にたどり着いたということを考えると、あの小さな家の中にとてつもなく大きな夢や希望がつまっていたんだということになります。
初めは小さくても、夢と希望があれば、大きな仕事が出来るという標と言ってもよいかも知れません。



そうそう、忘れていました。
082903大浦天主堂に行く前、朝一番に出島の見学に行きました。
そこに、日本聖公会の出島教会跡と出島聖公会神学校がありました。
写真は、神学校の建物です。

これがいつ建てられたのかというと、当然のことながら、鎖国していた江戸の時代ではありません。
1878年(明治11年)に建てられたそうです。
中には、チャペルや図書室、会議室もありました。

出島教会は、それよりも3年早い1875年(明治8年)にここに建てられました。
日本の聖公会では最も古い教会だそうです。
この教会は、1890年(明治23年)に大村町に移築されて、跡地に宣教師館(上の写真の右端の部分)が建っています。

その後、この建物は中の模様替えがなされ、1900年代初頭(明治末期)には、病院として使用されていたそうです。

残念なことに、日本聖公会の大村教会は現存せず、また、聖公会関連の公式サイトに、聖公会神学校がこの地にあったことを示すものも見当たりません。
聖公会の教職に直接聞いてみるしかないかな。


ともかく、いろいろなことを教えられ、考えさせられた長崎の旅でした。



※後日談 出島教会は大村に移った後、1895年(明治28年)に長崎聖三一教会と改称。その後、大浦に移転されて、今日に至っておられます。
長崎聖三一教会 URL http://www1.bbiq.jp/d-kyushu/nagasaki/
また、聖公会出島神学校は、1886年(明治19年)に廃止されたそうです。理由は分かりませんが、東京に東京三一神学校が設立(1878年)されているので、そこに統廃合されたのかも知れません。