「しかし、ヘシュボンの王シホンは、我々が通過することを許さなかった。あなたの神、主が彼の心をかたくなにし、強情にしたからである。それは今日、彼をあなたの手に渡すためであった。」 申命記2章30節

 2章でモーセは、カデシュ・バルネア(14節、1章46節)からゼレド川(13節)、アルノン川(24節)を越えてアモリ人の地に至り、ヘシュボンの王シホンと戦ったところを語っています(32節以下)。

 ゼレド川は死海南端に流れ込む川で、死海南部に住むエサウの子孫、即ちエドム人と、死海東部に住むロトの子孫、即ちモアブ人との国境線になっています。また、アルノン川はヨルダン川の支流で、モアブ人の地と、アモリ人、アンモン人の地の国境線となっています。

 神は、ヤコブ=イスラエルの兄エサウの子孫のエドムの領地、イスラエルの父祖アブラハムの甥ロトの子孫のモアブとアンモンの領地は、イスラエルには領有させない、親族であるこれらの民族に戦いを挑んではならないと言われました(4,9,18節)。

 エドムやモアブ、アンモンは、イスラエルの神、主を拝むわけではありません。しかし、彼らにその領地を与えたのはイスラエルの神、主(ヤハウェ)であって、エドムやモアブ、アンモンの人々が礼拝している神々ではないということが、ここに明確に述べられています(5,9,18節)。

 興味深いことに、エサウやロトの子孫は、主なる神に従わなくてもその領地が与えられていますが、主を信頼せず、御言葉に従わなかったイスラエルの民は、約束の地に入ることを許されませんでした(14,15節)。

 イスラエル人だから特別な恵みが与えられ、そうでない民には祝福を与えないということではありません。だからたとえば、主なる神が、キリスト教徒ないしキリスト教国家にはあらゆる人生の成功を自動的に授けようとするとか、非キリスト教徒の必要と権利を無視されるという考え方に対して、警告を与えているわけです。

 神の恵みは、一方的な選びによって与えられますが、それは、すべての人々に恵みが与えられるというしるしです。イスラエルは、神の恵みを証しするという使命を果たすために、神に選ばれたのであり、そのために恵みに与っているのです。

 エドムやモアブ、アンモンの領地は与えないと言われた神ですが、アルノン川の北に住むアモリ人の国はあなたの手に渡したので、戦いを挑み、占領を開始せよとイスラエルに命ぜられます(24節)。エサウやロトは、イスラエルとは親戚関係にありますが、アモリ人はそうでないので、パレスティナから追放されるべき存在だということなのでしょうか。

 とはいえ、アモリ人とて神によって作られた人間、その民です。彼らにも住むべき場所があり、生きていく道、生活していく権利を持っています。だからモーセも、ヘシュボンの王アモリ人シホンに対し、先ず友好使節を送りました(26節)。

 「領内を通過させてください。右にも左にもそれることなく、公道だけを通ります。食物は金を払いますから、売って食べさせ、水も金を払いますから、飲ませてください。徒歩で通過させてくださればよいのです。セイルに住むエサウの子孫やアルに住むモアブ人が許可してくれたように、ヨルダン川を渡って、わたしたちの神、主が与えてくださる土地に行かせてください」(27~29節)と伝えさせます。

 初めからけんか腰、有無を言わさぬ宣戦布告などということではなかったのです。イスラエルに与えると言われた嗣業の地は、ヨルダン川を東境として、アモリ人の地を取る必要はなかったからです。ですから、ヘシュボンの王シホンが「それならばどうぞ」と答えていれば、イスラエルと友好関係を保ち、ヨルダン川東部の地に住み続けることも出来たかも知れません。

 しかしながら、シホンは全く頑迷になって、冒頭の言葉(30節)の通り、イスラエルの通過を許さず、その上、イスラエルを迎え撃つために全軍を招集しました(32節、民数記21章23節)。そして、イスラエルはシホンの全軍を打ち破り、男も女も子どもも一人残らず滅ぼし尽くし、すべての町を占領しました(33,34節)。 

 異邦人の習慣や異教の教えを持ち込ませないために、7章1節以下で、「七つの民を滅ぼせ」と命ぜられることの先取りとして、男も女も、子どもでさえも、一人残らず滅ぼし尽くすということが行われました。

 「滅ぼし尽くす」というのは、「ハーラム」という言葉です。これは、自分たちの激情にまかせて流血の欲望を満足させる、ということではありません。この動詞の名詞形は「ヘーレム」といい、7章26節に「滅ぼし尽くすべきもの」と訳されています。

 この「ヘーレム」が、レビ記27章28節では「奉納物」と訳されています。つまり、焼き尽くす献げ物のように、すべてのものを滅ぼし尽くすことが、その血(=命)のすべてを神にささげ尽くす行為と考えられているというような言葉遣いで、そこから神の名による、神のための「聖戦」という思想が生まれて来た、と考えても良いのでしょう。

 あらためて、冒頭の言葉(30節)で「あなたの神、主が彼の心をかたくなにし、強情にした」というのは、シホンの意志とは無関係に、なぜか突然頑固にされたというようなことではないでしょう。シホンの不寛容さが戦闘の原因となったことで(30節)、それを「かたくなさ」として、主がイスラエルに勝利を賜ったと説明しているわけです(出エジプト記7章3節なども参照)。

 ここでシホンのかたくなさが語られるのは、むしろ、イスラエルの民が主なる神の教え、定め、掟に対して素直に聞き従わず、主の目に悪とされる道を離れようとしなかった不信仰を、「かたくなさ、強情」として、それがアッシリア、バビロンとの戦いに敗れ、嗣業の地を失う結果につながるということを、ここに予め示しているのでしょう。

 ただ、シホンがイスラエルに道を譲らず、戦いを挑んで敗れたために、イスラエルの民はヨルダン川の東部にも嗣業の地を獲得することになりました。シホンの頑迷さがイスラエルの民のために用いられたかたちです。

 思うに任せない現実に道が閉ざされるとき、そのこともプラスとしたもう主を信じ、すべてを主の御手に委ね、感謝と喜びをもって主の御名をほめ讃えましょう。私たちの思いをはるかに超えた道が、主によって開かれることになるでしょう。

 主よ、私たちの中には、あなたを悲しませるものが随分たくさんあります。御言葉によって清めてください。御霊の力で主への信仰を妨げるすべてのものを追い払ってください。常に主を拝し、主に信頼して歩む心を与えてください。その恵みに与り、主の栄光を証しする者とならせてください。 アーメン