「イスラエルの人々が主にささげる聖なる献納物はすべて、あなたとあなたと共にいる息子たち、娘たちに与える。これは不変の定めである。これは、主の御前にあって、あなたとあなたと共にいるあなたの子孫に対する永遠の塩の契約である。」 民数記18章19節

 18章には「祭司とレビ人に関する規定」が記されています。ここには、「主はアロンに言われた」という言葉が3度(1,8,20節)記されています。それは、そこから新しい段落になるというしるしになります。25節に「主はモーセに仰せになった」という言葉があるので、ここには4つの段落があるということです。

 通常、アロンは、モーセを通じて主なる神の言葉を聞いていました。ここで主がアロンに直接語りかけられたのは、それによってアロンが主なる神に選ばれた祭司であることを確証しているかたちです。12章2節以下の「ミリアムとアロン」によるモーセの非難や、16章1節以下の「コラ、ダタン、アビラムの反逆」事件以来、アロンの祭司としての地位について、疑問視されていたのかも知れません。

 神は、アロンとその子らに、二つのものを賜物として与えたと言われます。それは、祭司アロンの務めを助け、幕屋の作業に従事するレビ人(3,4,6節)と、アロンを祭司職に任じたこと(7節)です。これらの賜物が与えられたのは、イスラエルの民を幕屋を汚す罪による死から守るためであり(3~5,7節)、その働きを通して主の恵みが民に届けられるためです。

 主は、聖なる献げ物の一部を「定められた分」(ホーク:口語訳「分け前」、岩波訳「割り当て分」、8節)として、アロン家の男子だけが食べられるのものとされています(10節)。「神聖な献げ物」について「穀物の献げ物、贖罪の献げ物、賠償の献げ物」(9節)とリストアップされています。

 次いで、「最上のオリーブ油、極上の新しいぶどう酒、穀物など、主にささげられた初物はすべて、あなたのものとなる。彼らの土地にできた初物で、彼らが主に携えるものはすべて、あなたのものとなる」(12,13節)と記されています。息子も娘も、男女を問わずそれに与ることが出来るのです(11節)。

 ここに告げられている献げ物の規定は、約束の地に定住し、収穫の恵みに与って初めて有効になるものです。8~19節で「これは不変の定めである」と3度(8,11,19節)語られるのも、アロンとの間に定められるこの規定が、アロンの子らにとっても有効であるという保証を与えているわけです。

 冒頭の言葉(19節)に「永遠の塩の契約」という言葉があります。「塩の契約」という言い方について、歴代誌下13章5節に「イスラエルの神、主が、塩の契約をもって、イスラエルを治める王権をとこしえにダビデとその子孫に授けられたことを、あなたたちが知らないはずはない」とあり、それは永遠、不変の契約という意味であることを示しています。

 ですから、ここで「永遠の塩の契約」と言われているのは、同じ意味の言葉を二つ重ねて「永遠不変」という意味を強調していることになります。それは、イスラエルの民が必ず約束の地に入ることが出来るということが、ここで強調されているということでもあります。

 アロンとその子らに献げ物の一部が授けられる根拠について、20節に「あなたはイスラエルの人々の土地の内に嗣業の土地を持ってはならない。彼らの間にあなたの割り当てはない。わたしが、イスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である」と言われています。

 つまり、アロンとその子孫には、嗣業の土地という資産を持つことが許されません。だから、生活の基盤を主なる神の上に置いているのであり、献げ物の一部が与えられるのは、主の賜物と恵みに頼って生きることを、見えるかたちで証しするものだったのです。

 主イエスが、「人は皆、火で塩味をつけられる。塩はよいものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味をつけるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい」(マルコ9章49,50節)と言われました。ここで「塩」は、神との契約関係を示しています。

 これは、レビ記2章13節の「穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ」という言葉で、塩が契約の永遠性を示しているのと同様です。

 人は、自分で塩味をつけることが出来ません。それは、「火」に象徴される聖霊の働きによるのです。永遠の命を授けて神の子としてくださった主に信頼し(ヨハネ1章12節、3章16節)、聖霊の働きによって日々内側から清められ、御子キリストの姿に造りかえられましょう(第二コリント3章18節)。

 主よ、私たちは皆、御子の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けました。私たちの内に働く御力により、愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。教会の働きを通して、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなく神にありますように。 アーメン