「主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。」 出エジプト記24章16節

 イスラエルの民が、自分たちをエジプトの奴隷の家から導き出してくださった主なる神と、シナイ山のふもとで契約を結びます。契約書には、十戒からはじまる神の言葉が記されています(20~23章)。

 契約の主文は、19章5,6節の「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる」という言葉です。

 モーセは、山のふもとに祭壇を築き、12部族に因んで12の石の柱を契約の記念として建てました(4節)。そして、若者たちに焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を献げさせました(5節)。そして、雄牛の血の半分を取って祭壇に注ぎかけ(6節)、契約の書を読み聞かせて、イスラエルの民に「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」(7節)と言わせます。

 それから、残りの血をイスラエルの民にふりかけ、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」(8節)と宣言します。いけにえとなった雄牛の血が、祭壇に象徴されている主なる神と、祭壇の前で主の御言葉に従うと約束したイスラエルの民とを結ぶしるしということです。

 興味深いのは、契約を「結ぶ」(8節)というのは、原文では「切り離す、切り落とす」という意味の「カーラト」という言葉が用いられていることです。

 この言葉遣いについて、故関谷定夫先生(元西南学院大学名誉教授・聖書考古学)から、二つに切り裂かれた動物の間を松明の火が通って、主なる神がイスラエルの父祖アブラハムと契約を結ばれたという創世記15章の記事から、もしも契約を破るならば、そのように二つに切り裂かれてもよいということで、「契約を切る(結ぶ)」という言葉になったと伺いました。

 ヘブライ語辞典には、契約のためにいけにえとして献げた動物を、共に食するために切り分け、分配したことから、そのような言葉遣いになっているという説明が付けられていました。その語源について、様々な解釈があるということでしょう。

 主イエスの十字架の死によって、神と民との間に新しい契約が結ばれました。最後の晩餐の席で、主イエスはパンを取って、「取りなさい。これはわたしの体である」と言われ、杯を取って、「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われました(マルコ14章22節以下)。

 十字架で裂かれた主イエスの体を象徴するパンを食べ、十字架でながされた主イエスの血潮を象徴する杯を飲む者は、主イエスの命に与り(ヨハネ6章53節以下)、神と和解させていただいたのです。

 契約を結んだ後、主がモーセを招かれます(12節)。教えと戒めを記した石の板を授けると言われるのです。モーセは、ヨシュアを連れて神の山に登ります(13節)。すると、雲が山を覆いました(15節)。19章9節で「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む」と主は言われていました。

 雲は神の姿を隠しますが、その雲は神の臨在のしるしなのです。モーセが主なる神に命じられたとおりに神の幕屋を建設し終えたとき、雲が臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちました(40章34節)。また、ソロモンが壮麗な神殿を建て、契約の箱を安置したときにも、神殿に雲が満ち、そこに神の栄光が現れました(列王記上8章1節以下、10,11節)。

 冒頭の言葉(16節)で、六日間、雲が山を覆っていて、七日目にようやく主の御声が聞こえたということです。18節に「モーセは四十日四十夜山にいた」とありますので、7日目に主の声が聞こえた後34日間は主との交わりの中にいたということでしょう。ところで、いったいモーセは最初の六日間、山の上で何をしていたのでしょうか。

 申命記9章9節に「わたしが石の板、すなわち主があなたたちと結ばれた契約の板を受け取るため山に登ったとき、わたしは四十日四十夜、山にとどまり、パンも食べず水も飲まなかった」とあります。これは、食べ物、飲み物がなかったということではなく、ひたすら主の御声を待って、賛美と祈りをささげていたということではないでしょうか。

 雲に覆われて何も見えはしません。神の御声も聞こえません。六日間待たされたというのは、モーセが心穏やかに主と主の御言葉に信頼し、主を畏れてその道を歩もうとするかどうか、神が試されたということかも知れません。

 がしかし、雲の中に満ち溢れている神の栄光に包まれていて、人知では測り知ることの出来ない神の平安、神の平和が、モーセの心と体を満たして、食事する必要すら感じなかったのでしょう。そして、七日目に神の語りかける言葉を聞いたとき、いよいよ豊かに心満たされたことでしょう。

 私たちは、神の口から出る一つ一つの言葉で生かされるからです(申命記8章3節、マタイ福音書4章4節)。命を与える主の言葉に日々耳を傾け、その導きに素直に従って参りましょう。

 主よ、あなたの限りない愛と慈しみにより、極東に住む私たちのところにまで、福音が伝えられて来ました。十字架で贖いの業を成し遂げてくださった主イエスを信じる信仰によって、新しい契約に与る恵みを得ました。感謝しつつ、賛美しつつ、御前に進みます。御言葉に聞き、御旨に従います。いつも、全力を尽くして神の業に励むことが出来ますように。 アーメン