「わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」 ガラテヤの信徒への手紙5章25節

 16節以下に、肉と霊の対立が出てきます。新共同訳はこの段落に「霊の実と肉の業」という小見出しをつけています。パウロはこれまでの「律法か、信仰か」の議論を、「肉か、霊か」に置き換えて展開しています。

 パウロにとって、律法の行いというのは、人間の努力によって神の義を獲得しようとする営みであり、それは肉の支配を免れません。「聖書(律法のこと)はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めた」(3章22節)といい、人が律法の行いによっては、神の義を獲得することは出来ず、むしろ罪の支配下にあることが明らかにされたのです。

 一方、信仰とは、自分の努力ではなく、神の恵みに信頼し、御子の霊の力に自分を委ねることです。そして恵みの神は、信じる者に神の義=救いを賜るのです。「正しい者は信仰によって生きる」(3章11節)からです。

 この段落で「肉」というのは、肉体とか肉欲ということというよりも、神に従わないで生きる生き方を指していると言ってよいと思います。人間は、本来自分ひとりで生きることが出来るように造られてはいません。神に造られた者として、神に仕え、隣人に仕えるように造られたのです。

  だから、神に従わないで生きる生き方を選んだとき、その人は、神ならぬ者を主人として、その縄目に縛られてしまうのです。4章8節で「あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました」というのはそのことでしょう。

 1節で「自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです」というのは、発言や行動、選択の自由などではありません。罪の束縛から解放されて、神の主権と支配のもとで生きるようにされたことです。それは、イスラエルの民がエジプトの奴隷の生活から解放されて、まことの神に仕えて生きるように選ばれたというところに示されています。

 そして、まことの神に仕えて、その主権と支配の下で生きる生き方について、13節では「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」と言い、さらに14節で「律法全体は、『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです」と語っています。つまり、この自由は、罪からの自由であり、愛をもって神と人に仕える自由なのです。

 パウロは、この「罪から解放され、愛をもって神と人と仕える自由」に生きる生き方を「霊」という言葉で表現しています。それは、「主の霊のおられるところに自由がある」(第二コリント書3章17節)からです。

 冒頭の言葉(25節)で「霊の導きに従って生きている」というのは、私たちがイエス・キリストを信じる信仰によって罪の呪いから解放されたこと、神の子どもとされたこと、永遠の命をいただいたことを指します。

 そして、イエス・キリストが神の子、救い主であることを私たちに証しし、信じるように導いてくkださったのがキリストの霊です。「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(第一コリント書12章3節)というのは、このことです。

 ガラテヤの人々も、キリストの十字架の福音を聞いたとき、聖霊の働きによって主を信じました(3章1,2節)。また、御霊の働きによって奇跡を体験しました(同5節)。彼らは確かに、律法の行いによらず、神の恵み、御霊の導きにより、信仰によって生きる者とされたのです。

 御霊は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(22,23節参照)という実を結ばせます。一つ一つを見ると、これはいずれも、交わりを育み、共に生きる集まりを造り上げるために与えられる恵みです。

 「霊の結ぶ実」は、上述の通り九つの徳性を持っていますが、「実」(カルポス)は単数形です。霊による一致と読むことも出来るでしょう。そしてそれは、聖霊の働きを通して私たちの教会の交わりのうちに現されるキリストの御心といってよいでしょう。

 御霊は、他者との関わりにおいて実を結ぶように、働かれます。それは、自分の欲を満足させるような関わり方を許しません。聖霊は私たちを内側から変革し(第二コリント書3章18節、5章17節)、そして、私たちと他者との関係を新しくするのです。それは、「互いに愛し合う」という関係です(ヨハネ福音書15章12節ほか)。

 「前進しましょう」(ストイケオー)と訳された言葉は、もともと、「同じ列に属する」という意味で、そこから「同調する、一致する」という意味になりました。そして「従う」という意味も生じます。だから、「(霊の)導きに従って前進しましょう」という訳語になっているわけです。

 私たちを信仰に導き、生かしてくださっている聖霊の働きを喜び、感謝しつつ、傍らに固く立っていてくださる聖霊の導きに従って、信仰の正道を歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちの内に絶えず神の御霊が働き、私たちを主と同じ姿に造り変えてくださいますように。主を愛し、隣人を愛して仕えることを喜びとする教会としてください。聖霊に満たされて常に神の愛を証しし、その恵みをほめたたえる教会となりますように。御言葉と祈りを通して、日毎に導いてください。 アーメン