「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。」 ガラテヤの信徒への手紙1章15~17節

 今日から、ガラテヤの信徒への手紙を読み始めます。ガラテヤは、小アジア(今のトルコ)のほぼ中央に位置する一地方の名前です。紀元前3世紀にケルト人がここに移住して住み着きました。彼らをギリシア語で「ガラタイ」と呼んだことから、彼らが住み着いた一帯がガラテヤ地方と呼ばれるようになりました。

 使徒言行録を見ると、パウロは第一回伝道旅行の際、リストラとデルベで福音を告げ知らせました(14章6,8節以下)。次いで第二回伝道旅行のときに、フリギア・ガラテヤ地方を通っていますが(16章6節)、使徒言行録の記述によれば、先を急いでただ通過しただけのようです。

 そして第三回伝道旅行の折に、「ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた」(18章23節)とありますから、第一回伝道旅行のときにまかれた福音の種が生い育ち、教会の礎がそこに据えられていたようです。

 この手紙は、ガラテヤ地方に建てられた「教会」(2節、エクレシア・複数形)に宛てて記されました。それはおそらく第一コリント書と同時期、紀元54年頃第三回目の伝道旅行中エフェソで書かれたものと推定されています。

 この手紙が書かれた理由は、パウロによって教会が設立された後に入り込んできた別の指導者によって、パウロの教えが曲げられようとしていたのです。その指導者は、異邦人の多いガラテヤの教会に対し、ユダヤ人のように割礼を受け、律法を守ることによって、真のキリスト者となることが出来ると指導していたのです。

 パウロはそれを「ほかの福音」と呼び(6節)、「キリストの福音を覆そうとしている」ものだと言っています(7節)。そして、ガラテヤの人々がほかの福音にそれて行く恐れが大きくなったのを知って(6節、3章1節以下、5章7節以下も参照)、キリストの福音にとどまらせるべく、この手紙を書いたのです。

 比較的短い手紙ですが、キリスト教の歴史の中で、人々に大きな影響を与えてきました。特に、この手紙が宗教改革者マルティン・ルターに影響を与えたのです。彼は、ガラテヤ書の注解書を著わすと共に、「キリスト者の自由」という彼の代表作を執筆しました。

 新共同訳聖書は、5章2節以下の段落に「キリスト者の自由」という小見出しをつけています。ルターの「キリスト者の自由」を貫いているテーマが、この段落、特に同6節の「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」という言葉に基づいているのです。

 ルターが影響を受け、それによって宗教改革が行われたということになれば、今日の私たちプロテスタントの信徒にとっても、信仰の源流が本書にあるということになりますので、しっかり学ばなければならない手紙であると言えます。ということで、毎日一章ずつ、じっくり読み進めてまいりましょう。

 冒頭の言葉(15節)によると、彼が選ばれたのは「母の胎内にあるとき」です。ということは、その選びが神の主権によって全く自由になされたことで、パウロの意思や才能などとは無関係であることを示しています。そしてパウロ自身、自分が神に選ばれた者であることを知らなかったのです。

 かつてパウロは、ユダヤ教徒として誰よりも徹底して神の教会を迫害し(13節)、先祖伝来の教え、つまり、割礼を受け、(安息日遵守を含む)律法を熱心に守る生活をしていました(14節)。そのパウロが、ダマスコ途上で復活の主キリストと出会って回心しました(16節、使徒言行録9章1節以下)。ユダヤ教徒であり、迫害者であったパウロが、キリストの伝道者となったのです。

 10節で「今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません」というのは、「誰よりも徹底して」といったパウロの振る舞いは、自分自身を含む人の評価を気にしている姿だということです。

 11~12節で「わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」と語り、自分が伝道者になったのは、自分自身の回心の体験に基づいていて、キリストの福音を誰かから聞いたとか、教えられたというのではないことを強調しています。

 回心した時点で選ばれたというのではなく、「母の胎内にあるとき」にということは、神の選びにも拘らず、キリストの教会を迫害していたという自分の罪を告白することです。迫害者であった自分が赦されたというのは、神の憐れみ以外の何ものでもないということです。

 それから、「召し出してくださった」という言葉がありますが、これは、使徒としての召命を受けた、使徒として呼び出されたということです。胎児で何の働きもないときに召し出されたということで、「恵みによって」と語っているのです。

 それはまた、そのような神の選びにも拘わらず、神に背き、教会の迫害者としての道を進んでいたパウロを、処罰するのではなく復活の主と出会わせ、異邦人の使徒として立てられたのは(16節)、神の恵みによるものだということも示しているようです。

 国語辞典で「召命」を調べてみたら、「(キリスト教で)罪の世界に生きていた者が、神に呼び出されて救われること」と書いてありました。この説明は大事なことを教えています。即ち、召命とは、「神に呼び出されて救われること」と、「救い」を指す言葉として説明されているわけです。

 それで何が大事なことなのかというと、パウロは、「恵みによって召し出してくださった」と語っていて、使徒としての召命が恵みの出来事、つまり、救いの体験と密接に関連していることを示しているのです。パウロにとっての回心とは、単に救い主イエスを信じて罪が赦されたということに留まらず、それは、使徒として召し出されたということだったのです。

 パウロを回心させたのは、御子イエス・キリストの啓示です(12節)。御子が啓示されたとき、律法に従って生き、律法によって救いを獲得しようとしていたパウロが、キリストを信じる信仰によって救われること、否、キリストを信じるほか、救われる道はないことを知ったのです。そしてパウロは、神の計画に従い、その福音を異邦人に告げ知らせました(16節)。

 そのパウロの働きでガラテヤ地方にも教会が建てられました。その教会を形作っているガラテヤの教会の信徒一人一人も、パウロ同様、神の恵みにより、憐れみによって救いに与りました。彼らが恵みを受けたのは、ユダヤ人のように割礼を受け、律法を守っていたからではないのです。

 そして、それは私たちも同様です。私たちも恵みによって救いに与りました。決して割礼を受けたのでも、律法を守っていたのでもありません。恵みによって救いに与ったということは、ただそれを喜んでいればよいということではありません。恵みによる救いは、召命と密接な関係があるのです。神の救いの計画が進められるために、神の御業が進められるために、それぞれに使命が与えられるのです。

 私たちは、イエス・キリストを信じる信仰を人々の前で公に言い表してバプテスマを受け、キリスト者としての歩みを始めました。人々の前でイエスを主と証しする生活を開始したわけです。これから、主イエス・キリストをどのように証しし、語り伝えていくべきか、「イエス・キリストの啓示によって知らされた」(12節)とあるように、まさに主の言葉を受けて、その導きに従うほかありません。

 日毎主の御言葉に耳を傾けましょう。そこから、日々主の御心を聴きましょう。御心を悟るのは、聖霊の助けが必要です。聖霊の助けと導きを祈り求めつつ御言葉に聴くのです。

 主よ、私たちをも恵みにより、主イエスを信じる信仰に導いてくださり、感謝します。恵みの福音を委ねられた者として、その福音に生き、信仰の恵みを証しする者となることが出来ますように。聖霊の助けと導きを与えてください。常に聖霊で満たし、御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン