「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」 コリントの信徒への手紙二7章10節

 6章14節から7章1節を括弧に括り、6章13節と7章2節をつなげることが出来ます。そして、7章5節以下は2章13節に接続するという内容になっています。

 冒頭の言葉(10節)に「神の御心に適った悲しみ」という言葉があります。悲しみというものは、あまり歓迎されるものではありません。私たちは、悲しむことより、喜ぶことを望みます。求めます。

 しかし、そこに悲しむべき事態が生じていれば、それに目をつぶって、いたずらに喜んでいるわけにはいきません。そのまま放置していれば、悲しむべき事態はさらに悪化し、取り返しがつかないことになってしまうでしょう。

 2章4節に「わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」と記されていました。コリント教会にある憂えるべき事態にどう対処すべきなのかという方法を、パウロがその手紙に書いたのでしょう。「涙ながらに手紙を書きました」というところから、その手紙は「涙の書簡」と呼ばれています。

 「涙の書簡」とは、「第一コリント書」のことではなく、本書10章~13章を指すものであろうと推定されています。2章6節で「その人には、多数の者から受けたあの罰で十分です」と言われ、7章12節に「あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく」とあるように、は教会内で行われた不義のために「涙の書簡」は書かれたのです。

 その不義の内容は、第二回伝道旅行と第三回伝道旅行の間でなされたパウロのコリント教会訪問(「中間訪問」と言われる)の際、指導的な一教会員が会衆の前で侮辱的な仕方でパウロの使徒としての正当性を否定し、人格を非難するという事件を指していると考えられています。それによって、パウロとコリント教会との交わりが破壊され、教会の交わり自体も大きな傷を受けました。

 そこでパウロは、もう一度コリントの教会を訪ねる計画を立てます。それが、12章14節、13章1節に示されています。それを「涙の書簡」と言われるこの箇所に書き記して、テトスに持たせて先にコリントに送りました(12章18節参照)。

 その際、パウロは多少なりとも後悔していたようです(8節以下参照)。それは、手紙がどのような結果をもたらすか、とても不安だったからです。彼は不安の中で、テトスからの報告を待ちわびていました。

 2章12節に「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記されています。

 つまり、小アジアで福音を宣べ伝えながら、トロアスでテトスと落ち合うことにしていたのでしょう。主がその伝道を祝福してくださって、働きが大きく拡大する可能性が示されました。「わたしのために門が開かれた」というのはそのことです。

 ところが、パウロはその伝道を中断して、マケドニア州に渡りました。コリントの様子を聞かないうちは不安で、テトスの帰りをおちおち待ってはおられず、マケドニアまで迎えに行ってしまったというわけです。

 けれども、その不安が喜びに変わりました。コリントから戻ってきたテトスの報告によって、その手紙が良い結果をもたらしたことを知ったからです。それが6節に「気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました」と記されています。パウロが慰められたというのは、涙の書簡が教会を悲しませ、悔い改めを生じさせたことです。

 8節で「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています」と言い、続く9節に「今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです」と記しています。

 手紙によって教会が悲しんだということは、「涙の書簡」を受け取るまで、悲しむべき事態を放置していたということを示しています。そして、教会が悲しんで悔い改めたということは、彼らがその事態に正しく対処したということを表しています。

 だから、悔い改めを生じさせるためには、彼らが悲しみの門を通らなければならなかったわけです。それが、上記の「神の御心に適った悲しみ」という言葉で表現されていることです。彼らは、その悲しみを神の前に持って来ました。問題の解決を神に求め、その導きに従ったのです。その結果、彼らは「取り消されることのない救い」に導かれたのです。

 このことで、ヨハネ福音書5章にある記事を思い出しました。38年もの長い間、病気のためにベトザタの池の回廊で苦しんでいた人が(同2,5節)、主イエスに出会って癒されるというところです(同6節以下、9節)。

 主イエスが、「良くなりたいか」と尋ねられましたが(同6節)、彼は、「はい、良くなりたいです」とは答えませんでした。そうではなくて、誰もが早くよくなろうとして先に行き、自分を助けてくれる者がいないという答えをします(同7節)。

 彼は、悲しんでいました。それは、病気の悲しみではなく、誰も当てにはならないということを、38年にも亘って思い知らされた悲しみです。病気がよくなったところで、自分のことを顧みようとしない世の中で生きていて何になるかという気持ちでしょう。そのままなら、悲しみの果て、絶望して死ぬしかありませんでした。パウロが「世の悲しみは死をもたらします」(10節)というとおりです。

 けれども、主イエスがその人に目をとめ、長い間病気であるのを知って、声をかけられました。彼は、自分に関心を寄せ、声をかけてくれた人物に、誰も当てにはならないという彼の悲しみをぶつけました。彼の一番の問題を、そのまま主イエスに差し出したのです。

 そしてそのとき、彼の問題は解決されていました。それは、主イエスこそ、彼が信頼を寄せるに足る神の御子キリスト、救い主だったからです。主イエスが、「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と言われると、彼はすぐに良くなって、床を担いで歩き出しました(9節)。

 確かに、信頼すべきお方を見出したとき、彼の病いも癒されたのです。自分の悲しみを主イエスに打ち明けたとき、その悲しみは、死をもたらすものから、取り消されることのない救いに通じる門に変えられます。

 「悔い改め」(メタノイア)とは、向きを変えること、方向転換という意味です。それはコリントの人々が罪から離れたこと以上の、キリストに対する信仰、そして献身を意味しています。

 パウロには、キリストを通して神の使命が授けられていました。それは、彼が受けた神との和解の恵みを宣べ伝えるという使命です(5章18節)。今、コリント教会の人々がパウロの言葉に熱心に従うようになったということは、もう一度神との和解の道をしっかりと歩み始めたということです。そこに、キリストに対する献身を見たパウロは、真の慰めを得、喜びを得たのです(6,7,13節)。

 キリストの言葉の光に照らされて、自分の真の姿を見つめ、神の御心に適った悲しみから取り消されることのない救いに通じる悔い改めに導かれ、贖いのみ業を成し遂げてくださった主イエスを絶えず仰ぎ、感謝をもってその導きに従いましょう。

 主よ、私たちには悲しみを持ち出す場所があります。その解決を願って祈ることが出来ます。祈りを聞かれる主が共にいてくださいます。そのとき、あらためて何が問題だったのかを悟ります。そして、正しく神の御顔を拝し、御言葉に聴くことが出来ます。絶えず祈りに導いてください。 アーメン