「あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みについて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。」 コリントの信徒への手紙二1章11節

 今日から、コリントの信徒への手紙二を読み始めます。本書は、聖書学者の注解によれば、もともと一通の手紙ではなく、数通の手紙がパウロの死後、一つにまとめられたものと考えられています。岩波訳は、五つの手紙の集合体(A:2:14~7:4、B:10:1~13:13、C:1:1~2:13,7:5~16、D:8:1~24、E:9:1~15)として、その順番に並べ直して翻訳しています。

 五つの手紙の集合体ということであれば、誰が、いつ、何の目的でこのように組み合わせたのか、五つの手紙それぞれの執筆場所や時期など詳細は分からないということになりますが、一般的に、第三回伝道旅行の途中、エフェソから紀元55年に出した第一の手紙に続いて、その1年後の紀元56年頃にマケドニア地方、恐らくフィリピで執筆されたものと考えられています。

 私たちは、この手紙がいつどこで、どのようにして執筆されたか、はたまた編集、統一されたかということについて、十分に知り得なくても、それで、手紙の内容が理解出来なくなるわけではないので、現在、新約聖書において提供されているまま、読み学ぶことが出来ることを喜び、そのメッセージを受け止めていこうと思います。

 第一の手紙は、コリント教会の質問に答える形で、教会内の問題、危機に対処しようとしている内容でしたが、第二の手紙は、第一の手紙で問題とされていたことが解決を見ることが出来たので、そのことの喜びと感謝をもって、さらにコリント教会の信徒たちを整えるために、パウロが筆をとったものと考えられます。

 3節に、賛美の言葉があります。特に「慰めを豊かにくださる神」(セオス・パセース・パラクレーセオース the God of all comfort、新改訳:すべての慰めの神,岩波訳:あらゆる慰めの神)と言っています。これは、パウロが様々な苦難を味わい、神によって慰めが与えられたという彼自身の体験から語られた賛美の言葉でしょう。そしてこの表現で、1~9章の基調が規定されています。

 4節の「神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」という言葉から、パウロの苦難の体験、そして、神の慰めを受けた体験が、使徒としての働きにマイナスになるのではなく、むしろ、それが有益に用いられていることが示されます。

 8節で「アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」と言っています。それは苦難の内容ではなく、彼が苦難に際してどのように考え、何を信頼したのかということです。11章23節以下にパウロが経験した苦難のリストがありますが、今ここでパウロが語る苦難がどのようなものなのかは、判然としません。

 恐らくそれは、パウロが熱心に福音を告げ知らせることによって生じたものでしょう。それは「耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました」(8節)ということですから、彼に対する厳しい迫害、宣教妨害がなされたことを想像します。

 「アジア州で被った苦難」について、具体的には何も知らされていません。あるいは、エフェソで投獄の難に遭ったのではないかと想像します。それは、生きる希望を失わせるほどの厳しさでした。9節に「死の宣告を受けた思いでした」とありますから、法廷で死刑を宣告されたわけではないでしょうけれども、そう表現せざるを得ない事態に至ったということでしょう。

 そのときに、パウロの内側には、自分を支えるものがありませんでした。「自分を頼りにすることなく」(9節)というのは、そのことです。つまり、「自分は信仰を持っているから、この状況から必ず救い出されると確信する」というような心境ではなかったのです。その意味では、まさに絶望的だったわけです。

 しかし、まったく絶望していたというのではありませんでした。彼には唯一のよりどころがありました。それは、「死者を復活させてくださる神を頼りにする」ことです。自分が生きていられるという希望は全くないけれども、死者をさえ生かしてくださる神に信頼する、すなわち、殉教しても永遠の命に生かされる希望を持っているというわけです。

 そして、ただ主だけを頼りとするというこの信仰に神が応えられ、パウロは、その絶体絶命の危機から脱出することが出来たのです。そうして、これからも神が救ってくださるに違いないという希望を持つようになったのです(10節)。

 かつて使徒ペトロがエルサレムで捕えられて獄に投じられたとき、やはり絶体絶命の状況でした(使徒言行録12章1節以下)。その背後では、ペトロの救出のために熱心な祈りがささげられていました。神は、その祈りに応えて天使を遣わし、厳重監視の下、拘束されていた牢の中から、ペトロを救い出されました(同6節以下)。

 パウロのためにも、フィリピの教会の人々やアンティオキアの教会の人々が熱心に祈っていたことでしょう。その祈りに応え、そして、先に記した「死者を復活させてくださる神を頼りにする」パウロの信仰に応えて、主なる神は、大きな死の危険からパウロを救い出してくださいました。

 パウロにとって、「慰め」(パラクレーシス)というのは、情緒や感情の問題ではなく、神によって与えられる救いの業と見ることが出来ます。そのような経験をする度に、これからも、使徒としての使命を全うするために、神が自分を慰め、励ましてくださるに違いないという信仰が確かなものとされたことでしょう。

 ちなみに、ヨハネ福音書では聖霊を「弁護者」(パラクレートス)と紹介します。口語訳は「助け主」としていました。「慰め」(パラクレーシス)との関連で「慰め主」とすることも出来ます。詳訳聖書は「慰め主、助言者、とりなす者、弁護者、激励者、援助者」と記しています。

 パウロは冒頭の言葉(11節)で「あなたがたも祈りで援助してください」と、祈りの要請を致します。パウロがコリントの人々にこのように要請するということは、これからも福音宣教に伴う苦難を受けると、彼が考えている現われです。また、神の慰めなくして、福音宣教の使命を果たすことは出来ないと考えている証拠です(エフェソ書6章19,20節、コロサイ書4章3,4節も)

 神の慰めは、教会の祈りを通して与えられるものであることを、パウロは繰り返し教えられ、体験していました。だからこそ、祈りの援助を願い、それによって彼らがパウロの福音宣教に参加協力することを願うのです。

 そして、パウロが苦難の中で慰めを得たこと、苦難から救い出されたことが多くの人々の感謝となり、賛美となります。ここに、キリスト・イエスを信じる信仰による執り成しの祈りの力が示されています。祈りを聞いてくださる神がおられるのです。

 私たちも、キリストの身体なる教会を通して神の栄光を現すために、各自に委ねられている使命を全うすることが出来るよう、互いに神の慰めを祈り合いましょう。

 主よ、どのような苦難のときにも、私たちを教会の祈りによって慰め、強め、励ましてくださることを感謝します。あなたこそ、慈愛に満ち、慰めを豊かにくださる神であられるからです。主の御声を聞き、その導きに絶えず与らせてください。 アーメン