「目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。愛をもって行いなさい。」 コリントの信徒への手紙一16章13~14節

 16章は、「エルサレム教会の信徒のための募金」についての指示(1~4節)、コリントへの「旅行の計画」(5~12節)、そして最後に「結びの言葉」(13節以下)が記されています。

 冒頭の言葉(13,14節)は勧告で、13節に四つ、14節に一つの命令形の動詞があります。

 まず、「目を覚ましていなさい」(グレーゴレーテ be alert)というのは、実際に睡眠をとらない生活をすることではありません。信仰の目を覚ましていること、今がどのようなときであるかをわきまえ、特に、終わりの日が近いことを考え、再臨の主を待望して、その希望にふさわしい生活をすることです。

 「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」(ステーケテ・エン・テー・ピステー stand fast in the faith)というのは、自分の主義信条によるのではなく、神の国の福音を土台として、主イエスを信じる信仰に基づいて生活することです。

 ヘブライ書11章6節に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」とあり、また、ローマ書10章17節に「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まる」と記されております。この時代に、何ものにも動かされないでしっかりと信仰に立つことが出来るように、キリストの言葉を聴いていきましょう。

 「雄々しく、強く生きなさい」というのは、「雄々しくあれ」(アンドゥリゼスセ be brave)と「強く生きよ」(クラタイウースセ be strong)という二つの動詞が連なって語られているものです。「雄々しく」は、ここ以外に新約聖書には用いられていません。「アンドゥリゾマイ」は「アネール:男(複数形アンドレス)」に関係し、口語訳、新改訳は「男らしく」と訳しています。

 「強く生きなさい」も、用例は僅かです(他にルカ1章80節、2章40節、エフェソ3章16節のみ)。「クラタイオオー」は「クラトス」(「力 power」の意:エフェソ1章19節、6章10節、コロサイ1章11節など参照)と関係する言葉です。

 この二つの言葉が同時に用いられているのは、詩編31編25節(七十人訳)が反映しているものと考えられます。24節から読んでみましょう。「主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り、傲慢な者には厳しく報いられる。雄々しくあれ(アンドゥリゼスセ)。心を強くせよ(クラタイウースソー)。主を待ち望む者はすべて」。

 ここで、強さや雄々しさは、主なる神への愛に根ざし、主を信頼して待ち望むところに根拠を置いています。「主に望みを置く人は新たなる力を得、鷲のように翼を張って上る」(イザヤ書40章31節)のです。ですから、真の強さというものは、驕りや高ぶりとは無縁のものなのです。

 14節には「何事も愛をもって行いなさい」(パンタ・フモーン・エン・アガペー・ギネスソー let all your things be done with charity)という命令があります。「愛をもって行え」というのは、この手紙の主題ともいうべき言葉です。

 愛については、8章1節で「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と語られておりました。また13章は「愛の賛歌」と呼ばれるところであり、霊的な賜物、神のプレゼントについて語っている12章から14章において、最も大いなる賜物、最高の道は、愛であると教えている箇所です。

 13章4節から7節において、神の愛が15の動詞で説明されています。即ち、神の愛は行動によって表されるということです。特に「忍耐強い」(4節)、「すべてを忍び」、「すべてに耐える」(7節)と、忍耐する愛が語られます。

 私たちの堪忍袋の尾は、簡単に切れてしまいます。もう限界だ、そのような愛には生きられない。そんなことをやっていたら身が持たない、やっていけないということになってしまいます。だからこそ、賜物として与えられる神の愛を祈り求め、すべてのことを愛もって行えと、ここで命じているのです。

 結びの言葉の最後に祝福の祈りが記されます。それは、「主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように」(23節)という祈りです。礼拝の最後に「主イエスの恵みと、父なる神の愛と、聖霊の交わりがあなたがたの上に豊かにあるように」と、三位一体なる神からの祝福が祈られます。ここは、「神の愛」と「聖霊の交わり」も、「主イエスの恵み」という言葉に込めて祈られているのでしょう。

 通常は祝祷で終わりですが、この手紙では祝祷にさらに祈りが続きます。それは、「わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように」(24節)という祈りです。キリスト・イエスこそ、パウロとコリントの信徒を結ぶ絆です。そして、キリスト・イエスのゆえに、パウロは、コリントの信徒たちを愛すると語ることができるのです。

 私たちも互いに祈り合いましょう。自分たちの愛が、キリスト・イエスにおいて、キリストの体なる教会に連なる神の家族一同と共にあるように祈るのです。お互いの思いが主イエスによって執り成され、キリストの愛によってお互いが愛の絆で結ばれるように祈りましょう。

 主よ、あなたの恵みと導きに感謝します。私たちが何事も愛をもって行うことが出来ますように。主イエスの恵みが、常に私たちと共にありますように。私たちの愛が、キリスト・イエスにおいて神の家族一同と共にありますように。お互いの思いが主イエスによって執り成され、神の愛の絆で結ばれますように。 アーメン