「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。」 コリントの信徒への手紙一14章1節

 14章でパウロは、「異言と預言」という霊的な賜物について記しています。

 「異言」というのは、私たちが日常生活で使う言葉ではありません。原文を直訳すると「舌」(グロッサ)という言葉です。自分が語ろうとして語る言葉ではなく、霊が語らせる言葉、霊が自分の舌を動かして霊の語らせるままに語るので、自分の思いとは異なる言葉ということで「異言」というようです。

 「異言」は、語る人にもその意味が分からないものです。これは、神に向かって語られる、誰にも分からない、霊によって神秘を語るという霊的な言葉の賜物です(2節)。使徒言行録2章4節に「霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあり、それは異言とはされていませんが、イエスの弟子たちの意思によらず自分たちの国語ではない言葉を話し出したという点で、得言といってもよいでしょう。

 120人が一斉に様々な国言葉で話し出せば、それを聞き分け、語られていることを正確に理解するということは、思うほどたやすいものではありません。故に、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」(同13節)とあざける者もいたと言われます。自分の故郷の言葉で話されているのを聞いて心打たれ、キリストを信じる者になったというわけではなかったのです。

 コリント教会の中には、異言の賜物を過度に重んじる人々がいました。異言を語ることが、霊的に成長し、信仰が成熟した者の証拠であるかのように考えていたようです。そのような考え方をする人が、コリントの教会の有力者といわれる人々の中に少なからずいたと、注解書に記されていました。

 異言が語る経験を持たない人々が多い教会では、この賜物を軽んじ、あるいは忌避する傾向がありますが、異言も教会に与えられた「霊的な賜物(タ・プネウマティカ:複数形)」の一つであり、「霊の働きが現れるのは、全体の益になること」(12章7節)といって、同8節以下に霊の賜物を列挙する中に「種々の異言を語る力」(同10節)と挙げられています。

 だからパウロは、誰にも理解出来ないような異言を語るのはやめなさいという言い方をしません。むしろ18節で「わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します」と言っており、また39節に「異言を語ることを禁じてはなりません」と記しています。

 3,4,12節に「造り上げる」という言葉が出て来ます。これは「家を建てる」(オイコドメオー)という言葉で、口語訳では、「徳を高める」と訳されていました。ここでは「高める、強くする、確立する、徳を養う、益となる」といった意味にも用いられます。

 異言は、個人を強め、造り上げるものです(4節)。それは、異言の賜物が私たちを強めるということではなく、異言の祈りを与えられる聖霊の働きによって、私たちが造り上げられるということでしょう。しかし、異言が教会の中で語られても、それは誰にも理解出来ないものなので、それを聞いて互いに心を一つにすることが出来ません。

 15節に「霊で祈り」、「霊で賛美し」とあるのは、文脈上、異言の祈り、異言の賛美と考えてよいでしょう。異言で祈り、賛美すれば、霊的な実を実らせることになるでしょうけれども、それは他者にも自分自身にも分かる言葉ではないので、私たちの理性は実を結ばず(14節)、教会を造り上げることが出来ないというのです。

 4節には、教会を造り上げるのは、預言の賜物だと記されています。預言とは、何年後にどういうことが起こるかを予め語る「予言」のことではありません。聖霊の働きで神の言葉を預かり、それを人に向かって語ることです。

 異言が神に向かって語られるのに対し(2節)、預言は人に向かって語られるもので、人を造り上げ、励まし、慰めます(3節)。だから、教会を造り上げるために、冒頭の言葉(1節)で、「預言をするための賜物を熱心に求めなさい」と言われています(5,12節も参照)。

 「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録1章8節)と主イエスが言われ、その後、ペンテコステに福音を大胆に語り出し、多くの人々が信仰に導かれました(同2章1節以下)。

 だから、預言が出来ればよいというのではありません。聖霊の力に満たされて、キリストを証しすること、福音を宣べ伝えることが求められます。そのことを、パウロは、「預言の賜物を求めなさい」という言葉で勧めているわけです。

 キリストの体なる教会を造り上げるために、大胆に力強く福音を伝えることが出来るように、御言葉を語る器として用いられるために、聖霊に満たされること、聖霊の賜物が豊かに与えられることを、熱心に祈り求めて参りましょう。

 主よ、私たちが大胆に福音を宣べ伝え、教会を造り上げるために、聖霊に満たし、御霊の賜物、特に預言の賜物を授けてください。聖霊を通して注がれる神の愛を受けて、平和を作り出す者となることが出来ますように。 アーメン