「パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべると、一匹の蝮が熱気のために出て来て、その手に絡みついた。」 使徒言行録28章3節

 漂流していた舟がようやく陸地を見つけ、入り江に乗り入れようとして進んだとき(27章39節)、浅瀬に乗り上げて動かなくなり、船尾が激しい波で壊れ始めました(同41節)。そこで、泳げる者は泳いで、残りの者は板切れや船員につかまって何とか無事に上陸することが出来ました(同43,44節)。

 そこはマルタと呼ばれる島で(1節)、島民は、「降る雨と寒さをしのぐためにたき火をたいて、わたしたち一同をもてなしてくれた」(2節)と記されています。その親切さは、パウロたちだけに示されたものではないでしょう。むしろ、島の人々は漂流してきた人々を分け隔てなく、常に親切にしてきたのではないかと思います。

 というのは、彼らも海の民として生きてきて、嵐に苦しめられる経験をして、人の親切を受ける経験もあっただろうと思われるからです。「優しい」とは、人の憂いを知る、人の悲しみが分かるという字です。漂流する苦しみを知っていればこその親切、優しさを、パウロたちに示してくれたわけです。

 冒頭の言葉(3節)のとおり、そのたき火に、パウロが一束の枯れ枝を集めて火にくべました(3節)。何気ない文章ですが、パウロの行動力に驚きます。彼自身、2週間も嵐に悩む舟に乗っていて、冷たい海を泳いでようやく陸地に上がり、助かったというところです。その間、パウロは先頭に立って人々を助け励まして来ました。

 寒い冬の海に飛び込んで泳ぎ、冷えた体をたき火で温めるため、やれやれと腰を下ろせば、安堵と疲れで動けなくなり、立ち上がるどころか、眠り込んでしまうところでしょう。それなのに、パウロは驚くべき行動力で枯れ枝を拾いに行き、一束抱えてきて、それを火にくべるのです。

 以前パウロがエフェソの人々に、「主イエスご自身が、『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと,わたしはいつも身をもって示してきました」(20章35節)と語っていましたが、まさにここでもその言葉どおりに行動しています。

 主イエスは「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ6章12節)と山上の説教で教えておられ、「黄金律 Golden Rule」として大切にされている教えですが、それが身についている伝道者パウロの姿に感動すると共に、自分を省みさせられます。

 ところが、たき火の熱気で蝮が出て来て、パウロの手に絡みつきました(3節)。口語訳には、「かみついた」と記されています。蝮が絡みついたというのと噛みついたというのでは、結果が違います。この後の記事から、「噛みついた」と読む方がよさそうです(岩波訳参照)。ただ、パウロにとっては一難去ってまた一難、ようやく嵐から助かったと思えば、今度は蝮です。

 島の住民が、「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、正義の女神はこの人を生かしておかないのだ」(4節)と互いに言ったということも、さもありなんというところでしょう。

 自分の身に「泣き面に蜂」のように次々と災難が襲いかかってくると、神様なぜですかと訴えたくなります。ともかく大慌てで何とかしなければと思うでしょう。けれども、パウロは特に慌てることもなく、蝮を火の中に振り落として平然としています(5節)。

 そこには、「ローマでも証しをしなければならない」(23章11節)と言われた主なる神の命令を果たすために、主が嵐の海から同船のすべての人々らと共に守り助け出してくださったように、蛇の毒からも守られると、パウロは確信していたためでしょう。

 実際、 パウロに絡みついた蝮は、パウロを害することができませんでした(5節)。いつまで経ってもパウロの身に何も起こらないので、住民たちは考えを変え「この人は神様だ」(6節)と言い出します。

 ここでは、14章15節にあるようにパウロはその評価に対して反論してはいません。ただ、ルカ10章19節の「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた」という主イエスが言葉が、パウロにおいてここに実現しているということが、著者ルカにとって重要なものであったのでしょう。

 あらためて、「蝮」は神の使命が果たされることを妨げようとするシンボルのようなものです。エデンの園に蛇が登場して、神と人との麗しい関係を破壊し、アダムが神に託されたエデンの園を耕し、守るという使命を果たせなくしてしまったことを思い出します(創世記3章参照)。

 私たちの日常生活の中に潜んでいる蝮に気をつけなければなりません。冷えた体を温めようとする親切のたき火の熱気で登場して、親切に行動している者に絡みつき、それを台無しにしようとします。小さなすれ違いが、やがて大きな対立を呼び起こします。裁き合いが始まるのです。

 神に頂いた愛と信頼の関係が損なわれないように、心の平安を奪われないように、絶えず主を見上げ、主の軛を負って柔和と謙遜を実につけさせていただきましょう。

 主よ、少しのことで心の平安を失い、眠れなくなる私たちです。憐れんでください。あなたに心を向け、御言葉に耳を傾けます。あなたの平安で私たちの心と思いとを絶えずお守りください。どんなときにも信仰で勝利することが出来ますように。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰で歩ませてください。 アーメン