「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」 使徒言行録20章28節

 パウロ一行は、エフェソの騒動が収まった後(19章21節以下、40節)、トロアスヘ行き、そこからマケドニアに渡ります(1節)。正確な渡航時期は不明ですが、紀元55年の晩夏か初秋の頃と考えられます。

 このことについて、第二コリント書2章12,13節に「わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスにいったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました」と記しています。コリントが心配で、トロアスで宣教活動を展開する気になれなかったというのです。

 「この地方」(2節)とは、第2回伝道旅行で教会を設立した地方ということで、フィリピ、テサロニケ、ベレアを再び訪れ、「言葉を尽くして人々を励まし」(2節)ているわけです。それができたのは、恐らくフィリピでテトスと会うことができ、そのときテトスが、コリントの教会の問題は解決したという報告をもたらしてくれたからです(第二コリント書7章5節以下)。

 そこで、第二コリント書を書いてテトスに持たせ、どれほどパウロが安堵し、喜んでいるのかを伝えさせました。それから「ギリシアに来て」(2節)は、アカイア地方コリントの教会を訪れたということで、紀元55年の冬頃のことと考えられています。

 コリントの滞在期間を「三か月」(3節)と言います。パウロがローマの信徒への手紙を書いたのは、恐らくこの訪問の間でしょう。ローマ書16章1節でケンクレアイの教会の奉仕者をローマの教会に紹介するといっていますが、ケンクレアイはコリントの港町です。その女性執事フェベが、ローマに手紙を届ける役割を果たしたのでしょう。

 また同23節の「わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオ」とは、パウロがコリントの教会でバプテスマを授けた数少ない人物の一人でした。第一コリント書1章14節に「クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにもバプテスマを授けなかった」と記されています。

 使徒言行録の著者は、このあたりのことについて、全く関心を示していません。まるで旅を急いでいるかのように、伝道旅行の終盤に向かってさっさと筆を進めます。パウロは、コリントから海路でパレスティナに戻る予定でしたが、「ユダヤ人の陰謀があったので」(3節)、陸路マケドニア・フィリピまで行き、フィリピからトロアス行きの舟に乗ることにしました(6節)。

 ユダヤ人たちは、コリントでアカイア州の地方総督ガリオンに訴えてパウロを処罰するという計画を立てて失敗していたので(18章12節以下)、今回は、船中に刺客を潜ませ、エルサレムの巡礼客の中に紛れてパウロを殺害しようと謀っていたのでしょう。

 4節に、パウロの同行者のリストがあります。パウロに対する陰謀を受けてのことですから、この7人以外にも多数の同行者がいたものと思われます。7人は、マケドニアおよびアジアの教会の代表者たちです。パウロに同行して旅を安全に守り支えると共に、それぞれの教会からエルサレムに届けるための献金を持参していたのでしょう。

 5節に「この人たちは先に出発してトロアスでわたしたちを待っていた」とありますが、アジア州出身のティキコとトロフィモがエフェソからトロアスに来ていたほかは、ベレアのソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンドはそこからフィリピの港でパウロより先にやって来たキリキア州デルベ出身のガイオとテモテと共にトロアスに渡ったのでしょう。

 ガイオとテモテに替わって、パウロの同行者に加えられた人物がいます。「わたしたち」という言葉に表されているように、久しぶりに使徒言行録の著者ルカが、パウロの道行きに同行するようになったのです(16章10~16節参照)。

 トロアスで先発の7人と落ち合ったパウロ一行は(6節)、「週の初めの日」(7節)すなわち日曜日に、「パンを裂くために」(同節)つまり礼拝を行うために、集まりました。それは「階上の部屋」で「たくさんのともし火がついていた」というのですから、裕福な人が集会場所を提供したようです。かくして、トロアスにもキリストの教会が立て上げられていたことが分かります。

 その後、アソスから海路(14節)、ミレトスまで行きます(15節)。そこから隣町のエフェソに人をやり、教会の長老を呼び寄せました(17節)。旅を急いでいて、エフェソには寄らなかったのです(16節)。とはいえ、素通りすることも出来ませんでした。

 というのは、エルサレムで苦難が待ち受けており、パウロ自身、もう二度とエフェソの人々の顔を見ることはないだろうと思っていたからです(25節)。そこで、集まって来た長老たちに訣別の説教をします(18節以下)。

 パウロは、アジア州(ことにエフェソ)における宣教活動を思い起こさせ、試練の中でも福音を宣べ伝えてきたように(19節)、これから投獄と苦難の待つエルサレムに行くけれども(22,23節)、福音を証しする任務を果たすことが出来るなら、命は決して惜しくはない(24節)と告げます。

 ここに、パウロの使徒としての福音宣教にかける心意気があります。そして、ここで長老たちにこのように語ったのは、エフェソの教会を彼らに託し、福音宣教と共に群れの世話をしてもらうためです。そこで、冒頭の言葉(28節)で「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と語るのです。

 それは、パウロ亡き後、残忍な狼ども、つまり迫害者がやって来て、群れを荒らすからです(29節)。また、内部からも邪説を唱える者、つまり異端の教えで信徒を惑わす者が現れるからです(30節)。だから、そのような者に惑わされないように、パウロが3年にわたって語り続けてきたことを思い起こし、目を覚ましていなさいというのです(31節)。

 パウロは長老たちに、「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」(28節)と言います。

 教会は、神を信じる者の集まりであり、神は信じる者のために御子キリストの血で贖いの業を成し遂げられました。だから、教会は神のものなのです。そして、神のものである教会を長老たちに委ね、神に代わって群れの世話をさせるために、聖霊が、長老たちを群れの監督者に任命したというのです。

 「監督者」(エピスコポス)とは、見守る者、保護する者という言葉です。教会を支配し、群れを自分のものとするようなことではありません。あらためて、「あなたがた自身と群れ全体とに気を配りなさい」と言われているのは、自分の使命を忘れ、勘違いして、群れの支配者になろうとする誘惑があるという警告ではないかと思わされました。

 そうではなく、群れ全体に神の恵みの言葉を説き明かし、教えるという牧会の働きを通して、教会が神のものであり、キリストの命という高価な代価を払って買い取られ神の民であることを、教会内外に示すのです。そのために必要な知恵も力も、群れの監督者に任じてくださった聖霊を通して与えられます。

 監督者自身の、神を畏れ、御言葉に聞き従う姿勢が、絶えず厳しく問われています。御言葉は、「あなたがたを造り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(32節)。祈りつつ、謙って共に主に仕えて参りましょう。

 主よ、御言葉の前を離れると、自分の姿を忘れてしまいます。時に高ぶり、愚かになります。憐れみ助けてください。私たちの群れが、御子キリストの血によって贖い取られた神のものであることを、うちに外に現していくことが出来ますように。 アーメン