「主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる。」 ゼカリヤ書14章9節

 ゼカリヤ書最後の章になりました。預言者ゼカリヤが見ているのは、厳しい状況です。2節に「わたしは諸国の民をことごとく集め、エルサレムに戦いを挑ませる。都は陥落し、家は略奪され、女たちは犯され、都の半ばは捕囚となっていく」とあります。

 12章2節にも、「わたしはエルサレムを、周囲のすべてを酔わせる杯とする。エルサレムと同様、ユダにも包囲の陣が敷かれる」とあり、その時、主がエルサレムの住民の盾となり(同8節)、エルサレムに責めてくるあらゆる国を必ず滅ぼすと言われていました(同9節)。同じ事態の違った側面が描かれていると考えたらよいのでしょう。

 「民の残りの者が、都から全く断たれることはない」(2節)という言葉は、都にいた多くの者が断たれるということになるわけで、その状況の厳しさをあらためて思わされます。都が敵に囲まれ、その戦いで多くの人々が命を落とし、女性は犯され、戦利品が分配されます(1節)。つまり、この戦いで敵軍が勝利を収めているということです。

 しかし、ゼカリヤが見たのはそれだけではありませんでした。12章で語られていたように、主が国々と戦い(3節)、ついには、冒頭の言葉(9節)にあるように、地上をすべて治める王となられるのを見ています。

 そして、エルサレム東のオリブ山が二つに裂け、東方への避難路として谷ができます(4節)。その谷を通って逃げよと言われ(5節)、主なる神が難を逃れた民のもとに、御使いたちを伴ってやって来られます(同節)。

 その日、太陽の光が失われ、冷えて凍てつくばかりでしたが、昼もなければ夜もない、神の栄光が常に輝き(7節)、エルサレムの都は命の水が湧き出て潤い、その川が東に西に流れ続けて海に至っています(8節)。

 これは、ヨハネの黙示録に記されている新しいエルサレムに似ています(黙示録21章23節、22章1,5節、11章15節など)。ということは、ここに預言者ゼカリヤの見ているのは、すぐにも実現するというものなどではなく、世の終りに訪れる主の日のことということになります。

 それがここに記されているのは、冒頭の言葉(9節)に記された、「その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる」という主の日の到来を待ち望みつつ、今のこの苦難のときを、信仰に堅く立ち、恐れず勇気を出して歩みなさいと、エルサレムの民に励ましを与えているわけです。

 これらのゼカリヤの言葉を、確かに神によって与えられた預言の言葉であると信じることが出来た人には、希望が与えられたことでしょう。けれども、どれほどの人が、信仰によってこの言葉を聴くことが出来たでしょうか。むしろ、殆どの人がまともに聞こうとしなかったのではないかと思われます。

 厳しい現実の中で、希望の光を見出すのはなかなか困難です。このトンネルの向こうには必ず光の出口があると言われても、実際には出口などなくて暗闇の袋小路に追い込まれているのではないか、そのまま底なしの淵に沈みこんでしまうのではないかというような不安を拭い去ることが出来ないのです。

 恐れや不安を取り除く万能薬を作ることは出来ません。でも、不安や恐れを取り除いてくださる方はおられます。それは、私たちの救い主、主イエス・キリストです。

 十字架にかかられる前、主イエスは弟子たちに、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14章1節)と言われ、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(同16章33節)と励まされました。

 また、主イエスが十字架で死なれ、葬られた後、ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵を掛け、閉じこもっていた弟子たちのところに甦られた主イエスが立たれ、「あなたがたに平和があるように」(同20章19節)と仰いました。

 「心を騒がせるな、勇気を出せ。平和があるように」と語られる主の御言葉に耳を傾けましょう。主を信じる信仰は、自分で作り出せるものではありません。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ書10章17節)と言われる通りです。聞いた言葉を信仰と結びつけることができるよう(ヘブライ書4章2節参照)、聖霊の導きを求めましょう。

 また、心の耳を開いていただきましょう。主こそ良い羊飼いであり、羊は羊飼いの声を聞き分け、従っていくことが出来るからです(ヨハネ福音書10章3,4節)。心の目を開いていただきましょう。神の御旨を深く悟ることが出来るからです(エフェソ書1章17節以下)。

 希望の源なる主よ、なかなか明るい希望の光を見出すことが困難な状況の中で、すべてを統べ治める全能の主を仰ぎ見ることが出来、そして勇気をもって神殿再建、エルサレム復興のために民を励ましたゼカリヤのように、私たちにも絶えず主を仰がせ、その御声に耳を傾けさせてください。主を信じる信仰に堅く立ち、主の御言葉に従うことが出来ますように。聖霊の満たしと導きに与らせてください。 アーメン