「獅子がほえる、誰が恐れずにいられよう。主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか。」 アモス書3章8節

 主なる神がイスラエルの人々を「わたしがエジプトの地から導き上った全部族」(1節)と呼び、「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ」(2節)と告げられます。しかしながら、その次の言葉に驚かされます。「それゆえわたしはあなたたちのすべての罪のために、あなたたちを罰する」(2節)と言われるからです。

 何をもって「罪」と言われているのか、これだけでは分かり難いですが、イスラエルは主に選ばれてエジプトの奴隷の家からの解放され、約束の地に導き入れられるという恵みに与りましたが、その選びには目的がありました(申命記6章21節以下、7章6節以下)。それはしかし、彼らに免罪という特権を与えるようなものではありません。

 2章6節以下で、イスラエルの罪として挙げられているのは、イスラエルが正義と公正を蔑ろにし、主の御声に耳を傾けないということでした。つまり、イスラエルの民は自分たちが選ばれた意味を解さず、主の御声に耳をふさぎ、正義と公正を行わなかったので、そのすべての罪のゆえに罰すると言われているわけです。

 3節以下には、疑問文が並びます。3~5節は、原因もないのにこういう結果になるだろうかと問う形式で、これを聴く者が「否」と答えることを想定しています。続く6~8節では、こういう原因があれば、こういう結果にならないだろうかと問う形式になり、それに対しては「然り」と答えることが想定されています。

 その最後に、冒頭の言葉(8節)のとおり、「主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか」という一句が告げられます。主の語られる言葉を聴いたなら、誰もが預言するだろう、然り、そうだその通り。誰でも預言するということです。

 ところで、なぜ預言者アモスは、このようなことを記しているのでしょうか。一つには、アモス自身が何故北イスラエルで預言を語るのか、その理由、根拠を説明していると考えられます。また、獅子が吠え(4,8節)、角笛が吹き鳴らされ、災いが起こる(6節)という記述から、主の語られた言葉はアモスに脅威を与え、恐怖を呼び起こすようなものだったのでしょう。

 小国イスラエルが、アッシリアやエジプトという大国にはさまれながら自治を保ち、平和裏に発展するというのは、大変困難なことだったと思います。アモスが預言者として活動している時の北イスラエルの王は、ヨアシュの子ヤロブアム(2世)でした(列王記下14章23節以下)。

 彼は41年イスラエルを治めましたが、その間の治安は安定し、北イスラエル王国の歴史の中で最も繁栄した時代でした。だからこそ、41年も王位についていることが出来たわけです。国土も北に南に拡大して、ソロモンの時代の国土にも匹敵するほどだったと言われます。王としての手腕は、高く評価されるべきものといっても良いと思われます。

 しかしながら、イスラエルの民がヤロブアム2世の治世下で繁栄を謳歌していたとき、アモスは神の御声を聴きました。あるいは、アッシリアの迫り来る足音を「獅子の吼える声」として聞いていたのかも知れません。そしてその声を聞くことが出来たのは、アモスただ一人だけだったわけです。

 「美しい門」の傍らで物乞いをしていた足の不自由な男を立ち上がらせたペトロとヨハネが(使徒言行録3章1節以下)、サンヒドリン議会に呼び出され、尋問を受けたとき、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(同4章19節)と答えました。

 ペトロとヨハネは、十字架にかかって死なれた後、三日目に甦られた主イエスの福音を、聖霊の力を受けて大胆に語っていました。そのときペトロは、「ほかの誰によっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの(イエス・キリストという)名のほか、人間には与えられていないのです」(同4章12節)という、はっきりとした確信に立っていたのです。

 それは、カイアファの官邸で主イエスが裁かれているとき、三度も主イエスを知らないと否んだペトロ(マルコ14章66節以下など参照)と同一人物とは思えない、全く変えられた姿です。ペトロの内に、確かに聖霊の力が与えられていたのです(使徒言行録1章8節、2章1節以下)。

 私たちも聖霊の力を受けて、イエス・キリストこそ私たちの主であることを宣べ伝えていきたましょう。日々聖霊に満たされて、「主の名によってこられる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」(ルカ19章38節)と主をほめ歌いましょう。

 主よ、私たちは主イエスの贖いの御業によって救いに与り、神の子としていただきました。その恵みを疎かにせず、主の福音の証し人となることが出来ますように。そのために、聖霊で満たし、その力に与らせてください。この時代に世の光、地の塩としての教会の使命を果たしていくことが出来ますように。 アーメン