「『衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け』。あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。」 ヨエル書2章13節

 1節に「シオンで角笛を吹き、わが聖なる山で鬨の声をあげよ。この国に住む者は皆、おののけ。主の日が来る、主の日が近づく」とあります。「角笛」は、敵の侵入の警報として(エレミヤ書4章5節)、また、戦いに備えるために吹き鳴らされます(士師記3章27節)。ここでは、「主の日」の到来を告げ知らせ、備えのために吹き鳴らされるのです。

 「主の日」とは、「恐るべき日」、「全能者による破滅の日」(1章15節)です。11節にも、「主の日は大いなる日で、甚だ恐ろしい。誰がその日に耐ええよう」とあります。本来、主なる神の訪れは、イスラエルにとって救いの完成を意味したはずですが、神に背いて罪を重ねた結果、その日は、恐るべき裁きの日、刑罰の下る日となったわけです。

 主の日の到来が告げ知らされ、裁きに備えるようにと角笛が吹き鳴らされたとき、イスラエルの民は何をすればよいのでしょうか。それが、12節以下に記されていることです。

 まず、「今こそ、心からわたしに立ち帰れ」(12節)という主なる神の招きの言葉があります。「立ち帰る」とは、方向を変えること、神に向かって歩き始めることです。まっすぐに神の言葉を聴くことです。

 続いて「断食し、泣き悲しんで」(12節)と語られます。「断食し、泣き悲しむ」のは、罪の悔い改めを表明することです。神に背いた罪を悔いて、神に向かって歩み出せ、神の御言葉に聴き従えと言われているのです。

 1章14節に「断食し、聖会を招集し、長老をはじめこの国の民をすべて、あなたたちの神、主の神殿に集め、主に向かって嘆きの叫びを上げよ」と言われていました。断食し、泣き悲しんで悔い改めを表明することが「主に立ち帰る」道ということです。それが、15節以下にも記されています。

 さらに、冒頭の言葉(13節)のとおり、「衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け」と言われます。衣を裂くのは、悲しみ、嘆きの表現ですが、神が望んでおられるのは、外側に見える形で表現されることではありません。むしろ、「心を引き裂く」こと、つまり、根本的に心を造り替えることです。

 ダビデも、「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」と詠います(詩編51編18,19節)。

 ヨエルはここに、心から主に立ち帰ることこそ、私たちの救われる唯一の道だと語っているのです。さらに言えば、イスラエルの民が心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主なる神を愛することです(申命記6章5節)。

 神が私たちを「主に立ち帰れ」と招かれるのは、私たちの側に救われる根拠や資格などがあるからではありません。「主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ」(13節)、と言われるとおりです。

  「恵みに満ちる」(ハーヌーン)とは、一方的に与えられる神からの賜物です。「憐れみ深い」(ラフーム)という言葉の名詞形(レヘム)は「子宮」を表しますので、母親のような慈愛を示しています。

 「忍耐強い」は「怒るに遅い」(エレフ・アパイム)という言葉で、神の愛の広さ、長さ(エフェソ書3章18節参照)を表現しています。「慈しみ」(ヘセド)は、神が人間を愛する、堅固で誠実な愛を表すのに用いられる言葉です。

 私たちは、このような神のご愛に幾重にも包まれ、守られているのです。そのことを忘れ、あるいは無感覚になっているのが、私たちの罪です。聖書で言う罪は、必ずしも犯罪を意味しません。罪とは「的外れ」という意味だと学びますが、神に呼ばれているのに答えない、神の言葉を無視する、神に背く、神に近づこうとしない、そうしたことを「罪」というのです。

 主なる神は今日も私たちを招かれます。父が放蕩息子の帰りを待ちわびているように(ルカ福音書15章11節以下)。そうして、帰ってきた息子に最上の衣を着せ、指輪をはめ、靴を履かせ、肥えた子牛を屠って宴会を開かれました。それは、父に背いて家を出た息子の復権、息子であることの証明です。神は、私たちの背きの罪を赦し、神の子としてくださるのです。

 日々、主なる神の御前に進みましょう。主の御言葉に耳を傾けましょう。そして、主のご愛に感謝と賛美をささげましょう。

 主よ、導きを感謝します。恵みを感謝します。憐れみを感謝します。私たちを神の子として再び生み出すために、独り語を犠牲にするという、考えられない産みの苦しみをしてくださいました。そのご愛に応えることが出来ますように。主の導きにいつも素直に従うことが出来ますように。 アーメン