「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」 ホセア書3章1節

 冒頭の言葉(1節)のとおり、主の言葉が再び預言者ホセアに臨みました。同じような言葉が1章2節にもあり、そこで「淫行の女をめとり、淫行による子らを受け入れよ」と命じられていましたが、ここでは「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ」と言われています。

 1章と3章の間に15~20年という時間を想定し、離婚した妻をもう一度愛し受け入れよという命令だと解釈している学者があります。あるいはまた、1章の妻と離婚した後、別の姦淫している女性を愛せよとの命令だとする解釈もあります。

 いずれにせよ、ホセアがそう命じられるのは、「イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛される」(1節)からです。ここで「干しぶどうの菓子」は、エレミヤ書7章18節にある天の女王のために献げられた菓子のように、異教の神々の礼拝と結び付いたものです。

 1章に言われた淫行の女、「ディブライムの娘ゴメル」の「ディブライム」について、岩波訳の脚注に「『二つの干し無花果の菓子』の意。干し無花果は干し葡萄と並ぶ菓子であった(サム上25・18,30・12,代上12・41参照)。売春婦の価が二つの干し無花果菓子の値であったという理解もあり、しばしば豊穣儀礼で使われたとされる」とあります。

 ホセアは、銀15シェケルと、大麦1ホメルと1レテクを払って、その女性を買い取りました(2節)。シェケルは銀貨のことで、15シェケルは銀貨15枚です。また、1レテクは0.5ホメルですから、1ホメルと1レテクは1.5ホメルということになります。1ホメルは約230リットルと言われますので、1.5ホメルは345リットルとなります。かなりの分量です。

 列王記下7章1節に「明日の今ごろ、サマリアの城門で上等の小麦粉一セアが1シェケル、大麦2セアが1シェケルで売られるようになる」という言葉あります。1セアは7.7リットルですから、1.5ホメルは44セア、2セアが1シェケルで売られるのですから、1,5ホメルは22シェケルになります。

 女性が請願をかけて聖所に身をささげるときには、銀貨30枚を払いました(レビ記27章4節)。奉納した人がそれを買い戻すとき、その相当額に五分の一を加えて支払えという規定があります(同27章13節など)。

 銀15シェケルと大麦1.5ホメル=22シェケル相当で、合わせて37シェケル(銀貨37枚)になります。少々こじつけじみているかもしれませんが、これは、神殿にささげられた女性の買戻しの額に相当すると考えることが出来ます。

 2章18,19節との関連で、この女性は、バアル神殿に仕える神殿娼婦として、礼拝儀式の中で姦淫を行っていたと考えられます。バアル信仰では、神殿娼婦と交わることで、五穀豊穣が約束されると信じられていたのです。その女性は、異教の偶像に仕える誤った信仰と、それにまつわる淫行から、ホセアによって贖い出されたというわけです。

 ホセアが同じ女性のために2度、贖い代を払ったとすれば、それは単に主の命令に従っただけというのではなく、ホセアがその女性をいかに大切に思っていたかという確かな証しではないでしょうか。ホセアは彼女に「お前は淫行をせず、他の男のものとならず、長い間わたしのもとで過ごせ。わたしもまた、お前のもとにとどまる」(3節)と告げました。

 自分を愛してくれる者のために犠牲を払うことは難しいことではありませんが、自分を愛さないで姦淫を重ねる者のために犠牲を払うというのは、一度でもノーサンキュー No,thank youでしょう。ところが、ホセアはそれを二度したわけです。そんなことが実際に出来るのでしょうか。ホセアは本当にそれをすることが出来たのでしょうか。

 ホセアという名は、「ヨシュア」の変形(短縮形)です。「ヨシュア」の正式な発音は「イェホシュア」とです。民数記13章16節に「モーセは、ヌンの子ホシェアをヨシュアと呼んだ」とあります。いずれも「主は救いたもう」という意味ですが、ヨシュアと発音する方が、「主(ヤハ)」という意味が鮮明なのです。そして、ヨシュアをギリシア語で表記すると「イエス」となります。

 そして、私たちの主イエスというお方は、繰り返し罪を犯し、神に背き続ける私たちのために、本当にご自身を犠牲としてささげてくださったお方です。この主が私たちに、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と命じられました(ヨハネ13章34節、15章12節など参照)。

 私自信にはそのような力はなく、そのような愛も持ち合わせておりませんが、主イエスの愛を頂きながら、主イエスの愛に支えられ励まされて、互いに愛し合う者にならせていただきたいと思います。

 主よ、心を尽くして神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する者にならせてください。私たちの内にお住まいくださっている聖霊を通して、神の愛を心に注いでください。隣人と互いに愛し合うことを通して、主の僕とされている恵みを周囲の人々に証しすることができますように。 アーメン