「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り、『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。」 ダニエル書7章13,14節

 7章で、ダニエルの見た幻(夢)が物語られます(1,2節)。1節はその時期を「バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである」と言います。ベルシャツァルは、5章で学んだとおり、バビロンの最後の王ナボニドスの皇太子であり、彼が王となったことはありません。

 ただ、ナボニドスが都から離れている間、摂政としてバビロンを治めており、そのため、ペルシアの王キュロスがバビロンに攻め込んできた折、戦死したと考えられています。ダニエル書の記述を受け入れるなら、摂政としてバビロンを治めた初めの年(紀元前546年頃)ということになります。

 ダニエルが見たのは、大海から四頭の獣が現れるというものでした(3節)。第一の獣は獅子のようで鷲の翼が生えており(4節)、第二は熊(5節)、第三は豹で翼が四つ、頭も四つあります。(6節)、そして第四は巨大な鉄の歯に10本の角を持つ獣です(7節以下)。

 これらは地上に起こる四人の王であると天使によって説明されます(15節以下、17節)。これは、2章でバビロンの王ネブカドネツァルが見た夢をダニエルが解いた物語を思い起こさせます。

 四人の王を巡って、様々な解釈がなされています。最も代表的なのは、第一がバビロン、第二がメディア、第三がペルシア、そして第四がギリシアというものです。そして、第四の獣の10本の角の後に出てきたもう一本の角とは、シリアのアンティオコス・エピファネス王を指すと考えられます。

 アンティオコスによるパレスティナ支配は、帝国を統一するためにギリシア文化を強制するというものでした。王は、ユダヤの宗教を一掃するために様々な迫害を行いました。安息日に略奪を繰り返し、神殿にはギリシアの神々の祭壇を設けて礼拝を強要するなどしたのです(23,25節)。

 それによってユダヤの人々は、シリア王アンティオコスに逆って信仰を守るか、王に従って律法を破るかの二者択一が迫られました。逆らうことは死を意味し、生きるためには律法を破るほかないという時代でした。

 1世紀のクリスチャンたちは、第四の獣をローマ帝国に当てはめました。現代では、ロシアなどの共産主義国家がそれだという解釈を聞いたこともあります。自分たちを苦しめる敵を、それに当てはめて解釈しているわけです。

 そのように、現実の敵について預言したものという解釈を否定するものではありませんが、敵とは具体的に誰のことかと、周りを見回して詮索する作業に加わる必要はないでしょう。私の中にも、神の御言葉に逆らい、傲慢になる思いがあります。角が生えてきます。周りを踏みつけてしまいたいというような思いに駆られます。人の内側に働きかけて闇に引きずり込もうとする悪魔がいるのです。

 この箇所で注目すべきメッセージは、冒頭の言葉(13,14節)のとおり、創造主なる神を示す「日の老いたる者」が、天の雲に乗って来た「人の子」に、権威、威光、王権を授け、すべての民を従える「人の子」の統治がとこしえに続き、滅びることがないというものでしょう。「人の子」(バル・エナシュ)とは、「人間の子」という言葉で、「一人の人間」を意味しています。

 詩編8編5~7節に「そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました」とあります。

 本来、神は人間を、万物を治める者として創造されました。神は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命ぜられたのです(創世記1章28節)。その意味で、永久の王権を授けられた「人の子」の統治とは、神が創造の秩序をもう一度回復しようとしておられるということを示していることになります。

 およそ国の統治者となろうと思う者は、自分が人間の子であるとは言いません。むしろ、自らを神としようとします。神の子と呼ばせます。しかし、本来は神の独り子でありながら、自ら「人の子」と称しておられた方があります。そうです。主イエス・キリストです。

 このお方の統治は、武力、権力とは無関係です。むしろ、平和の統治、愛による統治、愛する者のために自らの命を捨てるという統治です(ヨハネ福音書10章10,11節)。主イエスの贖いにより、信仰によって私たちは神の子とされました。罪が赦されました。永遠の命を頂きました。それは、主イエスにあって、神がこの世に平和の秩序を回復されるためなのです。

 私たちの主イエスの御顔を日々仰ぎましょう。朝ごとに主の御声に耳を傾けましょう。御霊に満たされ、その導きに従って歩みましょう。 

 主よ、感謝します。今、平和のないところに平和を作ってください。共に主の十字架を仰がせてください。聖霊を通して神の愛をお互いの心に注いでください。自然災害の被災者、テロや内戦などの犠牲になられた方々、それらによって故郷、祖国を離れざるを得なくされている方々に、主の慰めと平安がありますように。人の命が守られますように。 アーメン