「さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。」 ダニエル書5章25節

 ペルシャ王ベルシャツァルが、千人もの貴族を招いて大宴会を開きました(1節)。2節にベルシャツァルの父はネブカドネツァルと紹介されていますが、実際は、ベルシャツァルはネブカドネツァルから数えて4代目の王ナボニドスの息子です。ベルシャツァルの母はネブカドネツァルの娘なので、ベルシャツァルはネブカドネツァルの孫ということになります。ただ、ベルシャツァルが実際に王と呼ばれることはありませんでした。

 宴が進み、酔いも回った頃、ベルシャツァルは余興のつもりで、エルサレムの神殿から持ち込まれた金銀の祭具で酒を飲もうと、会場に持って来させました(2節)。こうして酒を飲みながら、彼らは「金や銀、青銅、鉄、木や石」(4節)で作った自分たちの神々をほめたたえていました。

 異国の神の祭具を用いることで、その国を平らげた自国の神々の威光をたたえると共に、異国の神を侮辱して酒の肴にしていたわけです。ところが、そのときに人の指のようなものが現れて、王宮の白い壁に文字を書きました(5節)。

 恐怖にかられた王は、祈禱師、賢者、星占い師たちを集め、「この字を読み、解釈をしてくれる者には、紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうちの第三の位を与えよう」(7節、エステル記8章15節、創世記41章42節参照)と言います。「第三の位」とは、王と王妃に次ぐポジションということでしょう。

 しかしながら、その文字を読める者、そして解釈できる者はいませんでした(8節、2,4章参照)。王はいよいよ怖じ惑い、貴族たちも皆途方に暮れていると知った后が、「お国には、聖なる神の霊を宿している人が一人おります」(11節)と語り、ダニエルを召し出して、その壁の文字を解釈してもらうよう進言しました(12節)。

 ダニエルは、ベルシャツァルの父王ネブカドネツァルの身の上に起こった出来事(4章参照)、王位を追われ、栄光が奪われて(20節)、人間の社会からも追放されたという出来事を意に介さず(21節)、神の祭具を持ち出し酒を飲む器としただけでなく、異教の神々をほめたたえたために(23節)、神が指でその文字を書かれたのだと説明しました(24節)。

 そして、冒頭の言葉(25節)のとおり、書かれた文字を読みました。「メネ、メネ、テケル、そして、パルシン」という文字ですが、「メネ」はムナ、「テケル」はシェケル、そして、「パルシン(ペレスの複数形)」はムナの半分という貨幣の単位を表していると考えられます。つまり「1ムナ、1シェケル、そして0.5ムナが二つ」ということです。

 ユダヤでは、貨幣や重さの単位を人々の価値を表すのに用います。それをここに当てはめると、1ムナはネブカドネツァル、1シェケルはベルシャツァル、そして0.5ムナ二つはメディアとペルシャということになるでしょうか。1ムナはおよそ60シェケルに相当します。父ネブカドネツァルと息子ベルシャツァルでは、値打ちがかなり違うということです。

 それから、ダニエルは、メネは「数える」、テケルは「量をはかる」、パルシンは「分ける」という意味だと王に告げます。ヘブライ語と同様、アラム語も、書かれている子音に異なる母音をつけることで意味を変えることが出来ます。ここでは、ダニエルは名詞を動詞として解釈したのです。

 即ち、神がベルシャツァルの治世を「数えて」終わりにしようとしておられ(26節)、そして、彼の力量が「はかられて」不足が判明し(27節)、それゆえ、バビロンの国がメディアとペルシャの二つに「分割」される(28節)、という説明がなされました。

 貨幣の単位とあわせて考えれば、1ムナの値打ちがあるものを、1シェケルのベルシャツァルが引き受けることは到底出来ず、メディアとペルシャが0.5ムナずつ分け与えられることになったというわけです。

 ここでの問題は、ベルシャツァルの政治手腕、統治能力などではありません。まことの神はどなたなのか、まことの神に対してどのような態度で臨まなければならないのか、彼がまったく理解していなかったということです。まことの神を畏れ、神の御言葉に聴き従うべきなのです。

 この点で、ネブカドネツァル王は自分の経験、そして、そこから得た悟りを、子や孫に教えなかったのでしょうか。「わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、奢る者を倒される」(4章34節)と語った父の思いは、彼に伝えられなかったのでしょうか。

 そのことについてダニエルは、「あなたはその王子で、これらのことをよくご存知でありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった」(22節)と断じています。聴いていたはず、見ていたはず、知っていたはずということですね。

 この解き明かしを聞いたベルシャツァルは、約束どおりダニエルに栄誉を与え、国を治める者のうち第三の位に就けるという布告を出しますが(29節)、しかし、それによって神の裁きの手を止めることは出来ず、その夜、神は王を打たれました(30節)。この背景にあるのが、紀元前539年に起こったペルシア王キュロスによるバビロン占領です。 

 ベルシャツァルの死は、世の支配者、王たちへの警告です。「人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできる」(4章14節)と記されていました。

 「最も卑しい人」という言葉でシリア王アンティオコス・エピファネスを揶揄しているようですが、神の権威に挑戦し、神の支配を無視して傲慢に振る舞う者は、「最も卑しい人」とされるということでしょう。それが、ネブカドネツァル王の身に起こったことでした。そして、それを知りつつ、そこから学べず、愚かな振る舞いをしたベルシャツァルは打たれ、国が二分されました。

 私たちも、驕りやすい自分を戒める教えとして覚えていたいと思います。

 主よ、私たちに柔和と謙遜を学ばせてください。御子キリストも、多くの苦しみによって従順を学ばれたと言われます。主イエスと共に、主の軛を負わせてください。主こそ、私たちの永遠の救いの源であられ、私たちの魂に真の安らぎをお与えくださるからです。 アーメン