「すべて地に住む者は無に等しい。(神は)天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて、何をするのかと言いうるものはだれもいない。」 ダニエル書4章32節

 神が再びネブカドネツァルに夢を見せられました(2節以下、2章参照)。それは、天にまで届くほどに成長した木を天使が来て切り倒してしまうというもので、そしてその切り株が、野の草を食む獣のようになっています(12,13節)。そこで、ネブカドネツァルはベルテシャツァル(ダニエル)を呼んで、その夢解きを頼みます(6,15節)。

 ダニエルの夢解きによると、ネブカドネツァルの見た夢は、彼に降りかかる運命について神が彼に予め示すためのものでした。そして、天にまで届くほどに成長した木は、彼に与えられた威光を示すもので、それは地の果てにまで及んでいたけれども(19節)、木が切り倒されることで、威光のすべてが取り去られてしまうということが示されました。

 彼は、王の地位を追われるだけでなく、人の心を失って「七つの時」の間、野の獣と共に住んで草を食む生活をしなければならなくなります(22節)。「七つの時」とは、「7」が完全数ですから、神の罰が完全に実行される時間ということになります。そして、罪を悔い改め、いと高き神こそが真の支配者であると悟れば、王国が返されるというのです(23節)。

 ダニエルは王に、「どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう」(24節)と進言しました。その進言を受けて、王は貧しい人に恵みを与える公正な政治を行っていたのだと思います。しかしながら、少しずつたがが緩んでしまったのではないでしょうか。

 1年が過ぎたころ、ネブカドネツァル王が王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として立て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ」(27節)とその業績を数え上げ、自分の権力の大きさを独り喜んでいたとき、天からの声が響き(28,29節)、夢で啓示されたとおりのことが彼の身に起こりました(30節)。

 そして、七つの時を経て、預言どおり彼に理性が戻り(31節)、神を賛め称えたとき、神は繁栄を返されました(33節)。「切り株と根は地中に残し」(12節)というのは、すべて根こそぎ滅ぼされてしまうというのではなく、主の深い憐れみによって新生の希望を与えるものだったのです。

 歴史的事実として、バビロニア帝国最後の王ナポニドスが悪性の病に襲われ、7年間、アラビアのテマというところに引っ込んでいたことがあり、『ナポニドスの叙事詩』に「この王は狂気である」とはっきり記されているそうです。

 また、5章1,2節にネブカドネツァルの子と紹介されているベルシャツァルは、実際にはナポニドスの子です。だから、ナポニドスに起こったことを、ネブカドネツァルのこととして描いていると言ってもよさそうです。

 いずれにせよ、このことを通してネブカドネツァルも、確かにいと高き神を畏れることを学んだことでしょう。冒頭の言葉(32節)のとおり、「すべて地に住む者は無に等しい。天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる」と神を称え、「わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、奢る者を倒される」(34節)と歌っています。

 これはしかし、他人事ではなく、私たち自身が心して聴くべき物語です。たとえば、年の初めに、今年こそ神の言葉を朝毎にきちんと聴き、神の御心に従って正しく歩もうと思いますが、じきにそれを忘れ、自分勝手に歩んでしまいます。1年間、なかなか定めたとおりに歩み続けることが出来ません。

 そして、主なる神こそこの世の主権者であることを忘れ、神の栄光を横取りして自分のものにしようとする傲慢な者は、人の心を失って獣と同じ心になるというのは、心すべきことです。世の権力者でなくても、自分の来し方を振り返って業績を数え上げ、誇らしい思いになるというのは、誰にでもあることだからです。

 さらに、それが昂じて他人の業績を自分のものと言って見たり、人に褒められるために業績を偽るということも、全くないことではありません。どこかに、人から良く思われたいという意識があり、粉飾してしまうのです。

 私たちが人として生きることが出来るのは、神の深い御計画によることです。だからこそ、常に主の御言葉を聴く必要がありまし、繰り返し味わう必要があります。日ごとに御前にひれ伏し、新しく御言葉を頂きましょう。そして、主によって、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する生活をさせていただきましょう。

 主よ、私たちに清い心を授け、新しく確かな霊をお与えください。御前から私たちを退けず、御救いの喜びを常に味わわせ、御霊によって支えてください。日毎に御言葉の恵みに与り、主の御心をわきまえることができますように。御心がこの地になり、御名があがめられますように。 アーメン