「お前が彼らを憎んで行った怒りとねたみに応じて、わたしもお前に行う。わたしがお前を裁くとき、わたしは彼らに知られるようになる。」 エゼキエル書35章11節

 35章には、セイル山に対する託宣が記されています。セイル山とはエドムのことを指しています(創世記36章8節)。セイルの山地にエサウの子孫エドム人が住んでいました。エサウは、イサクの息子ヤコブと双子の兄です(同25章24節以下)。

 「先に出てきた子は赤くて、全身が毛皮の衣のようであったので、エサウと名付けた」’同25節)とあります。「赤くて」(アデモニ)はエサウの別名エドム、「毛皮」(セアル)はエサウとその子孫が住み着いたセイルと結び付いていますが、「エサウ」と名付けた理由は、この文章からは判然としません。

 エサウがエドムと呼ばれた所以について、ヤコブのレンズ豆を、その「赤いもの(アドム)」を食べさせて欲しいと願ったからと、創世記25章30節に説明されています。エドム人は、イスラエルと国境を接する死海の南東部、セイルの山地に住んでいました。

 エドムに対する裁きについて、25章12~14節に既に語られていましたが、ここでは、36章でイスラエルの回復が語られるのに対比する目的で、エドム全地が裁かれ、廃墟となると告げられます。

 エドムが裁かれるのは、彼らがバビロン軍の尻馬に乗ってエルサレムを滅ぼすことに加担したからです(5節、オバデヤ書10,14節参照)。さらに、イスラエルをおのが領土にしようと狙って、「『この二つの国、二つの土地はわたしのものとなる。我々はそれを占領する』と言ったからである」(10節、36章2,5節)と説明されています。

 イスラエルを裁くために、主はバビロンを御自分の器として用いられますが、その意味で、エドムは主に選ばれた器ではなかったということが示されます。主は冒頭の言葉(11節)のとおり、彼らの憎しみと妬みによる悪行に応じ、エドムに対して同じように行うと言われます(オバデヤ書15節参照)。

 エドムがイスラエルに対して敵意、憎しみを持っていることは理解出来ます。もともとはイサクの双子の兄弟エサウとヤコブの問題でした。兄エサウ(=エドム)は弟ヤコブ(=イスラエル)によって長子の権を奪われ(創世記25章27節以下)、次いで神の祝福を奪われました(27章)。エサウは、父の死後、ヤコブを必ず殺すと決意する事態になりました(同27章41節以下)。

 その後、兄弟は和解したようですが(同33章)、しかし、ヤコブはエサウと同じ道を行かず、エサウはセイルへ帰り(同16節)、ヤコブは後でゆっくりセイルのエサウのもとに行くと言いながら(同14節)、スコトへ行き(同17節)、そしてシケムの町に着いて、町の傍に宿営しました(同18節)。

 ダビデ時代、イスラエルは銅山と紅海(アカバ湾)に出る港を手に入れるためにエドムを侵略し、支配しました(サムエル記下8章13,14節)。列王記上9章26節にエツヨン・ゲベルという地名が出て来ますが、ここには銅の精錬所がありました。ここで青銅を作り、神殿や宮殿の建築に用いたのです。また、ソロモンはここに良い港を作りました。

 かつて、出エジプトの民が、エジプトから約束の地カナンに入るために、ここを通ったことがあり、陸路でも重要な宿営の町でした(民数記33章35節)。つまり、ここは陸と海の要となる町だったわけです。

 このようなイスラエルによる侵略と支配に対して、エドムの憎悪が深まったことでしょう。ですから、バビロンがイスラエルに攻めてきたとき、エドムはバビロンの側についてエルサレム攻略の軍に加わったわけです。それによって、積年の恨みを晴らしたかったことでしょう。

 けれども、そのような憎しみや妬みは、良いものを産み出しません。絶えず争いを産み出します。報復の連鎖から容易に抜け出すことが出来ず、それは結局、自らの滅びとなってしまうのです。

 9.11同時多発テロ以降のアメリカとアフガン、イラクの戦争、現在にも続く紛争状態が、それを雄弁に物語っています。イスラエルとパレスティナの争いにシリアの内戦、そしてそれらにISという組織も絡んで、世界各地でテロが勃発するようになり、国際社会は混迷を深めています。

 やられたらやり返せという論理は分かりやすいけれども、そこに真理はありません。報復に報復が繰り返されるだけです。しかもそれは、拡大していくばかりです。勿論、主なる神がそれを喜ばれるはずがありません。戦争によって主の祝福を勝ち取ることは出来ないのです。

 近年の北朝鮮の振舞いは常軌を逸していますが、近隣諸国を敵視して、自国の繁栄を勝ち取ることはできません。実際、経済的にかなり厳しいものがあるでしょう。現在の国内情勢が分かりませんが、国民生活よりも軍事を最優先するというのは、かつての日本が一億玉砕と言っていたのと同じ状況ではないでしょうか。

 中国も、米国との貿易摩擦の問題、香港や台湾の問題、東シナ海の油田開発や尖閣列島を巡る領土・領海の問題、ASESN諸国との領土の問題など、様々な摩擦を抱えています。背景に国内事情があるのかも知れませんが、他国に対して力をもって対峙しようとすれば、不慮の事態を招きかねません。

 我が国政府は、アメリカの要求に応え、東南アジアのそのような情勢を利用して、戦争する国作りを加速しようとしています。積年の重要課題である拉致被害者の救出をどうしようとしているのでしょうか。政府関係者の言動を見ていると、およそ、そのようなことは念頭にないと言わざるを得ない状況です。

 歴史に学ばずして、どうして平和な国際社会を作ることができるでしょうか。現在、日本には歴史的に類を見ない素晴らしい憲法が与えられています。すべての国が同様の憲法を持てば、世界中から戦争をなくすことができます。

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ書2章4節)とイザヤは預言しました。主の御言葉が実現するよう、祈りましょう。

 主よ、どうかキリストにある平和が、全世界に実現しますように。キリスト教会が全世界の平和の道具として、主に用いられますように。私たちの心の中から、憎しみや妬みなどが追い出され、キリストの愛と平和が心を満たしますように。 アーメン