「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』」 エゼキエル書26章2節

 26~28章には、ティルス(口語訳:ツロ)に対する預言が記されています。ティルスは、イスラエル北方の隣国フェニキアの主要都市です。地中海沿岸のこの町は、沖合い数百メートルにある島とあわせて、交易によい港を備えており、陸路で東方メソポタミアなどから運ばれてきた商品などを、海路スペインにまで運ぶといった、陸と海の要衝の地でした。

 ティルスの東にはレバノンの山々が峰を連ね、そこにレバノン杉がうっそうと茂り、森をなしていました。レバノン杉は堅牢で腐食し難いということで、重宝されました。エジプトのピラミッド建造のため、大量に伐採されたといいます。また、紫の染色と青銅細工という工芸技術も優れていました。

 ダビデが王となった時、ティルスの王は使節を遣わして杉材に木工、石工を送り、ダビデの王宮を建てて同盟を結びました(サムエル記下5章11節)。その後、ソロモンは神殿や王宮を建てるため、建築資材と共に技術者の派遣を要請し、ティルスの王はそれに応じています(列王記上5章15節以下、7章13節以下、歴代誌下2章2節以下)。同盟関係が次世代に引き継がれ、より強固にされたわけです。

 ティルスは、東にレバノンの山々、西は地中海、そして本土と沖合いの島の両方によい港があるため、本土が攻められたときは島に逃れればよく、島は四方が海で陥落させることはなかなか困難です。このような防衛上の有利さと、国際貿易によって得られる莫大な富によって、小さな都市ですが、大変大きな影響力を持っていました。

 それが過剰な自信となったのか、ティルスは冒頭の言葉(2節)のとおり、「ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる」(2節)とエルサレムを嘲ります。

 1節に「第十一年、その月の第一日」とあります。「その月」がいつのことかは不明ですが、恐らく紀元前597年の終わりか596年の初め、エルサレムが陥落して、その報告がエゼキエルらのもとに届いた直後のことだろうと思われます。

 かつての同盟国に対するそのような利己的な発言に対して、「ティルスよ、わたしがお前に立ち向かう。わたしは、海が波を巻き起こすように、多くの国々をお前に立ち向かわせる。彼らはティルスの城門を倒し、塔を破壊する。わたしはその土くれまでぬぐい去り、ティルスを裸の岩にする」と、ティルスを裁く主の言葉がエゼキエルに告げられます(3節以下)。

 神の裁きが、他国による攻撃というかたちで表されるのです。実際、エルサレムが陥落した後、続いてティルスがバビロンによって攻撃を受け、難攻不落の要塞島で13年にも及ぶ猛攻にも耐えました。しかし、それがフェニキヤ帝国の最後でした。ティルスは残された島で海運を続け、繁栄もしましたが、最後は、ギリシアのアレクサンダーによって滅ぼされました。

 エルサレムを嘲笑ったティルスが、ここで主なる神が預言者を通して告げられた通り、「ああ、あなたは滅びてしまった。海のかなたから来て住み着き、誉れある町となったのに」(17節)と嘆きの歌をうたわれる対象となったのです。

 競争相手を打ち負かし、大きな富を獲得することは快感かもしれません。前に勝ち組、負け組という言葉が多用され、激しい競争を勝ち抜くことが善と考えられていたところがあります。それによって、持てるものと持たざるものとの格差が拡大しました。しかしながら、貪欲に富を獲得するために競争相手を食い潰すというやり方を続けていって、本当に生き残れるのでしょうか。

 食物連鎖の上位にいる強いものは、下位の弱いものがいなくなれば生存できません。草食動物は、肉食動物がいなくても生きていけます。しかし、肉食獣は、肉を提供する草食動物によって生かされているわけです。勿論、草食動物も、餌となる植物を食い尽くしてしまえば、死滅を免れません。草食動物は、植物によって生かされているわけです。それを忘れて奢り高ぶるものは、自滅の道を辿っているのです。

 現在、自分たちの快適な生活のために自然を破壊し続けている人間は、それによって自分の首を絞めていることに気づき始めてはいます。地球温暖化に拍車をかける化石燃料の使用を減らし、温暖効果ガスの排出を抑える必要があるでしょう。森林伐採なども、きちんとした歯止めがなければ、自滅するしかなくなるかも知れません。

 温暖効果ガスの排出を減らす切り札として、原子力発電へのシフトが行われて来ましたが、東日本震災と津波による事故で、温暖効果ガスの排出よりもさらに深刻な放射能汚染と向き合わされることになりました。事故から8年余りが経過した今も、4万3千人もの方々が避難生活を続けておられます。原発事故のなかった阪神淡路大震災などとは、全く違う状況です。

 日本の国土には、広い範囲を襲う豪雨や台風、地震に津波、火山噴火などの天災から完全に安全な場所などありません。未来に禍根を残さないために、快適さを追い求めていく生活を改め、この日本にすべての人が健康に住み続けられる生活へ、視点を変え、考え方を変えていく必要があるでしょう。

 互いに謙り、互いに尊敬し、信頼し合える関係を、私たちの周囲から町、地域、国、そして世界に拡げていきたいものです。

 主なる神よ、私たちに知恵を与えてください。聖霊の導きに与らせてください。人と人との間に、民と民との間に、国と国との間に神の愛が働きますように。私たちが共に神の愛に生きることが出来ますように。神の平和を共に生きることが出来ますように。 アーメン