「お前はわたしの聖所が汚され、イスラエルの地が荒らされ、ユダの家が捕囚となって行ったことを、あはは、と言って嘲った。」 エゼキエル書25章3節

 25~32章には、周辺諸国に対する預言が記されています。25章は、アンモン人(1節以下)、モアブ(8節以下)、エドム(12節以下)、ペリシテ(15節以下)に対する主の裁きが、預言として語られています。

 冒頭の言葉(3節)は、エルサレムの町がバビロンによって破壊され、神殿が荒らされ、ユダの民が捕囚となったときに、アンモンがそれを見て嘲り笑ったと、その罪状が述べられています。その他の国々の罪状も同じようなものです(6,12,15節)。

 主なる神は、真の神に背いた罪でイスラエルを裁き、民は捕囚となりました。しかし、それを嘲り喜ぶアンモンに対して(3,6節)、彼らもイスラエルと同じように憂き目を見ることが記されています(4,7節)。

 アンモンは、ヨルダン川東部ギレアドの地でイスラエルと国境を接しており、「ラバ」(5節)がその首都です。アンモン人は、ロトの娘が産んだ「ベン・アミ」の子孫です(創世記19章38節)。つまり、イスラエルとアンモンは、本来、親族関係にあるということです。

 だからということでしょうか、イスラエルとアンモンは、同盟を結んだこともあります。息子アブサロムの反逆で都を逃げ出したダビデの下に、アンモン人ナハシュの子が援助に現れました(サムエル下17章27節)。ダビデの抱えた30人の勇士の一人にアンモン人がいます(サムエル下23章37節)。

 ダビデの子ソロモンは、アンモンの王女を妻に迎えています(列王上11章1節、14章21節)。この頃は、友好的な関係にあったものと考えられます。けれども、その後イスラエルとアンモンは、概ね利害関係によって離合集散を繰り返しています。

 イスラエルと国境を接していたアンモンにとって、イスラエルの滅亡ということは、笑っていられる対岸の火事ではなかったはずです。あるいは、バビロンの側について、イスラエルを嘲笑していたのでしょうか。そして、イスラエルの領土、あるいはその一部を、我が物に出来ると考えていたのでしょうか。

 しかし、イスラエルの裁きに対する同情心のないアンモンの人々の態度を、主は裁かれます。主なる神は、単にイスラエルの神であるばかりでなく、あらゆる国民の神でもあられます。ですから、主こそが真の神であるということを、アンモン人も、おのが国の滅亡を通して知るようになると言われるのです(7節)。

 このことで、かつて主がアブラハムに、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12章2,3節)と言われた言葉を思い出します。

 地上のすべての氏族を祝福すべきイスラエル、あらゆる種族の祝福の源となるべき、アブラハムの子孫たるイスラエルが、主の祝福を自ら呪いに変えてしまいました。しかしながら、イスラエルを呪う者は主に呪われるのです。

 私たちも、他者の成功がなかなか素直に喜べません。隣に蔵が建つとこちらの腹が立つと言います。むしろ、隣人の不幸を見て喜ぶ傾向があります。人の悪い噂話をすることが好きです。それこそ、今日のアンモンではないでしょうか。

 イスラエルを嘲ざ笑うアンモンが主に裁かれた、いい気味だと、その不幸を嘲笑っているなら、主の御手が自分の上にも置かれているということを忘れているのです。それ以上に、主の恵みに与っている者として、隣人の祝福を祈る責任、隣人に福音を語り告げる使命があることを忘れているのです。であれば、隣人が災いにあったことの責任を、主に問われることになりはしないでしょうか。

 使徒ペトロが「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ書3章9節)と語っています。アブラハムに告げられた祝福の言葉を言い換えたものといってよいでしょう。アブラハムの子は、神の恵みを受け、その恵みを分かち合う者となることが期待されています(ルカ福音書19章9節参照)。

 私たちも、主の救いに与った者として、祝福を受け継ぐために召されたという使命を自覚し、「舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求め」(第一ペトロ3章10,11節)ましょう。

 主なる神よ、どうか私たちを祝福してください。祝福の地境を広げてください。私たちの町静岡が、静岡県、東海地方、中部圏、そして全日本が、主の祝福で満たされますように。キリストの平和がありますように。皆が健康でありますように。事業が守られますように。すべての必要が満たされますように。そうして、御名の栄光が拝せられますように。 アーメン