「だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる。」 エゼキエル書16章60節

 主なる神がエゼキエルに、長いたとえ話でエルサレムの背きについて物語られました。その物語の中で、主がエルサレムを御自分の都に選ばれたのは、それにふさわしかったからということではなく、主がエルサレムに憐れみをかけられたからであるという主張が、最初に語られます。

 もともと、エルサレムはエブス人の町でしたが(サムエル記下5章6節)、そこをダビデが陥れてダビデの町としました(同7節)。そして、周囲に城壁を築き(同9節)、王宮を建てました(同11節)。その後、神の箱を運び上げて(同6章)、エルサレムをイスラエルの都としたのです。

 そのことを先ず、「お前の出身はカナン人の地、父はアモリ人、母はヘト人である。誕生について言えば、お前の生まれた日にお前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり布にくるんでくれる者もなかった。誰もお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、憐れみをかける者はいなかった。お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた」(3~5節)と言われます。

 エブス人はヒッタイト(ヘト人)の一部でした。そして、アモリ人はカナンの地の先住民を意味する包括的な呼び名だと、注解書に記されていました。エルサレムが捨て子だったと言われるのはなぜか、よく分かりません。あるいは、この地に住むのは、モレクに子どもを献げることなど、異教の偶像を礼拝する民であって、真の神から遠く離れている存在だったということなのかも知れません。

 しかるに主は、「わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」(6節)と言われます。つまり、主が捨てられたその子を救うことにされたというのです。

 やがてその子が美しく成長しました。8節に「わたしはお前に誓いを立て、契約を結び、お前は、わたしのものになった」と、結婚を思わせる表現があります。そして、美しく着飾らせ(9節以下)、その美しさのゆえに名声を得ました(14節)。

 ダビデの世に周辺諸国が平定され(サムエル記下8,10章)、王位を継いだソロモンにより、その国力は最大となります。ソロモンの知恵の豊かさは、あらゆる国々に知れ渡りました(列王記下5章9節以下、11節)。20年かけて建設した神殿と王宮で行った催しでシェバの女王の度肝を抜き(同9章20節、10章1節以下)、交易によって莫大な富を手に入れました(同10章14節以下)。

 ところが、「その美しさを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った」(15節)という言葉から、「お前の姦淫は他の女たちとは逆である。だれも、お前を誘って姦淫したのではない。お前が報酬を支払われるのではなく、お前の方から報酬を支払っているところが逆である」(34節)という言葉まで、いかにして姦淫を行ったのかということを、事細かに物語ります。

 主の憐れみによって選ばれ、その恵みによって美しく整えられたことを忘れ、自分で美しくなったかのように、否、もともと美しいものであったかのように思い違いし、驕り高ぶって姦淫を行い、主の怒りを買ってしまいました。この罪により、エルサレムは美しい装いを剥ぎ取られて裸にされます(37,39節)。

 夫に捨てられ、裸にされ、汚された女というのは、生まれたときの惨めな状態に戻されたということです。エルサレムの美しい神殿が破壊され、町中が燃やされてしまって、その民はバビロンに捕囚となってしまいました(41節、列王記下25章9,10節)。けれども、エルサレムを裁くのは、主なる神にとって痛みであり辛く悲しいことです。

 59節の「お前が行ったように、わたしもお前に対して行う。お前は誓いを軽んじ、契約を破った」という言葉に続いて、冒頭の言葉(60節)のとおり、「だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い起こし、お前に対して永遠の契約を立てる」と、主は驚くべきことを語られました。

 かつて、惨めに捨てられていたイスラエルを憐れまれたように、今また、誓いを軽んじ、契約を破って主なる神の怒りを買い、亡国と捕囚の憂き目を見て惨めになっているイスラエルをもう一度主は憐れまれ、エルサレムに対して新しく永遠の契約を立ててくださるというのです。

 そして、主なる神は、罪の中に死んでいたような私たちをも憐れまれて「生きよ」と仰せくださり、主イエスの十字架の血によってその罪を赦し清め、キリストの贖いによって永遠の契約を結んでくださったのです。

 絶えず十字架の主を仰いで悔い改め、主こそ神であることを知る者とならせていただきましょう(62,63節)。

 主よ、あなたの深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝致します。今も、その愛によって守られ、生かされています。どんな時にも御言葉に耳を傾け、御声を聞き分ける心を授けてください。御心を行うことが出来ますように。御名が崇められますように。 アーメン