「主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹、その人が彼らの罠に捕らえられた。異国民の中にあるときも、その人の陰で生き抜こうと頼みにした、その人が。」 哀歌4章20節

 4章もアルファベットによる詩で、各節の冒頭の文字がアルファベット順に並んでいて、各節は2行ずつの詩形をしています。

 冒頭の言葉(20節)に「主の油注がれた者、わたしたちの命の息吹」、「その人の陰で生き抜こうと頼みにした」という文言が記されています。これらはいずれも、王を表わす表現と言われます。

 原文では、「わたしたちの命の息吹」(ルーアハ・アペイヌー:「私たちの鼻の息」)が、最初に出て来ます。これはエジプトの王の伝統的な称号だそうですが、ここではそれをユダの王に適用しているものと思われます。そして「命の息吹という表現」は、王としての役割がその国の民にとって、必要不可欠であることを示しています。

 また、「主の油注がれた者」(メシーアハ・ヤハウェ)は、まさにイスラエルの王を指す表現です。また、「その人の陰で」(ベツィッロー)とは、主なる神の庇護を表す言葉ですが(詩編63編7節、91編1節など参照)、ここでは主の代務者としての王の役割を指しているものと考えられます。

 ゼデキヤはヨシヤ王の息子で、甥のヨヤキン王に代わり、バビロンの意によって立てられた傀儡の王でしたが(列王記下24章17節)、後にバビロンに反旗を翻しました(同20節)。これは、親エジプト派の高官たちからの、エジプトを頼りにしてバビロンからの独立を勝ち取ろうという圧力に抗しきれなかったということでしょう。勿論その背後に、エジプトからの働きかけもあったはずです。

 ただ、列王記の記者はそのことについて、「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついに御前から捨て去られることになった」(同20節)と述べており、ユダがバビロンに反抗すること、それによってバビロンに滅ぼされてしまうことが、主なる神の差し金だったように記述しています。

 実際、エジプトは何の助けにもならず、エルサレムの都は陥落し、傀儡の王ゼデキヤは厳しい裁きを受けなければなりませんでした(同25章6,7節)。そのことが、17節で「今なお、わたしたちの目は、援軍を求めていたずらに疲れ、救ってはくれない他国をなお見張って待つ」と言い表されています。

 それは、ゼデキヤが主の目に悪とされることを行い、主の御前に謙ろうとしなかった結果でした。そして、宗教指導者たちも、罪に罪を重ねるような状態だったので(歴代誌下36章11節以下)、主の怒りを買い、滅びを刈り取るほかはないようにされたのです。

 ダビデ王朝が滅び、エルサレムの都は破壊され、神殿は焼かれて、祭具もすべて奪われてしまうに及んで、ヨヤキンと共に捕囚となっていた民にとっては、最後の望みが完全に打ち砕かれた形になってしまいました。

 それからおよそ600年後、主なる神は御自分の独り子をこの世に送られ、ダビデ家の子孫として生まれさせられました。主イエス・キリストです。キリストとは「油注がれた者」(マーシーアッハ)をギリシア語訳したものです。主イエスこそ、まことのメシアです。

 主イエスについて、「わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」(ルカ24章21節)と、弟子たちが語っています。「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者だった」(同19節)からです。

 けれども、ユダヤの祭司長たちや議員たちは、主イエスを死刑にするために引き渡し、十字架につけて殺してしまいました。ローマという異国の民の支配下にいて、主イエスの陰で生き抜こうと頼みにしていた人々にとって、またもやその期待が裏切られる結果となってしまいました。

 悪魔も、これによって全人類を救おうとする神の計画を完全に破棄することが出来たと考えたかもしれません。然るに神は、御自分の独り子を殺してしまうような私たち人間の罪をすべて御子イエスに負わせ、十字架につけて滅ぼし、その贖いによって私たちを赦し、永遠の命を与えて神の子として生きることが出来るように、救いの道を開いてくださいました。

 イエス・キリストは、私たち人間の罪の身代わりに十字架で死なれたのです。そればかりでなく、三日目に甦られました。罪と死に打ち勝たれたのです。22節に「おとめシオンよ、悪事の赦される時が来る。再び捕囚となることはない」と記されていますが、主は、再び罪の奴隷としてその呪いを受けることがないように、私たちのすべての罪を赦し、その軛を打ち砕いてくださったのです。

 私たちは今、どんな時にも主メシアなるイエスの翼の陰で守られて、恵みと平安の内に生きることが許されています。主は私たちに、別の弁護者として真理の霊を送ってくださいました。聖霊は私たちにキリストの証人となる力を与えてくださいます。

 絶えずまことの主を仰ぎ、御霊の力と恵みに与って歩ませて頂きましょう。

 主よ、あなたの深い御愛に心から感謝致します。その憐れみは、永久に尽きることがありません。慈しみの御手の下に謙り、導きに従って歩みます。私たちの耳を開いて、御言葉を聴かせてください。御霊に満たし、主の証人として用いてください。この地に御心がなされますように。御国が来ますように。 アーメン