「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる。」 エレミヤ書39章18節

 ゼデキヤ王の治世の第9年10月から第11年4月9日まで(2節)、エルサレムの都は、およそ一年半にわたって力に優るバビロン軍の攻撃に耐えました。それは、神の都エルサレムが、東にケデロン、南にヒンノム、西にチュロペオンという、三方を谷に囲まれている自然の要害(シオン)だったからです。

 しかし、幾重にも大軍で取り囲み、土塁が築かれて兵糧攻めにされていたので(1節)、都の中で飢えが厳しくなり、食糧が尽きて(列王記下25章2,3節)、ついに都の一角が破られました(2節)。兵士が飢えで倒れ、守りが手薄になったということでしょう。あるいは、町を見限り、敵に投降する者も少なからずいたということでしょう。

 そうした様子を見たユダの王ゼデキヤと戦士たち、それは、王を警護する親衛隊の兵士たちのことでしょうが、彼らは夜の闇に紛れ、都を逃げ出します(4節)。アラバ、即ち死海方面に向かい、エリコまで行くことが出来たということは(5節)、バビロン軍のエルサレム包囲網を突破したということになりますが、あるいは、逃走用に秘密の通路が設けられていたのかもしれません。

 エリコの荒れ地で捕えられたゼデキヤ王とその一行は、シリアのハマト地方リブラにいたバビロンの王ネブカドレツァルのもとに連行され、そこで厳しい裁きを受けます(5節)。なんと、子らがゼデキヤの目前で処刑、同行の貴族たちも殺されました(6節)。その上で、ゼデキヤは両目を潰されて、バビロンに引いて行かれることになりました(7節)。

 もしも、ゼデキヤがエレミヤの預言を聞いて、主の前に謙り、衣を裂いて悔い改め、その御言葉に従ってバビロンに投降していれば、ゼデキヤは家族と共に生き残ることが出来たのです(38章17節)。しかし、ゼデキヤはそうしませんでした。

 それどころか、密かにエルサレムを逃げ出して、自分たちだけ助かろうとしたのです。それは、都に住む民を置き去りにすることでした。とはいうものの、誰がゼデキヤを責められるでしょうか。エレミヤの預言に耳を貸そうとせず、主に従わなかったという点では、エルサレムとユダの民も同罪だからです。だから、ゼデキヤとその家族だけが厳しい裁きを受けたわけではありません。

 カルデア人はエルサレムに火を放って焼き払い、城壁を取り壊しました(8節)。神殿の祭具、金属製品などもはすべて、奪い去られました(列王記下25章13節以下)。住民は、飢えや疫病、戦いで死んだ者以外は、バビロンの捕囚えとされました(9節)。最も貧しい者たちだけがエルサレムに残され、畑やぶどう園の管理が任せられます(10節)。

 エルサレムが占領される日まで王の監視の庭に留め置かれていたエレミヤは(38章28節)、親衛隊の長ネブザルアダンによって釈放され(12節以下)、シャファンの孫で、アヒカムの子ゲダルヤに預けられ、家に送り届けられました(14節)。

 アヒカムの子ゲダルヤは、バビロンの王ネブカドレツァルによってユダの総督に立てられます(40章7節、列王記下25章22節)。彼の祖父シャファンはヨシヤ王の書記官で(列王記下22章3節)、父アヒカムもヨシヤ王に仕えて、ヨシヤに命じられて女預言者フルダのもとに遣わされ、主の託宣を求めた高官の一人でした(同12,14節)。

 そして、アヒカムはエレミヤの後援者でした(26章24節)。だから、その子ゲダルヤも親エレミヤ派だったわけです。ということは、ゲダルヤの一族はエレミヤが語っていた預言に従い、バビロンに反抗することにも反対していたものと思われます。だから、ユダの総督に立てられるわけです。

 そしてもう一人、主の約束の言葉を聞いた人がいます。それは、クシュ人の宦官エベド・メレクです。主が彼に「その日に、わたしはあなたを救い出す。あなたが恐れている人々の手に渡されることはない」(17節)と告げられ、冒頭の言葉(18節)の最後に「あなたがわたしを信頼したからである」と、エベド・メレクを救い出す約束の理由を語っておられます(17章7節参照)。

 ただ、この言葉を聞いたエベド・メレクは、大変驚いたことでしょう。あるいは、何のことかと訝ったことでしょう。そもそも、何をもって主を信頼したと言われるのでしょうか。

 エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたこと聞いてゼデキヤ王に助命を願い出(38章7節以下、9節)、王の許しを得て(同10節)、水溜めからエレミヤを引き上げました(同13節)。それ以外のことはよく分かりません。

 新共同訳聖書はマタイ福音書25章31節以下の段落に「すべての民族を裁く」という小見出しを付けています。世の終りにすべての民が裁かれ、神に祝福される者と呪われる者が、羊と山羊を分けるようにより分けられるというのです。

 その時に、主が御国を受け継ぐべき祝福された人々に「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(同40節)と言われます。つまり、エベド・メレクが預言者エレミヤに親切にしたことが、主なる神に対してなしたことと見なされ、それで、主を信頼しているという評価を受けたというわけです。

 かつて、宦官となるために去勢した人物は、主の会衆に加わることはできないとされていました(申命記23章2節参照)。しかし、イザヤ書56章3節に「主のもとに集ってきた異邦人は言うな、主はご自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」と言われます。主の会衆に加わることが出来るというのです。

 そして、「なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を堅く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」(同4,5節)と約束しておられます。

 異邦の民や宦官が主の民とされるのは、神の恵み以外の何ものでもありません。イザヤは捕囚から帰って来る民に対して、その言葉を語りました。エレミヤがエベド・メレクに祝福の言葉を告げたのは、エルサレム陥落前のことです。エベド・メレクのエレミヤに対する振る舞いが、その恵みが開かれる端緒となったということでしょうか。

 主は、他者のために水一杯汲んだことを忘れないと言われます(マルコ9章41節)。慈しみ深い主に信頼し、いつも全力で主の業に励みましょう(第一コリント書15章58節)。

 主よ、敵対し、背き続けている私たちのために、贖いの業を成し遂げ、命の道を開いてくださったことを感謝致します。罪の呪いを受けて死ぬべき私たちが、深い憐れみのゆえに命に与ったのです。絶えず主の恵みに感謝し、喜びをもって主のみ言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩ませてください。御心を行う道具として用いてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン