「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない。」 エレミヤ書17章7,8節

 17章の最初の段落(1~4節)では、バアルの祭壇やアシェラ像という異教の神々を祀るユダの人々の罪が指摘されています。それは、鉄のペン、ダイヤモンドのたがねで民の心の板、その意識に深く刻み込まれていて、容易に消し去ることが出来ません(1節)。それゆえ、富と宝を敵に奪われ(3節)、嗣業の地を失い、敵の奴隷とされる(4節)と、その罰が語られます。

 次の段落(5~8節)は、新共同訳聖書では「主に信頼する人」という小見出しのつけられています。ここでは、「呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主から離れ去っている人は」(5節)と語られ、一方、「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる」(7節)と言われます。

 イザヤも、「人間に頼るのをやめよ」(イザヤ書2章22節)、「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」(同31章3節)と語っていました。それは、主に信頼せず、軍事力に頼ることで、危機に際して主の保護を失うことでした。

 エレミヤは、あるいは、ヨシヤ王の宗教改革のことを言っているのかも知れません。確かに、それは主を喜ばせるものだったでしょう。そのことに加え、アッシリアの弱体化もあって、ヨシヤは国力を増大させることが出来ました。だからといって、ヨシヤを信仰の対象にすることなど出来はしません。

 ヨシヤ王がエジプトのファラオ・ネコとのメギドの戦いにおいて戦死したのは、「神の口から出たネコの言葉を聞かなかった」(歴代誌下35章22節)からです。そして、その背後にヨシヤの高ぶりが窺えます。

 そのことが、「荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地、炎暑の荒れ野を住まいとする」(6節)と語られています。それが、生ける水の源である神から離れ去り(12節、2章13節)、その保護を受けられなくなってしまった結果なのです。

 それに対して、主に信頼する人は、冒頭の言葉(7,8節)のとおり、主がその人のよりどころとなり、それゆえ、「彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」という祝福に与ることが出来るのです。

 このことについて、詩編1編にも同様の対比があります。そこでは、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」(同2節)が幸いとされています。

 そして、「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない」(同3節)と詠われていて、与えられる祝福も酷似していることから、主を信頼するとは、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことと解釈してもよさそうです。

 このように、主を信頼する者とそうでない者との相違は歴然というところですが、事態はそんなに単純でないことは、エレミヤも知っています。12章2,3節で「なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので、彼らは根を張り、育って実を結んでいます」と語っていました。

 ここに来て、エレミヤがこのように語るのは、主が15章19節で「もし、あなたが軽率に言葉をはかず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする」と語られたので、彼の信仰が目覚めたということを示しているのではないでしょうか。あるいは、主を信頼するという言葉を語ることで、もう一度、エレミヤ自身の信仰が奮い立たせられているといっても良いのかも知れません。

 使徒パウロが、「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第二コリント書4章17,18節)と記しています。

 そのころパウロが見、また味わっていた艱難は、決して「一時の軽い」ものではなかったと思いますが(同11章23節以下)、パウロはしかし、それによって心萎えてしまうことはありませんでした。彼の目には、永遠の重い栄光が見えていたからです。

 それこそ、エレミヤが「水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」と語っている祝福の姿ではないでしょうか。

 主を信頼して、その教えを絶えず口ずさみましょう。主に堅くつながり、豊かに実を結ぶ枝となるよう、手入れしていただきましょう。 

 主よ、私たちに信仰の恵みをお与えくださり、感謝致します。絶えず感謝と喜びをもって、御言葉を聴き、信仰の言葉を昼も夜も口ずさみます。私たちの耳を開いてください。御心を弁えることが出来ますように。キリストの言葉を豊かに宿らせてください。御名の栄光をあらわし、主にあって実を結ぶことが出来ますように。 アーメン