「あなたの天幕に場所を広く取り、あなたの住まいの幕を広げ、惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。」 イザヤ書54章2節

 1節には、「喜び歌え」(ラーニー)、「歓声をあげ」(ピツヒー・リナー:「突然歌い出す」の意)、「喜び歌え」(ツァハリー:「叫ぶ」の意)という命令形(2人称単数)の言葉が並んでいます。こう命じられるのは、「不妊の女、子を産まなかった女」、「産みの苦しみをしたことのない女」です。

 当時のイスラエルでは、子を産まない女性は神の祝福から漏れていると見做されていました。身籠った女奴隷ハガルが不妊の女主人サラを軽んじたことや(創世記16章4節)、ヤコブの妻ラケルが男の子を産んで、「神が恥をすすいでくださった」(同30章23節)と言ったことなどが、それを裏付けています(サムエル記上1章も参照)。

 1節で「不妊の女、産みの苦しみをしたことのない女」と言われるのは、エルサレムのことです。バビロンに滅ぼされて神殿は焼かれ、城壁は崩され、多くの住民は捕囚となり、残りの民も四散して、町は荒れ果てたままにされていました。まさに、神の都が周囲から辱めを受けていたのです。

 それがここで「喜び歌え」と命じられるのは、神がその恥を雪いでくださり、繁栄が回復されるということです。「夫に捨てられた女の子供らは、夫ある女の子供らよりも数多くなる」とは、そのことを言うのです。

 「夫に捨てられた女」(ショーメイマー)は、「夫ある女」(ベウラー)との対比による意訳で、もともと「荒れ果てた、荒廃した」という言葉です。バビロンに滅ぼされ、荒れ廃れる前のエルサレムは、夫ある女、神の保護の下にあった都でした。

 神の都エルサレムがその御前から捨て去られることになったのは、彼らが主に背き、その目に悪とされることを行って、主の怒りを買ったからです(列王記下24章20節、歴代誌下36章15,16節)。

 不妊の女、夫に捨てられた女が子を持つというのは、通常あり得ない話です。しかも、夫ある女より多くの子を持つというのです。つまり、エルサレムは、神の深い憐れみにより、かつての繁栄を取り戻すだけでなく、それ以上に豊かに繁栄するようになると言われるのです。

 主なる神は、続けて冒頭の言葉(2節)の通り、「あなたの天幕に場所を広く取り、あなたの住まいの幕を広げ、惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て」と命じられます。子どもが多くなり、その場所が必要だからです。

 51章2節に「あなたたちを産んだ母サラに目を注げ」と言われていましたが、サラは不妊の女と言われていました(創世記11章30節)。しかも、90歳という高齢となっていましたが、息子イサクを産みました(同21章1節以下)。アブラハムとサラは、生まれたイサクのために、テントを広げる必要があったでしょう。

 イサクとは、「笑い」という意味の名前です(創世記17章19節)。彼らははじめ、神の言葉が信じられず、ひそかに笑いました(同17章17節、18章12節)。それは、嘲りを込めた、しかし寂しく悲しい笑いでした。ところが、イサクが生まれたことで、彼らは心から喜び笑うことが出来たのです(同21章6節)。

 イザヤがこの預言を語ったとき、バビロンにいる捕囚の民は、喜び歌う気になれたでしょうか。エルサレムに戻り、広く場所をとる備えを始めたでしょうか。実際、気落ちしている者を励まし、立たせるのは、簡単なことではありません。イスラエルの人々がこの言葉で奮い立つことが出来たとすれば、それは、まさにこれが神の言葉だからであり、そこに聖霊の力が働いたからです。

 神は今、私たちにも、この言葉で語りかけられます。「天幕に場所を広く取り」とは、神様の御声に聴き従う心の大きさのことであり、それは即ち、私たちが神様をどれほど大きな存在と考えているかということでもあります。

 口では、天地万物を造り、その一切を御手の内に支配しておられる主と呼びながら、私たちの生活の中には、主のためにどれほどの場所も用意されていない状態、言い換えれば、現実の生活の中でどれほども主なる神に期待することがないという状態になってしまってはいないでしょうか。

 主は私たちに、小さくなれ、現実的になれと言われているのではなく、大きな者、繁栄する者となるように、主に期待し、主のための場所を拡大せよ言われるのです。それはまず、主を喜び祝うことから始まります。主を賛美するとき、私たちの中で主が拡大(magnify)されるのです。

 そうすると、恵みに満たされ、平安に満たされ、喜びが溢れ出てくるでしょう。そして、その喜びを分かち合いたくなるでしょう。そうして、私たちの生活の中に、主の恵みにある喜びを分かち合う場が拡げられていきます。そこに、さらに新しい人を迎えたくなるでしょう。かくて、霊的に、質的に、そして量的にも、豊かに拡大、成長させていただくことになるでしょう。 

 主を信じましょう。主に大いなることを期待して、感謝と賛美をささげましょう。

 主よ、私たちのあなたを信頼する心の杭を強固にしてください。主にあってビジョンの綱を長くすることが出来ますように。祝福され、恵みを受ける場所を広くすることが出来ますように。信じて祈る者の祈りに主が豊かに応えてくださると信じます。御名が崇められますように。御心がこの地になされますように。 アーメン