「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい。もしも、あなたを思わぬときがあるなら、もしも、エルサレムを、わたしの最大の喜びとしないなら。」 詩編137編5,6節

 137編は、エルサレムの神殿において主を賛美していた音楽奉仕者によって作られたものではないかと思われます。紀元前597年にネブカドネツァルに攻め込まれてヨヤキン王は白旗を掲げ(列王記下24章10節以下12節)、エルサレムのすべての人々と共に捕囚として連れ去られました(同14節以下、第一次バビロン捕囚)。

 傀儡で立てられたゼデキヤ王が愚かにもバビロンに反旗を翻し(同20節)、全軍を率いてやって来たネブカドネツァルの軍に包囲され(同25章1節)、ついにエルサレムが陥落しました。神殿が破壊されて祭具などすべて奪われ(同13節以下)、都は焼き払われ(同9節)、城壁も破壊されました(同10節)。

 そして、都に残っていた人々も捕囚として連れ去られました(同11節)。エルサレムが陥落し、民が連れ去られた結果(第二次バビロン捕囚、紀元前587年)、ダビデ王朝は途絶え、イスラエルの歴史は閉じられることになったのです。このとき、親衛隊の長ネブザルアダンが祭司長らを捕らえているので(同18節)、詩人も一緒に連れ去られたのではないでしょうか。

 詩人たちが一日の働きを終え、「バビロンの流れ」のほとりで、故郷を偲んでしばし涙していると(1節)、バビロンの人々が、「歌って聞かせよ、シオンの歌を」(3節)と求めます。「わたしたちを捕囚にした民」(3節)というのはバビロンの兵士たちで、彼らの労役を監督していた人々のことではないかと想像します。

 シオンの歌とは、詩編46編2,5,6節の「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。・・・大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に。神はその中にいまし、都は揺らぐことがない」というような詩歌のことでしょう。

 彼らがシオンの歌をリクエストした理由は、詩人たちを嘲り、「お前たちの神はどこにいるのか」と、その信仰を侮辱して楽しむためだったと思われます。勿論、そのような求めには応じられません。2節で「竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた」というのは、竪琴を弾かないようにしたということです。

 シオンの歌は、神の都エルサレムにいます神をたたえるものですから、竪琴の調べに合わせて歌えと言われても、彼らの余興のためなどにそれを歌うことは出来ません。4節で「どうして歌うことができようか、主のための歌を、異教の地で」というとおりです。

 「異教の地」を指し示すように、1節で「バビロンの流れのほとり、そこにわたしたち(新共同訳は訳出していない)は座り」、3節にも「わたしたちを捕囚にした民が、そこでわたしたちに(ここも同じく)歌をうたえと言うから」と、「そこに、そこで」(シャーム)という言葉が繰り返されます。 

 亡国のイスラエルの民は「そこ、異教の地」で、亡国の悲しみの上に嘲りの的とされる屈辱を味わわされ、どれほど辛く、悔しい思いをしたことだろうかと思います。にも拘らず、彼らが信仰を失うことはありませんでした。むしろ、苦しめられるほどに、神の都エルサレムを思い、主を慕い求めました。それが冒頭の言葉(5,6節)です。

 「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら」とは、シオンを選んで御自分の住まいとされた主なる神を決して忘れることはないということで、その思いは激しく、もしもエルサレムを忘れるようなら、自分の右手が萎え、舌が上顎に張り付いてもよいという、呪いの誓いを立てるほどです。

 詩人にとって、右手が萎えるというのは、竪琴を奏でることが出来なくなるということであり、舌が上顎に張り付くというのは、主へのほめ歌を歌えなくなるということです。あるいは、そのような事態に陥っても、神の都エルサレムを忘れ、主なる神への信仰を疎かにしたりはしないと、あらためて宣言しているのでしょう。

 現実に押し流され、困難に押しつぶされて神を信じることが出来なくなり、喜びや平安、希望を失う事態に陥れば、竪琴を奏で、主へのほめ歌を歌うのは、空しいことでしょう。そうなっていても可笑しくない状況の中で、なお主を慕い、祈りをささげることが出来るところに、詩人の信仰を見ることが出来ますし、そのような信仰を授けられた主の慈しみを感じます。

 「主よ、覚えていてください。エドムの子らを」(7節)以下の言葉は、受けた屈辱、過酷な仕打ちを、彼らに報い返してくださるようにと求める呪いの祈りです。

 エドムは、ヤコブ=イスラエルの双子の兄エサウの子孫です(創世記25章19節以下、30節など)。創世記27章41節には、エサウが、長子の権利と父の祝福を奪った弟ヤコブを憎み、「父の喪の日も遠くない。そのときが来たら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と考えている言葉が記されています。

 この件は、創世記33章において、すでに水に流されているかのように見えます。しかしながら、ヤコブはエサウと歩みを共にすることはありませんでした(同33章12節以下)。そのような兄弟のすれ違いが、エドムがバビロンと連合してイスラエルを攻め滅ぼすという結果を生み出したともいえそうです(エゼキエル書25章12節以下、アモス書1章11節、オバデヤ書10節など参照)。

 しかしながら、復讐に復讐では、今日のパレスティナやアフガニスタン、イラク、そしてシリア情勢、各地で引き起こされるテロ事件が示すとおり、平和の関係を築くことは不可能です。むしろ、互いに憎悪が増し、争いが拡大してしまいます。

 受けた苦しみを忘れたり、相手を赦したりというのは、誰にも出来ないことかもしれませんが、私たちの罪を引き受け、赦しと救いの恵みをお与えくださった主イエスが、互いに罪を赦し(マタイ6章12,14,15節、18章22節など)、愛し合うべき(ヨハネ13章14,15節など)ことを教えておられます。

 御教えに従うことが出来るように、そうして愛と平和の家庭、社会を築くことが出来るように、祈りましょう。

 主よ、他人から受ける悪や侮辱に対して、祝福を祈って返すというのは、私たちの自然の感情ではありません。しかし、愛と信頼の関係を破壊しようとしている悪しき霊の仕業にしてやられることなく、また、自らの感情に流されることなく、御言葉に堅く立って行動出来ますように、主の慈しみと平和で私たちの心と思いをお守りください。キリストの平和が全地にありますように。 アーメン