「低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」 詩編136編23節

 136編は、詩の各節に「感謝せよ」(ホードゥー)、「慈しみはとこしえに」(キー・レオーラーム・ハスドー)とあり、主に感謝し、主をほめたたえることを教えています。ただし、4~25節は、ヘブライ語原典には「感謝せよ(ホードゥー)」という言葉はありません(新改訳、岩波訳は原典に忠実)。

 この詩は、前半を祭司が、そして「慈しみはとこしえに」を会衆が斉唱したのでしょう。誉め讃えられるべきお方は、「恵み深い」(トーブ:「善い」の意)「主」(ヤハウェ:1節)であり、「神の中の神」(エロヘー・エロヒーム:2節)、また「主の中の主」(アドネー・アドニーム:3節)であられます。

 4節に「ただひとり、驚くべき大きな御業を行う方に感謝せよ」と記されています。これが、この詩のテーマといってもよいでしょう。

 神のなさった驚くべき大きな御業について、まず5~9節では、天地を創造されたことを上げて、感謝と賛美をささげます。天地、海、太陽、月、星などは、周辺諸国において、神として祀られていました。しかし、それらは、神が英知をもって創造されたものであることを、ここにはっきりと宣言しています。

 また、天地を造られた神は、私たち人間をも、創造されました。だからこそ、神に感謝するのです。そして、「慈しみはとこしえに」と賛美していますので、詩人は、神が天地を造られたのは、神の慈しみのゆえであると詠っているわけです。

 「慈しみ」(ヘセド)には、3人称単数の接尾辞(「彼の」)がつけられています。彼とは、「主(ヤハウェ)」、「神の中の神」、「主の中の主」、「ただ一人、驚くべき大きな御業を行う方」のことです。

 ここに、人が造られたことが語られてはいませんが、神のかたちに創造された人間は、被造物にあらわされた神の慈しみに感謝し、主をほめたたえるべきことを、詩人が教えているということが出来ます(創世記1章26節参照)。

 続く10~15節では、出エジプトの出来事を記し、奴隷の苦しみから解放してくださった主をたたえます。16節は、40年の荒れ野の旅を支えられた主をたたえます。17~22節は、敵の軍隊を打ち破り、約束の地をお与えくださった主をたたえています。

 いずれも、彼らにそれを受ける資格や権利があったわけではありません。神の助けがなければ、エジプトを脱出すること、約束の地までたどり着くこと、そして嗣業の地を獲得することは不可能だったでしょう。だからこそ、神の慈しみに感謝し、賛美しているのです。

 そして、冒頭の言葉(23節)で「低くされたわたしたちを心の留めた方に感謝せよ」と言い、さらに24節で「敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ」と語っているので、あらためてエジプトの奴隷の苦しみから救い出されたことを語っていると見ることも出来ますが、これは、それに重ねてバビロン捕囚から解放されたことを感謝していると読むべきでしょう。

 「低くされた」とは、バビロンの奴隷にされたということですが、それは、単にバビロンとの戦争に負けたということではなく、イスラエルが主なる神に背いてその怒りを買い、神の祝福を失ったということです。いわば、神によって低くされたということです。

 天地宇宙、大自然のいたるところに神の慈しみが表れているのに、そしてエジプトの奴隷から解放され、約束の地カナンを頂くことが出来たことも、すべて神の慈しみであったというのに、イスラエルの民は恩知らずにも、神に背いて罪を重ねたのです。

 それなのに、神は「低くされた」イスラエルの民を心に留められるのはなぜでしょうか。それこそ、まさに神の慈しみです。

 その背後に、アブラハムとの契約があります。神はアブラハムを選び、祝福を与える約束をされました。その約束とは、アブラハムの子孫に約束の地を与えるという約束です(創世記15章1節以下、7節)。

 そのとき、アブラハムは75歳、妻のサラは65歳でした。サラは不妊で、子どもができませんでした(同11章30節、18章11,12節)。もし、神がアブラハムを選ばれていなければ、そしてサラに子を授けるようにしてくださらなければ、彼らにイサクがうまれるはずはなく、ゆえに、イスラエルの民がこの世に登場してくることもなかったのです。

 慈しみによって天地万物を造られた神は、神を礼拝する民をその慈しみによって創造されたわけです。さらに、イスラエルを頑なにすることで、神の慈しみが主イエスを信じる異邦人に及ぶようにされました(ローマ書11章28節以下)。

 主は私たちとの間に新しい契約を結び、主が私たちと共に、私たちの内に住まわれて「イエスこそ主である」ことを教えてくださいます(エレミヤ書31章33,34節、マタイ福音書16章16,17節、ローマ書10章8~10節、第一コリント書12章3節)。恵み深い、慈しみ豊かな神に心から感謝し、御名をほめたたえましょう。

 主よ、あなたが私たちと共におられ、いつも命の道、真理の道に導いてくださいますから、感謝です。絶えず、主の御声に耳を傾け、その御心を悟らせてください。主の御足跡に従うことが出来るよう、絶えず信仰の目を覚ましていることが出来ますように。全世界にキリストの平和と喜びがありますように。 アーメン