「主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。夜ごと、主の家にとどまる人々よ、聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。」 詩編134編1,2節

 134編は、「都に上る歌」(120~134編)の最後のもので、117編と並んでとても短い詩です。原典では、表題を除いて4行の詩になっています。

 これは、巡礼者たちと祭司らとの掛け合いの歌で、冒頭の言葉(1,2節)が都に上ってきた巡礼者たちの歌、3節は、神殿で仕えている主の僕ら、つまり祭司やレビ人たちの歌です。巡礼者たちが「主をたたえよ」と賛美すると、次に祭司たちが「天地を造られた主が、シオンからあなたを祝福してくださるように」と祝福するというかたちです。

 これは、巡礼者がエルサレムを去るにあたって祭司たちと交わす賛歌だったのだろうと想像されます。また、主をほめ称えて賛美の歌をうたうと、主が祝福してくださるという信仰を教えていると読むことが出来ます。

 実は、冒頭の言葉(1,2節)の「(主を)たたえよ」という言葉と、3節の「(あなたを)祝福してくださるように」という言葉は、ヘブライ語で同じ「バーラク」という言葉です。主は祝福する者を祝福し、呪う者を呪うと言われるわけですが(創世記12章3節参照)、主なる神に対して祝福する者は、主から祝福されるわけです。

 ただ、祭司が巡礼者を祝福するというのは、巡礼者のために祝福を神に祈るということであり、祝福は、神が人に与えるものということが出来ます。となれば、人間が神を祝福することはあり得ないということから、「主を祝福せよ」ではなく、「主をたたえよ」と訳されるわけです。

 2節に「聖所に向かって手を上げ」とあります。原文を直訳すると、「あなたたちの両手を聖所に向かって上げなさい」(セウー lift up・ヤデーヘム your hands・コーデシュ in the sanctuary)という言葉です。

 両手を上げるというのは、祈りの姿勢と言われます(岩波訳脚注参照)。幼い子どもが親に向かって両手を挙げているときは、「抱っこして」といっているように見えますね。自分のすべてを神に委ねるという姿勢ということが出来ます。

 あるいはまた、強い者に向かって手を上げると、それは降参という形になります。「四の五の言いません。主の言われるとおりに従います」という姿勢といってもよいでしょう。主なる神を信頼してすべてを委ね、主に聴き従うという祈りをすることが、主をたたえること、賛美することだというのは、私たちが学ばなければならない大切な信仰の心だと思います。

 このことで、ルカ福音書24章50節以下の御言葉を思い出しました。そこに、主イエスが弟子たちを、手を上げて祝福されたことと、弟子たちが絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていたことが記されています。

 ここでも、「祝福された」と「ほめたたえていた」とは、ギリシア語の「エウロゲオー」という同じ言葉が用いられています。主イエスの祝福を受けた弟子たちが、主をほめたたえているわけです。

 同50節に「手を上げて祝福された」とあるのは不定過去形(アオリスト)動詞で、過去のある時点に起こった出来事というのを表します。一方、続く51節には「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」と記されています。ここには、現在形の不定詞が用いられていて、今ある状態、あるいはそれが進行している様子を示します。

 つまり、主イエスが祝福されたのは、天に上げられる前、ベタニアの辺りでのことでしたが、しかしそれは「祝福し終わって天に上げられた」ということではないのです。ルカはこのような言葉遣いで、弟子たちを祝福された主イエスの祝福は、今、私たちのためにも続けられている、私たちも今、この主イエスの祝福に与ることが出来ると言おうとしているのです。

 このことは、私が神学校で学んでいたとき、説教学の講義においでになった故松村秀一先生から教えて頂きました。松村先生は、戦中戦後、大牟田教会の牧師を務め、その後、東京で常盤台教会を設立される働きをされました。後に、連盟の理事長としても手腕を発揮されました。

 主イエスの昇天後、弟子たちは、神殿の境内で神をほめたたえていました。ヘロデ大王によって建てられたその神殿は、ローマとの戦争で破壊されました。今日まで残っているのは、西の壁などごく一部だけです。

 私たちは、エルサレムの神殿に上らなくても、私たちの体が聖霊の住まわれる神殿とされています(第一コリント書6章19節など)。私たちと共におられ、私たちの内にお住まいくださる御霊なる神にすべてを委ね、御霊の導きを求めつつ主の御言葉に耳を傾けるとき、主はその祈り、その賛美を受け止めて、主の祝福と導きに与ることが出来るわけです。

 皆で主をたたえましょう。天地を造られた主がわたしたちを祝福してくださるように。 

 主よ、あなたの尊い御名を崇め、心から感謝致します。主イエスが私たちのために執り成しの祈りをささげてくださり、今その祝福を頂くことが出来ます。主が語られたことは、必ず実現するからです。御国が来ますように。御心がこの地になされますように。主イエスの平和が全世界にありますように。 アーメン