「『恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに』と、主に贖われた人々は唱えよ。主は苦しめる者の手から彼らを贖い、国々の中から集めてくださった、東から西から、北から南から。」 詩編107編1~3節

 107編は、第五巻(107~150編)の巻頭にふさわしく、第二の出エジプトともいうべき、バビロン捕囚からの解放を経験した詩人の、主の慈しみに感謝する「賛美の歌」です。

 1~3節はこの詩の序文で、「国々の中から集めてくださった。東から西から、北から南から」(3節)と言います。これはバビロン捕囚のことではなく、アレクサンダー(ギリシア)時代(紀元前300年)以後の、イスラエルの民が各地に出て行ったディアスポラ(離散の民)の時代のことであろうと思われます。

 4~32節に、神のなさった4つの「贖い」(2節)の業が記されています。各組には、「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」(6,13,19,28節)、「主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる」(8,15,21,31節)という句が、リフレインとして詠われます。

 第一組(4~9節)は、荒れ野で迷い、砂漠で道を見失って、飢え渇いた人々のため、主が良いもので満たしてくださったという恵みが記されます。

 第二組(10~16節)は、神に対する背きの罪のゆえに牢獄に捕らわれ、闇と死の陰に脅かされていた人々のため、牢の戸を破り、解放されるという恵みが記されています。

 第三組(17~22節)は、神に対する無知と背きと罪の結果、病いによって死の床にいた人々のため、癒しをなし、立ち上がらせてくださるという恵みが告げられます。

 第四組(23~32節)は、海で嵐に遭って死に飲み込まれそうになっていた人々のため、嵐を静め、港に導かれるという恵みが語られています。

 それぞれの組の人々が恵みを味わうことが出来たのは、彼らが苦難の中から助けを求めて叫んだからでした。それは、苦しいときの神頼みであり、また、主に願う以外に、その苦しみから逃れる術がなかったからです。

 そして、その声を主が聞き入れられたのは、ただ主が彼らを憐れまれたからです。詩人が繰り返し、「主に感謝せよ、主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる」と詠っているとおり、彼らが救われたのは、実に驚くべき恵み(Amazing Grace)だったのです。

 「贖う」(2節)とは「買い戻す」(ガーアル)という言葉で、奴隷とされた者や売られた畑地を買い戻すのは、近親者(ゴーエール)の務めです(レビ記25章25、47節以下)。

 家族が殺された時には、近親者が血の復讐をし(民数記35章19節)、長男が子をもうけないまま死ねば、弟がゴーエールとして兄の妻に子を産ませなければなりません(申命記25章5節以下)。ルツ記に記されている、ナオミの畑地やナオミの嫁ルツに対するボアズの振る舞いは、「贖い」の良い例です(ルツ記4章9節以下)。

 そして、新約聖書の信仰に生きる私たちも、主イエスを通して、信仰によって,贖いの恵みに与ることが出来ます(ローマ書3章24節、第一コリント書1章30節など)。それは、この「贖い」の意味から言えば、主なる神が私たちの近親者として行動してくださったということです。

 私たちがそのような恵みに与ることが出来るのは、私たちにその資格や権利があるからではありません。言うまでもなく、私たちは主なる神の近親者ではありません。神自ら贖い主(ゴーエール)となってくださったという、まさに恵みです(エフェソ書2章8,9節)。

 主が私たちをあらゆる苦しみ、煩いから贖い、救い出してくださったのは、その恵みに感謝し、御名を賛美する民、すなわち、その魂が主の恵みに対する感謝と喜びで満ち溢れ、霊とまことをもって主を礼拝する神の民を集めるためです。

 40~42節に「主は貴族らの上に辱めを浴びせ、道もない混沌に迷い込ませたが、乏しい人はその貧苦から高く上げ、羊の群れのような大家族とされた。正しい人はこれを見て喜び祝い、不正を行う人は口を閉ざす」と記されていますが、富と力を持ち、あるいは悪をなす者は、神を呼び求めないので、その慈しみに与ることが出来ません。

 しかしながら、彼らも道に迷い、貧苦に悩むとき、神に助けを祈り求める者となるでしょう。神は、打ち砕かれ、悔いた心を軽しめられず(詩編51編19節)、彼らを高く上げ、繁栄を回復されるのです(サムエル記上2章7,8節)。

 「恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに」と唱えつつ、今も私たちのために働いておられる主の慈しみに目を注ぎましょう。

 主よ、あなたは渇いた魂を飽かせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださいます。私たちを閉じ込めようとする獄屋の青銅の扉を破り、鉄の閂を砕いてくださいます。御言葉を遣わして私たちを癒し、滅びから救い出してくださいます。嵐を静め、望みの港に導かれます。心から感謝のいけにえを献げ、その御業を語り伝え、喜び歌わせてください。御名が崇められますように。 アーメン