「わたしの民よ、聞け、あなたに定めを授ける。イスラエルよ、わたしに聞き従え。」 詩編81編9節

 81編は、神がおのが民を、「わたしに聞き従え」と招く詩です。

 この詩は二部構成で、第一部が2節から6節前半まで、第二部は6節後半から17節までです。第一部は、祭りの日に賛美をささげよとの招きが語られ、第二部は、神ご自身が民に語りかける説教という内容になっています。

 4節に「角笛を吹き鳴らせ、新月、満月、わたしたちの祭りの日に」とありますが、角笛を吹き鳴らすのは、イスラエルの7月1日の新月祭で、聖なる集会を行います(レビ記23章24節)。続く10日が贖罪日(同27節)、そして満月に当たる15日の安息日から一週間、仮庵祭が行われます(同34節)。この詩は仮庵祭に朗読されるように作られたものと思われます。

 仮庵祭は葡萄に代表される秋の実りを神に感謝する祭りです。それが「仮庵」の祭と呼ばれるのは、この祭りの間、戸外の仮の簡素な小屋で過ごすからです。それは、もともと葡萄を収穫し、直ぐに葡萄を搾って葡萄酒を造るという作業を行うため、雇った労働者が寝泊まりする仮小屋を、葡萄園に建てたためです。

 それに、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野を旅する長い間、テントで生活したことを重ね合わせ、エジプトの地から導き出された主の御業を告げ知らせると共に、現在の安定した生活、大地の恵みを神に感謝するためなのです(レビ記23章34~43節)。

 冒頭の言葉(9節)は詩の中心に置かれており、文字通り、中心的なメッセージとなっています。「あなたに定めを授ける」というのは「証言する、戒める」(ウード)という言葉で、「あなた」と呼びかけている者たちに悪い状態に陥った関係を正すように勧める言葉なのです。聞き従う者には、「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(11節)という約束が与えられます。

 けれども、「わたしの民はわたしの声を聞かず、イスラエルはわたしを求めなかった」(12節)と言われます。荒れ野を旅する間も、約束の地に入ってからも、イスラエルの歴史は、神に背き、その御言葉に従わない歴史でした。

 エレミヤ書7章25,26節に「お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした。それでも、わたしに聞き従わず、耳を傾けず、かえって、うなじを固くし、先祖よりも悪い者となった」と言われるとおりです。

 神は、「頑なな心の彼らを突き放し、思いのまま歩かせた」(13節)と言われます。その結果、民は神の御翼の陰を離れ、自分勝手に進んで自ら滅びを招いてしまいました。パウロがローマ書1章18節以下、24節で語っているのは、そのことです。

 神は14,15節で「わたしの民がわたしに聞き従い、イスラエルがわたしの道に歩む者であったなら、わたしはたちどころに彼らの敵を屈服させ、彼らを苦しめる者の上に手を返すであろうに」と言われています。

 このメッセージは、神が「何度も名前を読んだのに、一度も答えようとしなかったから、もう呼ばない。もし答えてくれていたら、ちゃんと守ってあげたのに、一度も答えなかったから、もう二度と守ってあげない」などと言おうとしているわけではありません。

 このように語りながら、「今これを聞いているあなたは、わたしの声に聞き従いますか、いつもわたしを求めますか」と問いかけているのです。そして、もし神の御声に聞き従うならば、最良の小麦で養い、「わたしは岩から蜜を滴らせて、あなたを飽かせるであろう」(17節)と、再び約束されているのです。

 仮庵祭の最終日には、大祭司が金の水差しでシロアムの池から水をすくい、それを神殿に運んでその水を祭壇に注ぐという儀式を行います。それは、来春の小麦や大麦の収穫のために、雨を降らせてくださるようにという祈りの儀式です。

 ヨハネ福音書7章で主イエスが、「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(7章37,38節)と言われたのは、この日の出来事です。ここで、「生きた水」とは聖霊のことでした(同39節)。

 ヨハネは、主イエスが「大祭司」としてお立ちになったこと、「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい」(同37節)と仰って、命の水を与えるのは、主イエス御自身であることを示します。そして、霊的な収穫(ペンテコステの出来事:使徒言行録2章)が豊かにあるように、主イエスを信じる者に聖霊が注がれるように祈られたと記しているのです。

 私たちが主イエスを信じて、その御声に聴き従うなら、岩から蜜が滴るという神の御業を通して(17節)、聖霊の豊かな恵みで飽かせられる、即ち、自分自身が満足させられるだけでなく、それが川の流れとなって流れ出るようになると言われています(ヨハネ7章38節)。

 朝ごとに主を仰ぎましょう。その御言葉に耳を傾けましょう。その教え、戒めに素直に聞き従いましょう。 

 主よ、御言葉を感謝します。私たちが主の御声に絶えず耳を傾け、喜びをもってその導きに従うことが出来ますように。聖霊の豊かな恵みに与り、主の愛と恵みを力強く証しすることが出来ますように。必要な知恵、力を授けてください。御心がこの地になりますように。 アーメン