「王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を、助けるものもない貧しい人を救いますように。」 詩編72編12節

 72編には「ソロモンの詩」という表題がつけられていますが、むしろ、ソロモン王のための、王の正しい裁きと、王の祝福を祈る「祈りの詩」というかたちです。これは、王の即位式のために編まれたものではないかと想像されます。

 18,19節にある頌栄は、第2巻(42~72編)の結びのしるしです。ここで詩人は、驚くべき御業をなさる方に対し、とこしえにその御名をたたえるべきこと、そのお方の栄光が全地に満ちていることを覚えさせます。

 そして、20節に詩編の編者が『ダビデの祈りは終わった』という後書きをつけています。42編の王の即位の詩で始まった「ダビデの祈りの詩」が、王を祝福する詩で終わったということを示しています。

 1節に「神よ、あなたによる裁きを、王に、あなたによる恵みの御業を、王の子にお授けください」と語られています。この「お授けください」(テイン=動詞「ナータン(「与える」という意)」の命令形)という言葉だけが、この詩で用いられている動詞の中で唯一、命令形になっています。他は未完了形で、「~しますように」と訳されているとおり、願いを表すかたちになっています。

 「あなたによる裁き」は、「あなたの公正(ミシュパート)」、「あなたによる恵みの御業」は、「あなたの義(ツェダカー)」という言葉です。「公正(ミシュパート)」は、裁判や政治における公平な取り扱いを意味し、「義(ツェダカー)」は、特に神との契約に沿った正しい関係を表していて、「正義、義、救い」などと訳されます。

 王に公正と正義を授けてくださいと祈り願うということは、公正と正義が神の持ち物であるということ、そして、ここだけが命令形であるということで、国を治めるために、王は公正と正義を必ず神から授からなければならないということ、そしてそれは、王が神の代理者として国を治めるものであるということを示しています。

 2節を直訳すると「彼があなたの民を義をもって、あなたの貧しい者たちを公正をもって裁きますように」となり、1節にあった公正と正義がコンビで登場します。新共同訳は、「義をもって」を「正しく」、「公正をもって」を「裁きますように」と訳しています。直訳の「裁きますように」という言葉は2節文頭にあって、新共同訳は「訴えを取り上げ」としています。

 同様に3節は「山があなたの民のために平和(シャローム)を、丘が義をもたらすように」となり、ここでは平和と正義というコンビになっています。因みに、新共同訳は「義」を「恵み」と訳しています。王が公正と正義をもって政を行うとき、国の全土に神の平和と義がもたらされるということでしょう。

 8節には「王が海から海まで、大河から地の果てまで、支配しますように」という願いが記されています。「海から海まで」はペルシャ湾から地中海まで、「大河」はユーフラテス河でしょう。そこから地のはてまでということで、これらは、当時のイスラエルの人々が見渡していた全世界といってよいでしょう。

 そのすべてを統治したイスラエルの王はいません。むしろ、この地域にあって力のあるアッシリアやバビロン、ペルシア、後にギリシア、それからローマといった列強諸国によってイスラエルは支配されて来ました。だから、神から公正と正義を授けられたイスラエルの王が立って全土を治め、それによって神の平和と義が打ち立てられることを願っているわけです。

 この王は、冒頭の言葉(12節)のとおり、「助けを求めて叫ぶ乏しい人」や「助けるものもない貧しい人を救い」、そして、「弱い人、乏しい人を憐れみ、乏しい人の命を救い」(13節)、「不法に虐げる者から彼らの命を贖う」(14節)ことが期待されています。それが、詩人の描く、公正と正義によって政を行う王によってもたらされた平和と義の世界です。

 ソロモンについては、神の知恵によって遊女の訴えを正しく裁いたという記事を思い出します(列王記上3章)。けれども、ソロモンはこの詩に詠われているような理想的な王ではありませんでした。確かにすばらしい知恵を授かり、すばらしい政治を行ったでしょう。世界中の富が集まっても来ました。しかし、彼の犯した過ちのゆえに、彼の死後、国は分裂してしまいます(同11,12章)。

 けれども神は、ソロモンの子孫に、これを実現する王を立てられました。ダビデの子として、この世においでになった神の御子、主イエス・キリストです。イエス・キリストを信じる者すべてに、神の義、神との正しい関係が与えられます(ローマ書3章22節)。キリストによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです(同24節)。

 キリストが王として支配される神の国には、聖霊によって与えられる義と平和と喜びがあります(同14章17節)。たてに神との正しい関係(=義)、横に人々との平和があるところは、喜び溢れるところとなるでしょう。それが、神の国だというのです。

 12節の「王」を主イエス・キリストと読み替えて、地球全土にキリストによる義と平和を打ち立ててくださるようにと、詩人と共にこの祈りをささげたいと思います。キリストこそ、私たちの平和だからです(エフェソ書2章14節)。

 主よ、全世界にキリストによる義と平和と喜びがありますように。自然災害、事故、爆弾テロ、報復の空爆などにより、寄る辺なく不安の日々を過ごしている方々を憐れみ、救ってください。あなたの憐れみこそ、全世界の希望です。あなたの栄光は全地に満ちています。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように。 アーメン