「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい、あなたの正しさを光のように、あなたのための裁きを真昼の光のように輝かせてくださる。」 詩編37編3~6節

 37編は「アルファベットによる詩」で、原文の奇数行の文頭の文字がアルファベット順に並んでいます。これを学び聞く者の記憶を助けるために工夫されています。

 その内容から、知恵を重んじる立場の作者によって、捕囚期以後に作られた格言集のようなものではないかと言われています。25節の「若いときにも老いた今も」という言葉から、経験豊かな老教師が若い弟子に語りかけるような口調で、格言を伝えようとしていると考えたらよいのではないでしょうか。

 岩波訳にも「年老いた知恵の教師がひとりの若者に対し、悪人にいきり立たず、神の教えに従って正しく生き、『地に住まい』、すべてをヤハウェにゆだねれば、不法は悪人は滅び、貧しい義人が『地を取得する』、と説く教訓詩。ヤハウェは終始三人称。アルファベット詩」という注釈があります。

 この詩は、「血潮したたる主の御かしら」(Salve caput cruentatum :新生讃美歌221番など)の作詞で知られるパウル・ゲルハルトが、「あなたの道を主にまかせて」(Befiel du deine Wege :讃美歌21 528番など)という神を信頼する賛美歌を作るきっかけとなったものです。神に対する信頼がこの詩全体を貫く基調となっています。

 詩人は、苦境にある人々に向かって、1節で「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな」と語りかけます。また7,8節でも「繁栄の道を行く者や、悪巧みをする者のことでいらだつな。怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない」 と命じます。

 彼らの苦しみは、悪をなす者たちによってもたらされたものですが、正直者が馬鹿を見るというようなやりきれない状況に苛立ち、悪事を謀って報復するというほどに、堪忍袋の緒が切れかかっているのです。

 そこで、彼らの挑発に乗って悪に対して悪をもって報いることがないように(ローマ書12章17節、第一ペトロ書3章9節)、特に悪しき者らの栄達にとらわれてしまわないように、別の道を示します。それは、主を信頼する道、主にすべてを委ねる道です。 

 冒頭の言葉(3~6節)で「主に信頼し」(ベター・バ・アドナイ:3節)、「自らを主にゆだねよ」(ヒトアンナグ・アル・アドナイ:4節)、「あなたの道を主にまかせよ」(ゴール・アル・アドナイ・ダルッケハー:5節)と語られ、そしてもう一度、「信頼せよ」(ベター)と言われます。

 これらの言葉遣いで、詩人にとって、主に信頼し、その御手に依り頼むことが、人生においてどんなに大きな平安となり、喜びとなり、力となったかということを、想像することが出来るようです。

 4節の「ゆだねよ」は、「喜びとする」(アーナグ)という意味の言葉で、新改訳では「主をおのれの喜びとせよ」と訳されています。新共同訳は、主を喜ぶということは、主に信頼してその願いがかなえられることと解釈して、この訳文を選んだのでしょう。ちなみに、11節の「ゆだねる」も同じ言葉です。

 また、5節の「まかせよ」とは、「転がす」(ガーラル)という意味の言葉です。直訳すれば、「あなたの道を主の上で転がしなさい」となります。主の上で転がるということから、主の上に重荷を転がす、主の上に完全に乗る、主の手にすべてを委ねるという意味になったわけです。主に任せるというのは、主の道を主と共に歩むことであると解釈することも出来そうです。

 そのように主に信頼して歩むとき、主のうちに守られている喜びを味わい、それゆえ、悪事を謀る者が夜の闇をもたらそうとしても(1節)、希望の光に包まれてそれを克服することが出来るのです(6節)。

 主イエスが「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ福音書14章6節)と言われました。主イエスが父なる神の御許に行く唯一の道です。主の上を通れば、主と共に歩めば、父なる神の御許に行くことが出来るのです。そして、そこに真理があり、命があります。真実な交わりがあるということです。

 主が共におられ、主と共に住み、豊かな交わりを持たせていただくことこそが、私たちキリスト者の栄光の希望なのです。主が共におられれば、この世の歩みがいかに困難であっても、耐え忍ぶことが出来るでしょう。否むしろ、喜ぶことが出来ます。神の慈しみ、神の真心、神の愛がそこに注がれてくることを味わうからです(ローマ書5章3~5節)。

 スコットランドの宣教師で探検家のデイヴィッド・リビングストン(1813~73年)は、アフリカの奥地に入って長年にわたって福音宣教のために働く傍ら、奴隷貿易の廃止を訴えました。それは、猛獣や疫病、飢え、そして奴隷商人たちによる迫害などとの戦いの日々だったそうです。

 彼はその中で、毎日、5節の「あなたの道を主にまかせよ、信頼せよ。主は計らってくださる」という言葉を口ずさみ、そこで共に神が働いてくださるという事実を味わって力づけられ、前進し続けることが出来たそうです。

  「♪主にまかせよ 汝が身を 主は喜び 助けまさん
   悩みは 強くとも 御恵みには 勝つを得じ
   まことなる 主の手に ただまかせよ 汝が身を♪」(新生讃美歌566番)

 主よ、この地には悪事を謀る者が多くあり、のさばっているのを見ると、苛立たないではいられません。そして、私たちの内にも不正を行う者を羨む心があります。主を信頼し、信仰を糧とすることなしに、まっすぐに主の道を歩むことは出来ません。一歩一歩、あなたと共に、御旨にかなう道を歩ませてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン