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 わが国では、天皇の代替わりに年号も変わります。30年前に「平成」となりました。来年5月に新年号になる予定です。この年号を用いるのはわが国だけで、国際的に通用しているのは西暦何年という言い方です。


 この西暦は、イエス・キリストの誕生を起点としています。キリストの誕生前をBC(Before Christ「キリスト以前」)、誕生後をAD(Anno Domini「主の年」)といいます。神の御子イエスがこの世においでになって、世界にどれほどの影響を与えたのかを示しているといってよいでしょう。

 イザヤ書9章1~6節は、預言者イザヤによるメシア預言と解釈されています。冒頭の言葉(5節)を、詩編2編7節との関連で、王の即位を知らせる言葉とする解釈がありますが、むしろ、7章14節の「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」という預言との関連で、むしろメシア誕生に関する神の託宣と読むべきでしょう。

 そのみどりごの名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(5節)と唱えられると言われます。「驚くべき指導者」とは、「不思議な助言者」(ペレ・ヨーエーツ)という言葉で、「議官、相談役」を指します。

 「力ある神」について、王を神と呼ぶのは、詩編45編7節とここだけです。その意味は、王はこの地上において、神の代理者として立てられるということでしょう。「永遠の父」とは、公正で思慮深い父親のように、長期にわたって統治するようにということでしょう。

 そして、その統治がもたらすものは、「平和」(シャローム)です。士師記6章24節に、ギデオンがオフラに築いた主の祭壇を「平和の主」と名付けたとありますが、主なる神の名前は「平和(シャローム)」だということでしょう。

 平和とは、戦争がないという以上の、あらゆる被造物が神を神として崇め、その御旨に従って生き、行動するときに、主なる神によって与えられるものなのです。

 王がその名で呼ばれるということは、主なる神こそ、イスラエルの王であるという信仰が、そこに示されており、王はその主なる神の代理として振る舞うことが求められるということです。 

 イザヤは、1~6節で告げたこの預言の成就を、自身の存命中に見ることは出来ませんでした。700年後のイエス・キリストの登場を待たなければならなかったのです。

 キリストとは、メシアをギリシア語に翻訳した「油注がれた者=救い主」という称号です。主イエス・キリストこそ、「まことの光で、世に来てすべての人を照らす」(ヨハネ1章9節)メシア=キリストなのです。マタイ章23節では、主イエスの誕生を7章14節の預言の成就と告げています。

 主なる神は、救いを待ち望む全世界のあらゆる世代の民のために、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられるまことの光なる主イエスを、神の独り子にも拘わらず、人としてこの世に生まれさせてくださったのです。

 主よ、あなたの深い憐れみのゆえに私たちも恵みに与りました。御名を崇め感謝します。主に従い、絶えず命の光のうちを歩ませてください。今なお復興の進まない被災地に住み、また避難生活を余儀なくされている人々、軍隊に嗣業の地を奪われ、平和を脅かされている人々に、希望と平安の光が訪れますように。 アーメン