「あなたたちが救ってくれることはないと思い、わたしは命がけでアンモン人に向かって行った。主は、わたしの手に彼らを渡してくださった。どうして今日になってわたしに向かって攻め上り、戦おうとするのか。」 士師記12章3節

 娘の死を悼んでいるエフタの許に、エフライム人がやって来て、「アンモン人との戦いに出向いたとき、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」と言います(1節)。エフライムの人々は、ギデオンがミディアンと戦って勝利したときにも、同じように「なぜ自分たちを呼ばなかったのか」と言ってギデオンを責めました(8章1節)。
 
 それは、彼らがギデオンやエフタを助けたかったからということでも、共にイスラエルを守りたかったからということでもありません。彼らは、ギデオンやエフタによる勝利を妬ましく思い、その栄誉を横取りしようとしているわけです。
 
 その背景には、臨在の幕屋がエフライムのシロに置かれており、自分たちがイスラエルの中心部族だという自負を持っていたのでしょう。しかしながら、彼らが先頭に立って戦うつもりがあるのかと言えば、実際には、エフタとギレアドの民がアンモン人と戦いを交えているときに援軍を頼んでも、それに答えていないのです(2節)。
 
 ギデオンの時に、スコトやペヌエルの人々が、むしろミディアン人を恐れて、最も小さい氏族出身で駆け出しのギデオンに助力することをはばかったように(8章4節以下)、エフライムの人々は、18年にわたって押さえつけられてきたアンモンに立ち向かう勇気を持ち合わせていなかったのでしょう。
 
 そして、前にギデオンに対して、エフライムの栄誉を要求したとき、ギデオンは、ミディアンの二人の将軍を討ち取る栄誉をエフライムに与え、彼らの憤りを和らげるという態度を示しました(7章24節以下)。それに味を占めて、エフタに対しても同じ要求をして来たのです。
 
 しかし、このエフライムの人々の物言いは、エフタを怒らせました。実際、エフタが助力を求めたときには援軍を送ろうともしないで、勝利が確定してから、「なぜ同行を呼びかけなかったのか」などと、よく言えたものです。冒頭の言葉(3節)の通り、エフライムから援軍はやって来ないと知って、エフタは命がけでアンモンと戦ったわけですし、勝利を得るために一人娘を犠牲にさえしているのです(11章31節、34節以下)。
 
 ツァフォンに集結していたエフライム人とエフタ率いるギレアド軍との間で戦いが起こり、そして、ギレアド軍がエフライム軍を打ち破りました。エフタはヨルダン川の渡し場を押さえ(5節)、そこを渡ろうとする者に、「シイボレト」と言わせます。それは、「川の流れ」という意味ですが、エフライム人は、この言葉を正確に発音出来ません。エフライム訛りで「シボレト」という者は直ちに捕らえられ、4万2千人もがそこで犠牲となりました。
 
 この戦いは、全く無益なものです。エフライムの人々は、少なからずアンモンに苦しめられていたのですから(10章9節)、エフタの勝利を喜び祝うべきでした。栄誉を自分のものにしたいという彼らの思い上がりが、この悲劇を招きました。一方、エフタにしても、エフライム人を全滅させたとしても、彼の怒り、悲しみは収らないでしょう。
 
 主イエスが、ベルゼブル論争の折、「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない」(マルコ3章24,25節)と仰っています。イスラエルの部族間で殺し合っていて、どうして立ち行くでしょうか。
 
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払い」ましょう(フィリピ2章3,4節)。お互いに相手を尊敬し、互いに愛し合うならば、私たちが主の下僕であることを、皆が知るようになるのです(ヨハネ13章34,35節)。
 
 主よ、私たちは、人が褒められるとケチをつけたくなり、人がくさされると気分がよくなるという、屈折した感情を持っています。どうか私たちの心を探り、御前に相応しくない汚れた思いを取り去り、主の血潮によって清め、絶えずとこしえの義の道に導いて下さい。 アーメン