「あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せにあふれてあなたの神、主に仕えないので」 申命記28章47節

 28章には、「神の祝福」(1節以下)と「神の呪い」(15節以下)が記されています。神の祝福には、理想的な姿、こうであればよいなあいう、希望溢れる表現が並んでいます。
 
 一方、神の呪いは、まず分量的に、神の祝福の4倍の長さで語られています。内容は、15~18節に神の祝福を裏返したき術があり、、20節以下は、疫病や天変地異、そして異国の支配など、これは悲観的なものというよりも、実際にイスラエルが味わった災難、悲劇の描写というものになっています。
 
 疫病や天変地異などは、イスラエルの民がエジプトを脱出する際に、エジプトに下された災いでした。イスラエルの民は、神の恵みを得てエジプトを脱出したのです。エジプトに下された災いでイスラエルの民が打たれ、そして、「エジプトに送り返される」というのは、文字通りエジプトの奴隷となるということでもありましょうけれども、神の一切の恵みを失い、呪われた結果であるということが明示される形なのです。
 
 イスラエルの民は、ダビデ王の時代に、神の祝福を得ました。それこそ神は、町にいても祝福され、野にいても祝福され、入るときも祝福され、出て行くときも祝福され、立ち向かう敵を目の前で打ち破られたのです。
 
 ダビデから王朝を引き継いだその子ソロモンも、神から受けた知恵をもって、これ以上ないというほどの祝福を受けました(列王記上3章)。壮麗な神殿を建て、贅を尽くした王宮を完成することも出来ました(同6~8章)。ソロモンの名声を聴き、知恵を聞くために世界中の人々が拝謁を求め、貢ぎ物を携えてやって来たと言います(同10章1節以下、23~25節)。
 
 ところが、ソロモンには700人の王妃と300人の側室がいて、この妻たちがソロモンを惑わしました(同11章1節以下)。外国から王妃や側室のために異教の神々を祀る場所が築かれ、その礼拝が行われるようになり、ソロモンは主の戒めに背いたのです。ソロモンはいったい何のために千人もの妻たちを抱えたのでしょうか。
 
 その結果、ソロモンの存命中に既に敵対する者が起こり、死後、イスラエルは南北に分裂します(同12章)。そうして、北イスラエルは紀元前721年にアッシリアに(列王記下15章27節以下)、南ユダは紀元前587年にバビロンに滅ぼされ、民は捕囚として連れ去られるという結果を刈り取ることになりました(同25章)。
 
 民を正しく裁き、善と悪を判断するために聞き分ける心をお与え下さいと神に求め、知恵に満ちた賢明な心を授かったソロモンが(王上3章6節以下、9節)、なぜ、愚かにも神に背く道を歩んでしまったのでしょうか。その理由は定かではありませんし、理解に苦しむところです。

 冒頭の言葉(47節)で、「あなたが、すべてに豊かでありながら、心からの喜びと幸せに溢れてあなたの神、主に仕えないので」と言われていることから、ソロモンがあらゆる面で豊かになったときに、初めは謙遜に神に感謝していたのでしょう。けれども、シェバの女王を初め多くの来訪者たちが賛辞を口にするのをおのが誉れとし、いつしか心高ぶって感謝を忘れ、一つ一つ神に知恵を求めずとも自分の知恵で判断し、裁決出来ると思い始めて、歯車を狂わせてしまったのではないでしょうか。
 
 主を畏れることが知恵の初めであり(箴言1章7節)、知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています(コロサイ書2章3節)。神の御前に謙ればこそ知恵が明らかにされるのいであり、神を畏れる心を忘れて、懸命に生きることはできないのです。神の恵みが仇となることがないように、恩知らずにならないように、絶えず御前に謙り、日々御言葉に耳を傾け、「今日」主が命じられるところをことごとく忠実に守り、主と共に歩みましょう。

 主よ、与えられている恵みに心から感謝致します。その恵みを主の御業の前進のために生かして用いることの出来るために、聞き分ける心、実践する力を授けて下さい。御心が行われますように。 アーメン