雲仙01本日、大牟田・熊本ブロックの牧師たちが熊本南教会に集まり、教役者会を行いました。
国道389号で長洲港へ、そこから国道501号を南に降ると、約1時間半余りで熊本南教会のある宇土市に行けます。
今日は生憎の雨模様でしたから、途中で景色を見ることもありませんでしたが、もしも晴れていれば、写真の通り、熊本の河内温泉あたりから有明海の向こう、島原の雲仙普賢岳がはっきりと見えます。
今回の教役者会は、色々と差し支える方が多くて、参加者は7名でした。
 
教役者会01第一部・礼拝では、熊本南教会の浜田牧師が、メッセージを取り次いで下さいました。
写真が浜田先生ですが、逆光でフラッシュも発光せず、色のない写真になってしまいました。腕が悪く、申し訳ありません。
メッセージの聖書箇所は、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」という言葉で始まるヘブライ書11章1~6節です。
以下、メッセージの要約を記します(文責:ブログ管理者)

キリスト教は、目に見えない神を信じています。この信仰の基礎は、キリストの言葉です。神を信じるとは、神の言葉を信じること、神信仰は、御言葉信仰なのです。「信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ書11章17節)と言われるとおりです。
ヨハネ伝1章1節に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。ここで、「言(ことば)」は、ギリシア語で「ロゴス」と記されています。ヨハネは「ロゴス」を、命の源、神的人格、神そのものと考えているようです。

「神に近づく」(6節)とは、神の御言葉に近づくということです。ヨハネが、「言は神であった」と言っていることから、御言葉を聞くことが少なければ、信仰に堅く立つことは出来ないということになります。

パウロも、「キリストの言葉があなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい」(コロサイ書3章16節)と言っています。御言葉が私たちの内に宿り、御言葉がひらめくように、日々神の御言葉を聞きましょう。神を求めるとは、御言葉を求めることです。

神は、「求める者たちに報いて下さる方である」(6節)とあります。御言葉を求める者は、神にあってその人生を再創造していただけるのです。目に見えない神が、私たちに平安を与え、確信へと導いて下さいます。(以上)

コロサイ書の「キリストの言葉」は、原典を調べると、「ホ・ロゴス・トゥー・クリストゥー(the word of Christ)」でした。「言葉」(ロゴス)が単数形で記されています。パウロも、ロゴスとは神の命、神の真理と考えているようです。

そういえば、ルカも、キリストの復活を信じるとは、キリストが語られた言葉を思い出すこと(ルカ24章6節以下)、御言葉に心燃やされることと教えています(同32節)。

御言葉信仰を力強く語っていただいて、大変感謝でした。あらためて、御言葉の力、御言葉の命を感じました。

第二部は、親睦です。
初めに、事務打ち合わせ。
・ブロック教役者会の幹事は、来年3月まで私が引き継ぐことになりました。
・電話連絡網は、山鹿から熊本南、八代、熊本愛泉へ回していただきます。大牟田FS、菊池シオンからの流れは、以前のままです。
・今年度中は、会費を徴収しないことになりました。
・次回教役者会は、1月5日(火)14時より、八代で行うことになりました。
・連盟主催の九州地区教会学校研修会が、来年10月10日(日)~11日(月)、福岡で開催されることになりました。詳細は追って知らされて来ます。

続いて懇談。
今回は、墓地、納骨堂のことが話題となりました。私たちの教会には納骨堂がありますが、新会堂を建てるときに会堂内に納骨室を設けて、遺骨をそちらに移した後、納骨堂を取り壊すことにしています。熊本南にも納骨堂があります。山鹿は、市の公園墓地に納骨堂を建てることになったそうです。

その他、あれこれ話している内に予定時刻が過ぎ、浜田牧師のお祈りで教役者会を終了、再会を約して家路につきました。