「侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ。」 ダニエル書1章7節

 今日から、ダニエル書を読み始めます。本書は、「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目」(1節、紀元前605年ごろ)にバビロンの捕虜となったダニエルに名を借りた著者が記しているという構成になっています(特に7章1節以下参照)。
 
 2節で、「ユダの王ヨヤキムと、エルサレムの神殿の祭具の一部を彼(ネブカドネツァル)の手中に落とされた」というのは、列王記下24章1節以下との関連で、ヨヤキムがネブカドネツァルに降伏し、服従のしるしとして神殿の祭具を差し出した、と解釈すればよいでしょうか。ヨヤキム自身は、捕囚となることはありませんでした。
 
 本書の書名であるダニエルについては、「イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年」(3,4節)で、「ユダ族出身」(6節)と紹介されています。
 
 ただし、本書の中心部分はアラム語で書かれ、用いられているアラム語、ヘブライ語の用法は、主に紀元前2世紀ごろに用いられたものであるということから、本書が現在の形に編集されたのは、シリアのアンティオコス・エピファネスによってパレスティナが支配されていた時代と考えられます。そのためなのかどうか分かりませんが、ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、ダニエル書は「預言書」ではなく、詩編やエステル記、エズラ記などと並んで「諸書」に区分されています。
 
 さて、バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムを陥落させ、多くの者を捕囚としてバビロンにつれて来ました。そして、前述のように、捕囚の民の中から優秀な若者を選んで宮廷で仕えさせることにしました(3~5節)。そこに、ユダ族出身の四人の若者がいました。ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤです(6節)。
 
 侍従長は、冒頭の言葉(7節)のとおり、彼らの名前をバビロンの名前に変えました。名前を変えるというのは、それ自体何でもないように見えますが、これは自分たちの文化を相手に強要し、相手の文化を否定するという象徴的な出来事です。古くは、ヤコブの子ヨセフがエジプトの宰相となるとき、ツァフェナト・パネアという名前を与えられたということがありました(創世記41章45節)。近くは、戦時中、日本が併合した国で宗氏改名を行いました。
 
 ダニエルとは「神が裁きたもう」という名前で、神の正義を信じる親が子にその名をつけたわけです。それがベルテシャツァルと変えられました。これはバビロンの言葉で「王の生命をお守り下さい」という意味です。親が祈りを込めてつけた名前が奪われ、別の名前で呼ばれるというのは、経験してみなければ分からない屈辱の世界でしょう。自分が好んでつけるペンネームやニックネームとはわけが違います。
 
 あるいは、自分の人生を左右する出来事に出会い、改名するということもあります。たとえば、主イエスの弟子となった漁師シモンがペトロと呼ばれ(マタイ福音書16章18節)、迫害者であったサウロがパウロと名乗っています(使徒言行録13章9節)。ヤコブはヤボクの渡しで神の使いと争ったとき、神の使いから「イスラエル」の名前を与えられました(創世記32章29節)。アブラムがアブラハムに(創世記17章5節)、サライがサラに(創世記17章15節)、名前を変えています。そこには、新しい人生の神の祝福があります。
 
 ダニエルの改名は、彼が望んでしたものでも、人生を左右する出来事に出会って神の祝福の名前がつけられたというのでもありません。彼自身ではどうすることも出来ない力に押さえつけられるかのような出来事です。
 
 けれども、そのような状況にあって、ダニエルが自分を見失うことはありませんでした。8節の、「宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し」たというところにそれが表われています。神の御前に、清くあることを願っていたわけです。
 
 私たちも、この地上を主イエスを信じる信仰によって歩み通し、御国に凱旋するとき、主なる神が私たちに、祝福による新しい名を与えて下さることでしょう。

 主よ、御子キリストは肉をとってこの世に来られたとき、イエスと名付けられ、また、インマヌエルと呼ばれました。十字架の死によって贖いの業を成し遂げられて、高く上げられ、あらゆる名にまさる名が授けられました。キリストに倣う者として、御言葉に従い、御霊の力を受けて宣教の使命を果たし、御名を崇めさせて下さい。主の祝福が常に豊かにありますように。 アーメン