「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。」 エレミヤ書22章3節

 これは、ユダの王の宮殿で語られた預言者エレミヤの言葉です(1節)。ユダの王とは、誰とは特定されていません。すべての王が聞くべき神の言葉と考えてよいのでしょう。同様の言葉は、21章11,12節にも記されていました。
 
 神はユダの王たちに、寄留の外国人、孤児、寡婦という社会的に弱い立場にいる者を守り、賄賂を取って裕福な者に有利に判決を曲げたりしないように、公正、公平な裁判を行うように命じます。そして主なる神は、「もし、あなたたちがこの言葉を熱心に行うならば、ダビデの王位に座る王たちは、車や馬に乗って、この宮殿の門から入ることができる、王も家臣も民も。しかし、もしこれらの言葉に聞き従わないならば、・・この宮殿は必ず廃墟となる」(4,5節)と言われます。
 
 この後、3人の王(ヨシヤの子シャルム[11節、列王記下23章30節以下ではヨアハズと言われる]、ヨシヤの子ヨヤキム[18節、王下23章34節以下参照]、ヨヤキムの子コンヤ[24節、王下24章8節以下ではヨヤキンと言われる]〉に対する言葉が記されますが、それはいずれも、厳しい裁きの言葉です。ということは、彼らが冒頭の言葉(3節)で命じられているところを熱心に守り行わなかったということです。
 
 列王記の記事によれば、3人とも、「先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」と言われています。
 
 シャルムとヨヤキムの父ヨシヤは、エジプトの王ネコとの戦いで戦死しました。そこで、シャルム(=ヨアハズ)が王となりますが、3ヵ月後、ファラオ・ネコによって退位させられ、代わってエルヤキム改めヨヤキムが即位します。シャルムは、エジプトに連れて行かれ、そこで死にました(王下23章34節)。
 
 列王記下23章35節に、「ヨヤキムはファラオに銀と金を差し出したが、ファラオの要求に従って銀を差し出すためには、国に税を課さなければならなかった」とあることから、あるいは、ファラオに金銀を差し出して、それによって王位を手に入れたのではないかと考えられます。
 
 その上、「恵みの業を行わず自分の宮殿を、正義を行わずに高殿を立て、同胞をただで働かせ、賃金を払わない」(13節)と語られています。つまり、自分の王宮を建てるために民を徴用したのですが、預言者はここで、同胞をまるで奴隷のように扱ったと、王を糾弾しているわけです。
 
 その悪事のために、彼の死を悼む者はなく、遺体はエルサレム門外へ投げ捨てられる、と言われます(18,19節)。ただ、列王記下24章6節には、「ヨヤキムは先祖と共に眠りにつき、その子ヨヤキン(=コンヤ)が代わって王となった」とあり、この表現は、ヨヤキムは自然死で、王墓に葬られたということを示します。
 
 エレミヤの預言が文字通り実行されたとすれば、それは恐らく、エルサレムがバビロンの手に落ちたときに、王墓が荒らされ、ヨヤキムの亡骸が投げ捨てられたということでしょう。
 
 その子ヨヤキン(=コンヤ)は、即位3ヶ月でエルサレムを包囲したバビロン軍に投降し、捕囚となります(25節、王下24章10節以下)。
 
 こうして、「もしこれらの言葉に聞き従わないならば、・・・この宮殿は必ず廃墟となる」(5節)と語られた主の言葉が実現していまいます。しかし、憐れみに富む神は、切り倒したダビデの家に、御子イエスを生まれさせられました。その王宮は家畜小屋、揺り籠は飼い葉桶でした。そして、十字架の死によって、新しい契約を結ばれます。この正義と恵みの業により、すべての人が永遠の御国の門から入ることが出来るようになったのです。ハレルヤ!

 主よ、あなたに背く罪を犯したのは、王だけではありません。その家臣も民もそうです。そして私たちも。けれども、計り知れない御愛により、罪赦され、永遠の命に与り、天に国籍を持つ神の子とされました。今、主イエスを心の王座に迎え、その御言葉に従います。御名が崇められますように。御心が行われますように。 アーメン