今日、長崎で、江戸幕府の弾圧などで殉教したペトロ岐部はじめ、日本人カトリック教徒188人に「福者」(ふくしゃ)の敬称を与えるローマ法王庁の「列福式」が開かれました。

「福者」は、「聖人」に次ぐ称号で、その称号を受ける儀式のことを列福式といいます。
列福式が日本で開かれるのは、初めてのことです。

今回、福者に列せられた188人の殉教者の中に、レオ税所七右衛門敦朝という人物がいます。
この名前読めますかね。
「さいしょ・しちえもん・あつとも」と読みます。
七右衛門は、宮崎・都城の出身ですが、私の父の郷里、薩摩川内市で殉教しました。

税所七右衛門については、カトリック教会のHPに紹介があります。
URL http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/kibe_187/satsuma.htm

7~8年前、税所七右衛門の殉教をドラマ化した物語の録音テープを、父が持っていました。
「七右衛門」の名が、父を信仰に導いた伊集院教会の麦野七右衛門先生と同じ名前だったし、とても興味深いストーリーだったので、何度も聞きました。

それによると、税所七右衛門が信仰に導かれたのは、友人のジョアン小兵衞の影響を受けたからでした。カトリック教会のホームページにある「パウロ吉右衛門」とは別人なのかどうか、よく分りません。

七右衛門は、領主・北郷加賀守三久からキリシタンの取り締まりを命ぜられていましたが、友人の入信を知って、教会に関わるようになり、やがて自分も信仰を持つようになります。
七右衛門がキリシタンとなったことを知った加賀守は、すぐに信仰を捨てるように命じますが、七右衛門は従いません。
七右衛門は捕らえられ、取り調べを受けた結果、死刑が宣告されます。
七右衛門の友人や親族が棄教するように、あるいは表向きだけでも棄教した振りをし、加賀守に恭順の姿勢を示すようにと訴えても、その信仰が揺らぐことはありませんでした。

武士として切腹を命じられますが、自殺は出来ないと断り、逆に十字架に磔にされることを願いますが、それは許されませんでした。
そこで、屋敷前の十字路に正座し、首を垂れて斬首の刑を受けました。

七右衛門がキリシタンとして生きたのは、わずか4ヶ月ほどということですが、「神の御慈悲がその心に触れた人のようであった」と賞されるような信仰生活を送り、そして殉教されたことが重く評価されたのでしょう。

私たちプロテスタントの信仰者にとって、人がどのように評価をし、どんな称号をつけるかということに関心を持ってはいませんが、しかし、だからといって、評判など、どうでもよいということでもありません。

教会で初めて執事を選び出す際、「霊と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい」と言われています(使徒言行録6章3節)。
また、第一テモテ書3章7節には、「監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません」と記されています。

死後400年経って称号を与えられることにどのような意味があるのかと考えると、称号を与えられた人にとっては、さしたる意味はないと思いますが、しかし、今を生きる私たちに、どのように生きることが良い生き方なのかを指し示すという点で、とても大きな意義ある出来事でしょう。


私がそういえば、家内が大笑いするのではないかと思いますが、税所七右衛門に倣い、「神の御慈悲がその心に触れた人のようであった」と賞されるような信仰生活を送りたいものだと思います。