新聞報道などによると、福岡で起こった事件は、子どもの、「病気のお母さんなんかいらない」という言葉に反応しての行為だったそうだ。
母がトイレを利用するとき、いつも息子がその介助をしていた。
公園のトイレで介助を頼んだとき、機嫌の悪かった息子は、「なぜ授業参観に来てくれないのか。病気のお母さんなんかいらない」などと言ったという。
いかに母親が自分の病気を苦にしていたか、それを口にした子どもとの将来をいかに案じていたことかと思う。
なぜその心情を周囲に話し、相談しなかったのかと思うが、もし私が相談を受けていれば、こう対応してあげただろう、それによって二人を守ることが出来ただろうという答えを持っていない人は、彼女の行動を責めることは出来ないのではないか。
というのは、私も彼女と同じ状況にいたら、彼女のようには絶対しなかったと言える自信はないから。
また、彼女から相談を受けても、具体的に彼女のために行動出来たかと考えると、これもまた、具体的な手だてを持っているわけではない。
ただ、弱い人間同士が、一緒に悩み、一緒に考え、なんとか解決を見出そうとするところに、その糸口はあると思うだけ。
彼女はしかし、私が彼女の相談に乗るなどとは、期待することはおろか、思い浮かべることもなかったと思うと、私は今、彼女の周りに神の御使いが遣わされて、彼女が徒に命を絶つことがないように守ること、そして、キリストの平和が彼女の心と考えとを守るようにと祈るほかない。