先週18日(木)に福岡で発生した小学校1年生男児の殺人事件が、全く思いがけないというか、あって欲しくないかたちで決着を見ようとしている。
母親が子どもを連れて近所の公園に行き、トイレに入った数分の間に、子どもが首にかけていた携帯電話のストラップが凶器になって、子どもが殺害された。
その携帯電話は、GPS機能付きで、どこにいてもすぐ見つけられるよう、母親が子どもに持たせていたもの。
母親は取り乱して子どもを捜していて、周囲の人々がそれを手伝い、行方不明になってから30分後、残念なことに母親が用を足したというトイレの裏で、最悪の状態で発見された。
不審な人物が目撃されていたという情報がニュースで流れ、一刻も早く犯人が特定されること、その全容が解明されることを願った。
ところが、容疑者として逮捕されたのは、なんと母親だった。
不審人物の目撃情報がほとんどなかったこと、母親の供述に不明な点があり、あらためて問い質して、犯行を認めたとのこと。
その理由は、子育てに悩んでいたからだと。
あってはならないし、あろうはずもないことと思いたいが、最近、親が子を虐待し、殺める事件が、胎児殺人(堕胎)も含めて、後を絶たない。
しかしながら、こうした事件を、わが子に手をかけた人だけの責任とするなら、それは、子どもを育てることに疲れ果てているひとを鞭打つだけで、この手の殺人に歯止めをかけることは出来ないだろう。
家庭に学校、行政、福祉、医療、宗教などがそれぞれの立場で協力して子育て支援ネットワークを強化し、連携して問題に対処する必要がある。
我が国には、この問題を解決する知恵も能力も、十分に備わっていると信じる。

私の子どもの頃、家の玄関も窓も、鍵をかけてはいなかった。
子どもたちは、親の目の届かないところでのびのびと遊んでいた。
道路や空き地、裏山、どこでも遊び場になった。
ある時は、人の来ない小屋を秘密基地と呼んで入り込み、忍者部隊ごっこなどをしていたこともある。
近所で遊ぶときは、年長者がボスで下のものの面倒を見ながら、よく遊んだ。
2B弾や爆竹という火薬を使ったもので、少々危険な遊びをしていたこともある。
悪いことをしていたら、どこの小父さんでも小母さんでも、ちゃんと叱ってくれた。
近所の小父さん小母さんは、皆顔見知りだった。
コンビニなど一軒もなかったけど、隣組がコンビニだった。
味噌、醤油の貸し借りは日常茶飯事。
いちいち帳面につけることもなかった。
昭和39年(1964年)に開催された東京オリンピックの開会式は、学校が休みになったので、隣組で一台しかないカラーテレビを持っているお宅におじゃまして皆で見た。
電話も隣の家にあったのをいつも借りていた。
電話がかかってくると、小母さんが呼びに来てくれた。
隣の家の電話番号を、呼び出しのマークをつけて名刺に書いたり、公の書類に書くというのが当たり前の時代だった。
その当時に戻ることは不可能だと思うが、そのときのような人間関係を回復することが出来たら、子育てに悩んで子を殺める親はいなくなるだろう。
第二次大戦後、豊かになることを追い求めて来た結果、人間関係、それも親子という最も基本的な人間関係が、考えられないほど貧しく脆くなってしまった。
もう一度、人間関係が豊かになる時代、子どもたちが安心して遊べる安全な社会作りを目指したい。

 
  「見よ、兄弟が共に座っている。
   何という恵み、何という喜び。
   かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り
   衣のエリに垂れるアロンのひげに滴り
   ヘルモンにおく露のように
     シオンの山々に滴り落ちる。
   シオンで、主は布告された。
     祝福と、とこしえの命を。」
              詩篇133編