29~30日、第43回全国壮年大会が福岡は西南学院大学チャペルで開催されました。500名を目標に準備された大会でしたが、最終的に650名という、実行委員会の予想を大幅に超える人数で、大成功といってよいでしょう。
 
西南中ブラバン今回、西南中学ブラスバンドの演奏で大会が始められたのですが、九州の吹奏楽の大会で金賞を取ったというその演奏は、会の冒頭から聖霊の充満を思わせる素晴らしいものでした。

開会礼拝に続いて行われた総会では、懸案であった神学校献金についての連盟と全国壮年会連合との覚書きについて、ようやく決着を見ることが出来ました。これで、これまで以上に一致協力して献金を推進することが出来ると期待されます。
 
青野先生二日目の目玉は、神学部教授による模擬授業でした。私は、恩師・青野太潮先生の授業に参加しました。

今回、先生は、ギリシア語原典を読む面白さを説くために、「十字架につけられてしまったままのイエス・キリスト」(ガラテヤ書3章1節など)という箇所を取り上げられました。新共同訳聖書では、「イエス・キリストが十字架につけられた姿で」と、過去形で訳されています。それを、「十字架につけられてしまったまま」とするのは、この箇所の動詞は、実際には現在完了形の分詞が用いられているからです。つまり、ガラテヤ書著者のパウロは、死んで葬られた後、三日目に甦られ、天にお帰りになった主イエスが、今も十字架につけられたままでおられると記していることになるのです。それは、いったいどういうことなのでしょうか。それを考えるところに、原典を読む面白さがあるというわけです。
25年前、初めて先生の授業を受けたときのことが思い出され、初心に返って、原典をしっかり読みたいと思いました。
 
野中先生派遣礼拝の説教者は、福岡地方連合会長の野中先生でした。ヨハネ福音書16章25節以下の御言葉を通して、「壮年よ、高尚なる生涯を生きよう!」と語って下さいました。これは内村鑑三の「後世への最大遺物」という説教から採られたもので、内村はその説教で「私たちだれもが後世に残せる最大の遺物は、勇ましく高尚なる生涯だ」と説いているというのです。

「勇ましく高尚なる生涯」とは、この世は神の支配のもとにあり、よって失望ではなく希望の世の中であることを信じ、悲嘆ではなく歓喜の世の中であるという考えを生涯に実行し、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去る、そのような生涯を送ることです。つまり、私たちと共にいて下さる主イエスを信じる信仰によって生きる生き様そのものです。

確かに、今こそ信仰を働かせ、私たちがその生き様を通して、主の恵みを証しすべきときです。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と仰って下さった主イエスの御言葉を信じて、自分の務めをしっかり果たすものでありたいと思いました。

なお、野中先生は、来秋の特別伝道集会の講師として、我が大牟田教会にお迎えすることになっています。 沢山の恵みを頂いて、帰って来ることが出来ました。主の導きに感謝致します。 (写真をクリックすると、拡大版を見ることが出来ます)

 大牟田教会HPのフォトレポートもご覧下さい。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/wklyphoto0824.html