8月16日は、女子大生の日だそうです。
それは、今から95年前の1913年のこの日、東北帝国大学(現・東北大学)が女子受験生3人の合格を発表したからです。
これが日本で初めての女子大生の誕生でした。
東北帝国大学は、東京帝国大学(1886年)、京都帝国大学(1897年)に続く、第三の帝国大学として、1907年(明治40年)に仙台の地に設立されました。
帝国大学の受験資格は、当初、旧制高校卒業生に限られており、それはすべて男子校だったので、自動的に、帝国大学の入学者は男子だけだったのです。
その後、受験資格が高等工業学校、高等師範学校の卒業生にも広げられたため、女子高等師範の卒業生が入学試験に臨めるようになったわけです。
当初、文部省は女子の入学を考えてはいませんでした。
3帝国大学の内、東北だけが女子の受け入れを表明し、受験が行われました。
特に、化学科は難関で、合格者はわずか11人だったそうですが、うち2人が女子でした。

そのうちの一人は、佐賀県出身で理学博士となった黒田チカでした。
黒田チカは、天然色素の紫根の研究が認められ、東京女子高等師範(黒田の母校、現・お茶の水女子大)の教授に、女性で初めて招かれました。
その後、英国留学を果たし、帰国して東京理化学研究所(理研)で紅花の研究に打ち込み、紅花の色素カーサミンの分子構造を解明した研究論文が認められ、1930年(昭和5年)、日本女性として2人目、化学の分野では初めて、理学博士の学位を手にしました。

黒田チカが身を置いていた理化学研究所は、研究成果の社会還元のために理化学興業株式会社を設立し、理研で発明されたものを商品化していました。
感光紙(コピー紙)もそのひとつです。
黒田チカの実兄が佐賀の醸造元吉村家に養子に行っていた関係で、吉村商会が理研陽画感光紙の九州地区総代理店となります。
吉村商会には市村清という商売上手がいて、非常な勢いで感光紙の販売を伸ばし、その後、吉村商会から総代理店の権利を譲り受けます。
市村はその後、理化学興業株式会社の感光紙部長に抜擢、1936年(昭和11年)理研感光紙(株)として独立、2年後の1938年に理研光学工業(株)となります。
これが、今日の(株)リコーの出発点です。

市村清は、理研光学工業(株)の代表権を持つ専務取締役となりました。
その後、おしゃれの店三愛をはじめ、三愛石油、リコー時計、日米飲料(後の北九州コカ・コーラボトリング)、日本リースなど業種の異なる企業を次々と創業しました。
市村創業の企業集団を、リコー三愛グループといいます。
三愛とは、市村の提唱した「人を愛し、国を愛し、勤めを愛する」という三愛主義から採られた名です。

現在、うちにはリコーのコピー機、印刷機がありますが、それが、今日8月16日の女子大生の日と少なからぬ因縁を持っていたことが、思いがけず判明したわけです。
なるほどね~。