ここ10日ばかり、教会のクリスマス行事に幼稚園の終業式などがあって、日曜日の御言葉以外、ブログを書くゆとりがありませんでした。

ようやく一段落したので、明日一日はゆっくり骨休めしたいと思います。

今年のクリスマスで一つの発見は、NHK大河ドラマの篤姫が薩摩から江戸へ嫁入りした旅と、キリストの誕生を祝うために東方から来た博士たちの旅、その距離がほぼ同じだったということです。

およそ1700kmほど。

篤姫の旅は、1853年8月に鹿児島を出発して、江戸の薩摩藩邸に入ったのが、10月ということだから、およそ2ヶ月の旅ということになります。

大河ドラマでは、篤姫は瀬戸内海を舟で移動していました。
島津の殿様が参勤交代で江戸に向かう時、初めは海路を利用して、40日ほどで江戸に着いたのだそうですが、旅費を節約するために途中から陸路を行くようになったそうで、篤姫の一行も、陸路で山陽道を進んだようです。

実は、山陽道の宿場だった岡山県矢掛町の矢掛本陣(国指定重要文化財)に宿泊したことを示すとみられる古文書が今年11月に見つかりました。
同町のやかげ文化センター古文書室長の渡辺和夫さん(75)が、矢掛本陣を代々運営していた石井家から県立博物館に寄託された古文書群の中から発見したそうです。

渡辺さんによると、本陣の宿泊記録である「宿方御休泊留」の1853年9月のところに「中将様御娘也 薩州御姫君様 御登 御泊 御拝領銀三枚」と記され、50人余りの武士や女中が同泊したことが書かれてたそうです。

従来から存在を知られていた本陣周辺の宿の宿泊記録にも、同月の部分に「薩州御姫様御泊り」とあり、33軒に200人余りの家来が宿泊したことが記されていました。

島津藩の参勤交代は、2000人という大集団だったそうですが、大名の姫君の上京ということで、警護のためにお供する者も大勢いたことでしょう。

一方、キリストの誕生を祝うために東方からやって来た博士たちも、彼らはキリストをユダヤ人の王としてお生まれになった方と考えて王宮を訪ね、ヘロデ大王に謁見していることから、国賓として扱われていると考えられますし、皇太子の誕生に贈る品とすれば、黄金、乳香、没薬も、半端な量や質ではなかったのではないでしょうか。

そして、彼らの警護のためにも、200名といったお供の軍勢がいたかも知れません。そして、星の道案内ということでは、夜に限っての移動ということになりそうですから、通常よりも時間がかかったのかも知れません。

であれば、篤姫の旅よりも長い時間がかかっただろうと想像されます。
ヘロデ大王がキリストの誕生を知って、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を殺させますが、それは、博士たちの到着が、キリストが誕生した時からかなりの時間が経過していたためだと考えられます。

他所の国の皇太子が誕生したことを祝うために、それだけ時間をかけ、非常に高価な贈り物をしたのは何故でしょうか。「占星術の学者」と言われる彼らが、星占いでユダヤ人の王の誕生を知ったからといって、わざわざ出かけて来るほどのことになるでしょうか。

そう考えれば、彼らがやって来たのは、彼らの側に理由があったというよりも、むしろ神が彼らにキリストを礼拝させ、占いに頼るのではなく、神に従って生きるという新しい道を知らせようとして、彼らを星によって招かれたのではないかなあと思われます。

だから、キリストに会った後、彼らは、天使の御告げを受けて、来た道とは違う、新しい道を通って帰って行ったのでしょう。

私たちが迎えようとしている新しい年が、神の導きに聴き従い、新しい恵みを味わい続ける一年となるよう、主の恵みと導きを祈っています。